三つのテーマをまとめて記録
1.11月1日のイスラエル・フィル
今、イスラエル・フィルの来日録音を聴いている。イスラエル・フィルは、これまでにも何度もラジオで演奏を聴いてきた。
演奏技術の高さは言うまでもなく、品格があって、決然とした芯がある。エネルギーが外に爆発するのではなく、深く内面に集中している。方向性がはっきり定められていて、クライマックスでも決して音が割れたり熱くなったりせず、心地よく、安心してすっと入ってくる演奏だ。今では珍しくなってしまったと言われる欧州の正統的な奏法と演奏態度が、周辺国からの紛争に悩まされ続けているイスラエルで、しっかりと保持され、高められているということ自体、極めて貴重である。
11月1日に大阪のシンフォニー・ホールでズビン・メータ指揮のイスラエル・フィルを聴いた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141101)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141102)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141110)。
前日に、ふと思い切って「新聞夕刊で知ったのですけど」と電話をかけてみたら、あっさりと短時間でよいチケットが入手できた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141101)。2階のバルコニー席の舞台近く。指揮者の表情がよく見える位置だ。運営会社が変わったために、いつの間にか長年の会員登録が消されていたらしいのだが、その旨も先方から手際よく応対していただけた。受付で物の見事にさっとチケットが渡され、気持ちが良かった。
よその国では、イスラエル・ボイコットが演奏会場でも展開され、ホール前での騒がしいデモや演奏中のブーイングがあるなど、下品迷惑この上ないことが発生しているそうだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130405)。日本の場合、私服警備は紛れ込んでいるのかもしれないが、少なくとも客層にわかるような物々しさはないところが、治安と文明度を反映しているように思われる。
小雨だったが、入り口で傘入れ用に、小指よりも細く丸めた何ともかわいらしいビニール袋が、さっと差し出された。このような手際よさが、恐らくは日本文化の粋なのだろう。
CD売り場を演奏会前に覗いてみたが、自宅にもある庄司紗矢香さんのパガニーニのデビュー版と、メータ氏指揮のCDばかりで、特に今回の来日ツアーの記念に買い求めたいものはなかったのが残念。もちろん、サイン会のお知らせもなく、本来のあり方として、舞台での演奏そのものに集中するように、とのメッセージだと解した。代わりに、パンフレットを1000円で。
演奏中は、ズビン・メータ氏の自叙伝(“Zubin Mehta: The Score of My Life”, Amadeus Press, New York, 2006) (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130417)をずっと膝に置いて集中していた。しばらく前に読み始めて(2013年12月14日)、途中で他事に移ってしまったので中断してあったもの。英語はとても読みやすい。もちろん、ホールに向かうまで、電車の中でも読み続けていた。率直に経験談が綴られているので、音楽のことも、音楽以外のことも、さまざまな観点から新たに考えさせられる。
メータ氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110331)がインドの古い家系の出でいらっしゃること。ユダヤ教に影響を与えたというゾロアスター教の系統でいらっしゃること(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131214)。アラブ人との共生を図るべく、さまざまな試みが音楽を通してなされているが、全体としては限定的で、かなり難しいこと。キブツでの巡回演奏やマサダでの記念演奏のみならず、イスラエルが紛争で危機にある度毎に、すぐに現地へ駆けつけて指揮をとってこられたこと。そのために、楽団メンバーとの堅く深い絆に基づく信頼関係には、並々ならぬものがあること。それに、五嶋みどりさんや庄司紗矢香さんのような若い日本人演奏家を、いち早く見抜いて引き立ててくださったことなど、本当にありがたいと思う。
湾岸戦争の時には、防毒マスクを床に置いての演奏。こういう時こそ、音楽だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070727)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071019)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090209)。
このような背景理解を添えた上で、演奏を通して時空間を共有するという至福の経験をすると、ますます、音楽とは何か、なぜ音楽が必要なのか、演奏者のみならず、聴く側の心構えとして、普段から何が要請されるのだろうか、などを改めて思う。
開幕前の数十分ほど、舞台で音出ししている楽器奏者が数名いたが、興味を引いたのが、曲目の箇所を練習するというよりは、あくまでスケールを繰り返していた姿。基本が大切だということだ。しかも、規律がしっかりしている。時間前には余裕を持ってさっと舞台袖に引く。楽譜は、バルコニー席から見ても、きれいなものを使っていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111105)。
お客の入りは、全体として七割強か八割ほど。一階席は脇を除いてほぼ満席だったが、二階席は空席が目立ち、バルコニー席も向かい側は後方が空いていた。年齢としては、若い人も目についたが、決して多いとは言えず、中高年が中心だった。チケットは必ずしも安くはないので、建国直後からずっと敵国に囲まれて大変な状況にありながら、文化程度の高いイスラエルを応援したいとか、イスラエル・フィルの見事な演奏を堪能したいという姿勢がここかしこに伺え、その点では、ドイツ、イギリス、ロシア、アメリカ、オーストラリアなどの一流オケの来日公演とは、一種異なった雰囲気が感じられた。このイスラエルならではの独自性は、今後も是非とも保持していただきたいものと思う。
楽譜を見ないで指揮のみ、しかも、決して無駄な動きがないのにオケの統制が非常に取れているのも驚きだった。メータ氏の服装や指揮振りは、古き良き時代の欧州を彷彿とさせ、懐かしく、落ち着いた安定感を与える。相当な訓練を積み重ねられたのであろう。また、楽団の演奏技術の高さもさることながら、一人一人が常に目覚め、どんな状況に遭遇しても即座に適切な対処が取れるような態度。指揮者の意図を汲み取って、個々に咀嚼して、よりよい応答として演奏に反映させる機敏さ。余計な動きや音が全くない。比較的、がっちりした体格の演奏者が多いように見受けられたが、恐らくは、国情の厳しさと同時に、国防軍で鍛えられた証なのであろう、軍服を着ても、いつでもどこでも最高水準の演奏可能な体制だ。
[プログラム]
ヴィヴァルディ:合奏協奏曲集「調和の霊感」Op.3より
第4番RV550から第10番RV580に変更
モーツァルト:交響曲 第36番 ハ長調「リンツ」K.425
チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 Op.64
[アンコール]
ヴィヴァルディでは、思い思いのスタイルと色のドレス姿の4人の若手女性奏者が立演。いずれも素晴らしかったが、やはり圧巻はチャイコフスキー。引き込まれるような雄大さと、決して無闇に熱くならない洗練された余裕が魅力だった。
また、特にアンコール曲は、いかにも旧ソ連を彷彿とさせる木管や金管楽器の鳴り響く前衛音楽の旋律と軽快なテンポで、迫害されて移住したロシア移民の多いイスラエルのオーケストラならではの得意芸なのだろう、雰囲気も技術的にも、最も合致しているように思われた。この十数分程度のアンコールのためだけに舞台に立った奏者も数名いて、二人はキッパを被っていた。
あっという間の二時間十五分。いつも気になる咳などの雑音も、今回はほとんどなかったように思われる。それに、演奏後の拍手はいささか早いものの、プログラムの流れをきちんと理解している客層だったことは、気持ちが良かった。
奏者同士は、ドイツの楽団のように握手し合う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071121)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080526)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080923)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111105)ことはなく、挨拶もそれぞれに、という感じだったが、一組の男女が舞台で軽く抱擁し合っているのを見て、そこはさすがにイスラエルだと感じた。N響なら、まずそんなことは考えられもしないし、これまでの外国楽団でも、シドニーにしろ、フィラデルフィアにしろ、ありそうなのにも関わらず、そういう光景は初めて見た。ただ、人懐っこい楽団らしく、舞台の後ろの席から声を掛けられて、愛想良く応じているお兄さんが一人いた。
終了後、ずっと客席に残って盛大な拍手を続けている人々があまりにも多かった。
(後注:同じ日に同じ会場にいらした方のブログ(http://kirakuossa.exblog.jp/21264132/)によれば、「拍手はいつまでもいつまでも終わることがなく続き、楽員がすべて退いた後、再びメータがひとりでステージに現われて、さらに盛大な喝采を受けた」とのこと。惜しいことをした。)
来日公演プログラムによれば、東京では三日間(10月26、27日、29日)で、特に三日目はNHK音楽祭2014年に相当。その録音を冒頭で書いたのである。シューベルトの6番とマーラーの5番。旋律がくっきりと変化していて、深みのある力強さに哀愁の漂った解釈だった。翌日の10月30日に福岡で、大阪と同じプログラム。翌日は三重で、シューベルトの6番とチャイコフスキーの5番だが、これで私は全部を聴いたことになる。11月3日は名古屋の愛知県芸術劇場コンサートホール。昔は、ここでイスラエル・フィルを聴けるとは想像もつかなかった。
ところで、三重は、イスラエルとどんな関係があるのだろう?13度目の来日公演の今回は4年ぶりとの由。イスラエル・フィルの前身のパレスチナ交響楽団は「ポーランド生まれのユダヤ人ヴァイオリニスト、ブロニスラフ・フーベルマンが、ヨーロッパ各地の主要なオーケストラに在籍するユダヤ人音楽家たち78名を説得し、パレスチナへ移住させた」ことにより、1936年12月26日、テル・アヴィヴのレヴァント・フェア・ホールでトスカニーニを指揮に招いて演奏会が誕生した。濃厚で「独特の民族的な個性を放って」いると、パンフレットには書いてある。メータ氏とは53年もの共演歴(後注:初演が1961年。その後、1968年に音楽顧問になられたため、テレビ放送のインタビューでは「45年」とメータ氏自身がおっしゃっていた)。説明書きがよく理解できるようになっている自分が、何だかうれしかった。
会場ホールを出てすぐの余韻よりも、一日置いてから旋律や音の連なりが何度も甦ってくる経験をした。そういう演奏こそが良質の基準なのであろう。
2.11月3日の文化の日に京都へ。
(1)オーストラリアと日本の版画の展示会。主人の職場の先輩の方が、大きな二つの作品を出品された。結婚祝いにも版画をプレゼントしてくださったが、招待状をいただいたので、夫婦で見に行ったところ、運良くご夫妻にお目にかかれた。ご自宅にアトリエがあり、仕事以外にも、このような分野で才能を発揮できることは、本当に素晴らしいと思った。現代風のモチーフ作品が多く、版画とは思えないほどの細かなデザイン、写真かと見まがうようなものもあった。主人の家系の故郷を題材にした模写風の作品もあり、いろいろと勉強になった。
(2)高山寺所蔵の鳥獣人物戯画展があると知ったが、スマホを見た主人が、午前中ならば150分も並んで待つよう指示が出ていたと教えてくれた。そこで先に、弥生時代、古墳時代、平安時代、室町時代、南北朝時代、中でも、特に十世紀から十二世紀にかけての古い京の展示を見ることに。
結局は、日もとっぷり暮れた頃、じっと静かに一時間並んで待った末に、中に入って見ることができた。確かに、日本人は落ち着いて待っているものだ、と改めて感じた。それほどまでに一目でも見ておきたいと願う人々の多さには圧倒された。外国人観光客は珍しくほとんど見かけず、メインは日本人だったように思われる。
しかも、普段はこんな暮らしでも、会場を巡ってじっと古いものを見ていると、すっと自分の中に違和感なく入ってくる。この私も確かに日本文化で育まれ、本流に属しているのだと実感できる。物心ついた頃からの自然な積み重ねなのだろう。
3.リチャード・パイプス先生の『所有権と自由』(1999年)をほぼ読み終えた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141031)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141101)。
古代ギリシアに始まる西洋史の膨大な概観で、所有の制度機構の諸側面、英国史とロシア史の対照、フランス革命前後の事例、二十世紀のアメリカ合衆国の社会文化的な問題にも及ぶ、所有思想を巡る壮大な実践史が描かれている。英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、ポーランド語の資料を駆使していて、しかも、相当古い文献、著者が生まれる前の時代に書かれた文献も引用されている。
いわゆる原始的な生活を送っている人々について、文化人類学がいかに誤った知見を広めてきたかという批判も手厳しいが、私には納得がいく。何より、経済面の考察のみならず、やはり政治思想が重要で、私有財産(金銭、能力、係累、文化など)が国家や社会によって規制され、地均し的に「共有」されると、かえって個を尊重しなくなるので、うまくいかないという実例を踏まえた結論。イスラエルのキブツで育った子どもの精神心理的な問題もきちんと記されていた(p.72-75)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130930)。人間社会に現存する格差や差違が争い事の元だという誤った観察から、表面的に、存在してはならぬものという前提で否定的に捉え、その解消に努めると、全てが意に反して破壊的な方向に行くということである。