ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「メリー・クリスマス!」

これもトランプ現象なのか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161129)、今年は大っぴらに「メリー・クリスマス!」という挨拶が飛び交っている。
第一、「季節のご挨拶を」「ハッピー・ホリディ!」では、意味が霧散してしまう。
誰をも傷つけないようになどという、現実にはあり得ないことを言語化し、実践しようとするから、おかしなことになったのだ。
諸宗教は尊重すべきだが、ぶつかる面は距離を置き、矛盾するなら関わらない方が賢明だ。
5年ぐらい前までの私は、毎年、この時期になると、マレーシアのキリスト教情報を追いかけることで時間を費やしていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111226)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151225)。
何も好き好んで時間潰しをしていたのではない。
例年、クリスマスが終わると、待ち構えていたかのようにムスリム(の一部)側から事件が発生し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive/200712)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive/200812)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive/200912)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive/201012)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive/201112)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive/201212)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive/201312)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive/201412)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive/201512)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive/201612)、翌年の2月頃まで、延々と事件経過の報道とメディア上の各種の意見交換が続いていたからだった。
これもマレーシア理解の一助だと最初は真面目に考え、春の研究発表に備えて情報を集めて分析していたつもりだったが、もともと曖昧で混乱した情報が錯綜していたのと、例年、同じような基本パターンが繰り返されることに飽き飽きして、今ではきっぱりと止めている。
11月下旬頃に用意しておいても、お年賀状がいつもギリギリの投函だったのも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080104)、それが原因だった。
父は「もっと余裕を持って元旦に届くように手はずを整えろ」と注意してくれたが、そもそも、こちらが早めに準備していても、相手(マレーシアのムスリム側)が騒動を起こす結果、クリスチャン側も応戦状態になり、同じことを綱引き状態で論争し続けるので、こちらの責任だとは言えない。
よく言われるように、「○○は相手にするな」なのだが、こんなことだとは知らずに研究を始めてしまった以上は、責任があると真剣に思っていた。
もっと大きな世界情勢の枠組みでこのパターンが理解できるようになったのも、パイプス先生のお陰だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)。何しろ、世界最高水準でイスラーム史学の学位を取得されているのだから、私などの小さな個別事情の分析など、箸にも棒にも引っかからなかったのだ。
社会主義思想もイスラーム主義思想も、このようにして、「穏健」な形を取りながら、ぐいぐいと相手の領域に浸透し、徐々に秩序を変容させ、挙げ句の果てには破壊していく。既に、現日本もそのような状態である。
降誕祭には似つかわしからぬ文面になってしまったが、少しは深く反芻する時としたい。