ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラーム世界の勉強会って?

まずは、池内恵先生のブログからの部分引用(http://ikeuchisatoshi.com/)。

イスラーム法学の政治・軍事に関する規定の入門書(1)」


・マーワルディー(湯川武訳)『統治の諸規則』慶應義塾大学出版会
・この本を読んで、イスラーム法ではカリフ制や戦争や異教徒の扱いについてどのような規定がなされているのか、基本を知ってから、「イスラーム国」という問題について語っても遅くないと思う。
日本では1990年代後半から2000年代を通じて、「イスラーム復興」といった特殊な観念が研究業界を支配し、イスラーム法が施行されればイスラーム世界の問題はすべて解消するかのような、もし宗教的信仰に基づいている場合を除いては非常に特殊というしかない主張を前提にして、研究が行われた。学界の支配的な主張によって影響される世界史教育などでも混乱が増幅されている。
・日本や欧米の事情で考え出された「本来のイスラーム」についての万巻の書を読んでも、実際に規範性を持つイスラーム教の教義についてはほとんど何もわからない。それらは、日本や欧米で「イスラーム」について何が考えられ、言われているかを知るにはいいが、実際にイスラーム教の教義について手続きを踏んで考える時にどのように考えるかは、ほとんど教えてくれない。
コーラン素人考えてひねくり回してイスラーム国はイスラーム的か」について論じるのは、下手な考え休むに・・・というのにも及ばないということは覚えておいて欲しい。
・その瞬間での「学界の流行」がいかにあてにならないものか着実な研究が長期的にはいかに重要かを、思い知らされる。

(部分抜粋引用終)
次はフェイスブックから。

https://www.facebook.com/satoshi.ikeuchi?fref=pb&hc_location=profile_browser
Satoshi Ikeuchi
19 November 2015


・「イスラーム国」はイスラーム法学に基づく世界観に沿って行動し、認識しているのだから、イスラーム法学の観点から読み解けば簡単に読み解ける。問題は、イスラーム法学に馴染んでいない人には分かりにくいことだが、それはやむを得ない。知らないんだから理解できない。なお、「イスラーム地域」を研究していると自称する人の大部分は、実際はイラン現代史研究とかトルコ政治研究とかアルメニア中世研究などあらゆる人を含んでいるので、「イスラーム地域研究」をやっているからといってイスラーム法学をわかっているわけでは全くない。分かっているどころかイスラーム法学を一文字も知らない
イスラーム法学を持ち出せば、反論はされにくいし、一部にそれに従って行動する人も出てきてしまう。多くのイスラーム教徒は、特に西欧にいる人は、近代社会に適応して、世俗的規範を認めて生きている。しかしそれは内在的な葛藤を含む
・これは、非常に深い問題なんだけど、欧米の人間中心主義・個人主義・人権を基本とする認識の枠組みでは理解ができないので、正面から議論できない。
1980年代のバブル時代の「面白半分が最高・軽チャー路線で売れればいい」という風潮が、日本の知識人を決定的にダメにしたのだが、新世代の研究者の中には、実際の現代社会に取り組んできた人もいる。

(部分抜粋引用終)
上記の「イスラーム地域研究」についてだが、あの頃、有力大学が次々とこの領域を立ち上げるにつれ、私の研究テーマには場がないと、ますます痛感するようになった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150917)。マレーシアはムスリムの国だから、当然、イスラム地域研究に相当すると素人目には感じられるのだろうが、どっこい、それほど事は単純ではない。
それに、クアラルンプールの国立図書館イスラーム家族法を初めて見た時には、あまりの細かさと内容に眩暈がしたものだ。米国同時多発テロ以前の1999年頃だったかと記憶している。一部を複写して手元に持っているが、本当に大変な国だと思った次第。
これをどれほど学会や研究会で繰り返しても、全共闘世代で大学に残ってしまった先生方には馬耳東風といった風情。あの頃の徒労感は、今思い出してもどっと疲れる。
せいぜい、池内先生にハッパをかけていただいて、軌道修正し、世代交代が落ち着くまで待ちましょうか?
仕事を完成させるまで、長生きはすべし。この頃、主人の母が力を込めて「百歳まで」と言い続けているが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151010)、本当にそうでなければならない。

実は明日、長野でイスラム世界勉強会(http://muslimworld.naganoblog.jp/)のキックオフなる会合が開かれる。実は、父方の大叔父の故加藤静一が長野アラブ友好協会の設立者で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080422)、その後続としての位置づけなのだそうだ。私は遠戚というには近い親戚の末端だが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151112)、その関係で、ご案内を主人の勤め先が所属する企業グループの方からいただいた。
しかし、顔ぶれを見れば、何たることか!女性研究者も発表されるが、私がまだ結婚前で名古屋にいた頃から、会釈したこちらの存在をまるで空気のように無視していく方だった。別の学会でも同じ態度だった。要するに、気に入らない内容の発表を私がするからであろう。
大叔父は、リベラルで大らかな考えの持ち主だったが、あくまで保守思想の枠組みにおいてである。大叔父が学んだ東京帝国大学は、大変に申し訳ないが、さまざまな意味で今の東大とは違うと感じられる。その大叔父の意思を勝手に捻じ曲げて、にこやかに新たな会合を信州で開こうとしているのだ。
それに、その会合の長となる方は、私もかつて某大学の会合で同席したことがあるが、何としたことか、1985年に研究目的で滞日されていたダニエル・パイプス先生を、中東学会で冷たくあしらった板垣雄三氏なのである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140306)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150214)。そのことが、2012年1月に文通が始まってまもなく、日本で「イスラエルに対する敵意の壁を感じた」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131210)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140205)と、パイプス先生が私に書き送られた内情だった。
ところが、本来の日本とはそういう国ではない。その証拠に、昨日、百歳をお迎えになった三笠宮殿下が、当時のパイプス先生に非常に温かく接せられたとのことである。最新のツィッターをどうぞ。

https://twitter.com/DanielPipes/status/672106397308346368


Congratulations to #PrinceMikasa of #Japan, MidEast scholar, on his 100th b'day: http://www.japantimes.co.jp/news/2015/12/02/national/prince-mikasa-emperor-akihitos-uncle-turns-100/ … Was privileged to meet him in 1985.


Lily2 ‏@ituna4011
@DanielPipes Thank you for mentioning this news. I am also proud of having visited his Middle Eastern Cultural Center in Mitaka in 2009.

(転載終)
正確には、三笠宮殿下は古代オリエント史と聖書の学者でいらっしゃると理解しているが、パイプス先生流の戦略言語では「中東学者」。もちろん、現在のアメリカの左翼的な中東学者に対する痛烈なパンチの意図が込められているのであろう。
三鷹にある中近東文化センターへは、2009年11月に初めて訪問した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091124)。
今後は、私達の時代でなければならない。日本を取り戻せ。