ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ドイツへの片思い

加瀬英明氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B2%C3%C0%A5%B1%D1%CC%C0)の最新コラムから。
クラシック音楽や小塩節先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BE%AE%B1%F6%C0%E1)の影響で、私も規律正しく理屈っぽいドイツ文化が好きだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071023)。従って、第二外国語のドイツ語は学部で四年間履修し、全Aだった上(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/about)、大学院入試のドイツ語科目も、今振り返れば、恐らくは高得点で合格したのだろうと思う(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070730)。もちろん、大学院でもドイツ人のH先生による全てドイツ語で語られる授業を履修していた。
偶然ではあるが、今日は某大学の図書室に赴いて、日本女性と結婚したドイツ人名誉教授(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%B7%A5%E5%A5%DA%A5%CD%A5%DE%A5%F3)のドイツ語による製本された(多分、博士論文?)を閲覧した。4.5センチの厚さだったので時間切れでとても読めず、目次を文字通り瞥見しただけだったが、その大学では10年以上前からマレーシアの研究者ということになっていたのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160122)、18歳から始めたドイツ語で書かれた論文が、なぜか今でも骨子は把握できたのだった!
その後、今後の図書室使用許可として書類にサインをいただくため、アポ無しで突然、10年以上も前から知り合いのイスラエル出身の女性教授(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070725)の研究室へ押しかけてしまったのだが、運良くご在室で、一昨年から昨年にかけての、ダニエル・パイプス先生とのアメリカ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140509)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140524)やイスラエルhttp://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150513)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150530)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150810)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150830)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151101)での経験談も英語でご報告できて、20分ほど、有意義な時を過ごした。
10年経って、ISISのこともあって観念したのか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160122)、ユダヤ研究にせよ、大学の動向にせよ、はちゃめちゃな左傾化を軌道修正して、昔ながらの落ち着いて整然とした威厳ある学究的雰囲気に戻りつつあるようだ。「私はこの雰囲気が好きです」と申し上げたところ、先生も同意されていた。
昨年、英語圏の人々と一緒に10日間を過ごしたイスラエル旅行によって、どんな困難に遭っても、あきらめずに前に向かって力強く前進していくユダヤ精神が好きだ、とお伝えできたことも、我ながら嬉しかった。

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朝日新聞が日本に植え付けた『ドイツ信奉』の呪縛」
2016年2月12日


・「ドイツ民族は信用できるのに、どうしてあのような事件が起こるのでしようか」


・ヨーロッパでドイツを囲む国の人々は、みな、ドイツによって酷い目にあっているから、ドイツは信用できないとみているのに、日本ではドイツというと、憧れに近い感情をいだいている。


・日本は明治から先の敗戦にいたるまで、3回にわたって、ドイツに酷い目にあっている。第1が、日清戦争直後の明治28(1895)年に行われた、三国干渉だ。ドイツ、フランス、ロシアが日本を威嚇して、日清講和条約によって獲得した、遼東半島の租借権を放棄させられた。日本国民を悲憤慷慨(ひふんこうがい)させ、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」を誓った。つぎが、昭和12(1937)年に上海の日本租界に、条約に従って数千人の守備隊しかいなかったのに、30万人の蒋介石軍が襲いかかった。第2次上海事変である。蒋介石軍はベルリンが派遣した、ドイツ軍顧問団によって指揮され、ドイツが供給した最新兵器を装備していた。日本は日華事変の泥沼に、のめり込んでいった。3度目が、日本はナチス・ドイツに唆(そそのか)されて、昭和11(1936)年にソ連に対抗する日独防共協定を結んだ。ところが、3年後にドイツは独ソ不可侵条約を結んで、ソ連と手を携えた。そのために、平沼騏一郎内閣が「複雑怪奇」といって、倒れた。


・日本はその4年後に懲りずに、日独伊三国同盟条約を結んだ。


・明治3(1870)年の普仏戦争に、それまで日本陸軍が教官を招いて、手本としていたフランスが敗れたために、ドイツに切り替えた。それ以後、陸軍はドイツに心酔した。そして、朝日新聞をはじめとする大新聞が、ナチス・ドイツを筆を揃えて礼讃して、ドイツ熱を煽った。朝日新聞ナチスを崇める論説や、記事は酷いものだった。戦後、朝日新聞文化大革命から長い間にわたって、毎日のように、毛沢東の中国を讃美する紙面をつくって、狂態を演じたのと、まったく変わりがなかった。


・いま、日中関係が険悪化しているが、日本が招いたものだ。もし、日本が対中外交に当たって、腰を屈めることなく、毅然とした態度をとってきたら、中国が日本を侮って、増長することがなかった。


朝日新聞は敗戦の最後の日まで、現実を無視して、精神力さえあれば、日本が勝つと叫んで、読者を一億玉砕へ駆り立てた。今日、“平和憲法”を護る精神さえあれば、日本の平和が守られるといって、読者を煽り立てているが、70年前からまったく変わらない。


・フェルディナント・ポルシェ博士が創業したポルシェ社が、フォルクスワーゲン社のオーナーだ。ポルシェ博士は天才的な工業デザイナーで、スーパーカーのポルシェと、ヒトラーの国民車のフォルクスワーゲンの産みの親で、ヒトラーの盟友だった。

(部分抜粋引用終)
朝日新聞をはじめとする大新聞が、ナチス・ドイツを筆を揃えて礼讃」については、過去ブログを参照のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120416)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130703)。
英語文献紹介からドイツとアラブの関係を想起し、それが現在の反イスラエル現象と反セム主義につながっていることに留意(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120526)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151023)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20151023)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20151025)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20151030)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20151031)。
「ドイツは信用できないとみている」については、ダニエル先生のお父様であるリチャード・パイプス先生の"Vixi"を参照のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Vixi)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20121231)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130104)。(特に、pp.57-58のエピソードに注目。ポーランドでナチ・ドイツに虐められたリチャード先生が「ドイツ人は人をオブジェのように扱う」と言い切っている。その率直で遠慮のない無骨さは、おとなしく従順な我々日本人も少しは学ぶところがあるように思われる。)