ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

『アゴラ』から(3)

まずは『アゴラ』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%A2%A5%B4%A5%E9)からの部分抜粋引用を。

http://agora-web.jp/archives/1662528.html


テロが明らかにした「自由の弱点」
長谷川 良


・「パリ同時テロ」後、個人の自由の制限もやむを得ないという声が欧州で次第に高まってきている。
・ソフト・ターゲットのテロだけに、国民の一般生活の制限も甘受しなければならないという認識がEU国民の中に強まってきているわけだ。
・「パリ同時テロ」後、欧州連合(EU)内で「人の移動の自由」を定めたシェンゲン協定の再考を求める声。EUは20日、内相・法相理事会で、欧州域外との国境監視の強化で合意。また、ブリュッセル欧州議会ではテロ対策の一環として治安関係者がこれまで要求してきた飛行旅行者データの保存、共有 (独 Fluggastdatenspeicherung 、PNR)問題に対しても支持派と慎重派の間で妥協の動き。
・中立国スイスではイスラム教徒に対し、「信仰の自由」の制限もやむを得ないという意見イスラム教問題専門家のNecla Kelek氏はノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング(NZZ)紙で「宗教の自由」の制限を要求し、「イスラム教が平和志向の宗教と実証するまで、その信仰の自由を制限すべきだ」と主張。
オーストリアカトリック系週刊誌「フルへェ」(11月19日)は一面に「自由の弱点」というタイトルの記事を掲載。大げさに表現すると、人類は歴史を通じて多大の犠牲を払いながら自由を獲得してきた。しかし、その自由が乱用され、悪用されるケースが増えてきた。
・欧米社会では個人の自由への干渉を極度に嫌い、情報管理に対しても厳しい規制があるが、「パリ同時テロ」後、EU国民の意識に変化が見えだしてきたわけだ。
・平等、友愛と共に、自由を国のシンボルに掲げるフランスで起きた「パリ同時テロ」後、欧州全土で自由の制限論が高まってきた。
・オランド仏大統領はパリ同時テロ直後、「われわれはテロリストに脅迫されても自由な社会を放棄する考えはない」と宣言した。その発言は、ジャン・ジャック・ルソーの「自由を放棄する者は、人間の資格、権利を放棄することを意味する」と述べた内容に通じる


・編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年12月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください

(部分抜粋引用終)

この自由の問題は非常に深い哲学的考察を含み、ブログレベルで安易に語るべきではない。特にフランス革命の評価やカトリック思想に関しては、上記のコラムの言述に必ずしも全面賛同しているわけではない。概して『アゴラ』論考は、話題作りのきっかけにはなるが、どうも今ひとつの点がある。ただ、そこも考察のきっかけにすれば、自分の世界を多少は刺激する契機にはなるかもしれない。
というわけで、なぜか「ルソー」が文末に飛び出してくるので引用することを決めた。私のルソー観(感想)については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/comment/20110830)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150409)を。

ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/)で「ルソー」項目を見ると、以下のような興味深い文が並んでいた。どなたの執筆によるのか不明だが、いかにも、と納得のいく描写ばかりだ。

・理性よりも感情を重んじる思想
・3年後、出奔して放浪生活に入る。その後もさまざまな職業を試したが、どの職にも落ち着くことができなかった。たとえ成功しても放浪は止むことなく、自分の進むべき道を探求
・1762年、教育論『エミール』が世に出ると、その第4巻にある「サヴォア人司祭の信仰告白」のもつ自然宗教的な内容がパリ大学神学部から断罪され、『エミール』は禁書に指定され、ルソー自身に対しても逮捕状が出たため、スイスに亡命した。
・ルソーの死後に始まったフランス革命においては、「反革命派」と名指しされた者に対して迫害、虐殺、裁判を経ない処刑が行われるなど、恐怖政治が行われた
・マクシミリアン・ロベスピエールナポレオンボナパルトといった指導者たちが「一般意志」などルソーの概念を援用し、人民の代表者、憲法制定権力を有する者と自称して、独裁政治を行ったということは、歴史的事実である
・あらゆる道徳的関係(社会性)がなく、理性を持たない野生の人(自然人)が他者を認識することもなく孤立して存在している状態(孤独と自由)を自然状態として論じた。無論、そこには家族などの社会もない。理性によって人々が道徳的諸関係を結び、理性的で文明的な諸集団に所属することによって、その抑圧による不自由と不平等の広がる社会状態が訪れたとして、社会状態を規定する(堕落)。自然状態の自由と平和を好意的に描き、社会状態を堕落した状態と捉えるが、もはや人間はふたたび文明を捨てて自然に戻ることができないということを認め、思弁を進める。
・ルソーは、ロック的な選挙を伴う議会政治(間接民主制、代表制、代議制)とその多数決を否定し、あくまでも一般意志による全体の一致を目指しているが、その理由は、ルソーが、政治社会(国家)はすべての人間の自由と平等をこそ保障する仕組みでなければならないと考えていたためである。
・ルソーの考えによれば、自然災害にあたって甚大な被害が起こるとき、それは、理性的、文明的、社会的な要因により発展した、人々が密集する都市、高度な技術を用いた文明が存在することによって、自然状態よりも被害が大きくなっているということなのである。
・ルソーは、主に教育論に関して論じた『エミール』において、「自然の最初の衝動はつねに正しい」という前提を立てた上で、子の自発性を重視し、子の内発性を社会から守ることに主眼を置いた教育論を展開している。
・私生活においては、マゾヒズムや露出癖、晩年においては重度の被害妄想があった。精神の変調の萌芽は若い頃からあり、少年時代に街の娘たちに対する公然わいせつ罪(陰部を露出)で逮捕されかかった。
・また本人が年金制度を晩年まで嫌悪していたため、他人の世話になって生活することが多く、定職と言えるものは若い頃から趣味でやっていた楽譜の写し書きくらいで、これが貴重な収入源だった。
ルソーから影響を受けた者としては、哲学者のイマヌエル・カントが有名である。
・ルソーの思想は、イマヌエル・カントの他、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルなどにも影響を与え、ドイツ観念論の主軸の流れに強い影響を及ぼした。
クロード・レヴィ=ストロースは、人類学の一つの起源としてルソーを再評価している。
帝政ロシアの作家レフ・トルストイは青年期にルソーを愛読し、生涯その影響を受けた。地主でもあったトルストイの生活と作品には「自然に帰れ!」の思想が反映している。
中江兆民生田長江大杉栄らはルソーの翻訳をし、また作家の島崎藤村明治42年3月に「ルウソオの『懺悔』中に見出したる自己」を発表し、ルソーの『懺悔録』(『告白』)に深い影響を受けたと述べている

(部分抜粋引用終)
ルソーを教科書上でさり気なく暗記させる学校教育で点数を取ってしまうと、自分の人生行路で大きく誤ることになる。特に、子育てにルソーを援用しているかと思われるケースが身近にあり、本当に無責任だと腹立たしく思う。

上記のアゴラ文の中に、「『人の移動の自由』を定めたシェンゲン協定」のくだりがある。この「移動の権利」云々については、数年前に我が町に来られた元副大臣辻元清美氏が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100328)、「人には移動の権利がある」と堂々と提示されていたので、記憶に残っている。当時、私には何のことなのかよく理解できなかった。なぜ「移動」するのか、誰が移動を「権利」と定めるのか、その根拠と文脈はどこにあるのか、ということだ。
要するに、社民党から民主党に移った辻元氏の思想的背景と人脈を考えれば、いかにも左翼系リベラルだと判明するのだが、当時は自信がなかった。