ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

テミルカーノフ氏と紗矢香さん (2)

https://twitter.com/SayakaShoji/status/1064103878130454528


Sayaka Shoji‏ @SayakaShoji 13 hours ago


A tour can be tiring. but I’m always sad to finish touring with St.Petersburg Phil. Since our very first one in 2001, their sound, the way of making music kept uplifting my soul. Genuinely grateful to this very special orchestra for inspiring me again and again.
7:31 PM - 18 Nov 2018

(転載終)
11月17日(土)には、午後2時から大阪のシンフォニー・ホールで、庄司紗矢香さん(ソリスト)とサンクトペテルブルクフィルハーモニー交響楽団の演奏会が開かれた。

テミルカーノフ率いるサンクトペテルブルクの楽団は、やはり一期一会であった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111105)。あれから7年が経ち、この度の日本ツアーでは、健康上の理由で降板され、代役の指揮者ニコライ・アレクセーエフが登場されたのだった。
ご年齢から、いつこのようになってもおかしくはないと覚悟はしていたが、寂しいことには変わりない。そして、演奏中に目と目が合った場所に席を取ったあの日のことは、ついこの間のことのように感じられる。無理してでも時間をこじ開けて、行ける時に行って眼の前で聴いておくべきなのは、世界一流の演奏家の場合も同様である。
テミルカーノフ氏の秘蔵っ子として、恵まれた幸福なロシア・ツアー等を繰り返してこられた、可愛らしい少女だった庄司紗矢香さんも、早くも35歳になられた。これまで、最も多く演奏会で生演奏に触れたヴァイオリニストであるが、自分にとっても、演奏会場での出会いがこれほどまで繰り返されるとは、正直なところ、最初は全く想像もしていなかった。正確には、これまで溜めてきたパンフレットを整理する必要があるが、恐らくは10回ほどは舞台で「面会」しているのではないだろうか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121231)。
また、インタビューが毎回新鮮で刺激があるので、演奏会記録のみならず、過去ブログでも折に触れて言及させていただいてきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BE%B1%BB%CA%BC%D3%CC%F0%B9%E1&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BE%B1%BB%CA%BC%D3%CC%F0%B9%E1)。

http://ticket-news.pia.jp/pia/news.do?newsCd=201701110004


取材・文:伊熊よし子


・「東芝グランドコンサート」。2017年は、パリに拠点を置き、国際舞台で活躍しているヴァイオリニストの庄司紗矢香が登場。クシシュトフ・ウルバンスキが指揮するNDRエルプフィルハーモニー管弦楽団ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)と共演する。


・コンサートで今回彼女が演奏するのは、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲。代名詞的な曲といえるほど、得意としている曲だ。特にロシアの指揮者、ユーリ・テミルカーノフとは毎年のように共演してプロコフィエフの2曲の協奏曲を演奏、録音も行った。


「私は、プロコフィエフの作品とともに育ってきたといっても過言ではありません。プロコフィエフが残した日記や短編集をよく読みますが、彼は若いころから自分は特別な存在だと自認し、世界を上から眺めているようなところがありました。優越感の強い人だったようですね。日記を読んでいると、自分が偉大な人間なんだと自覚している様子が見てとれます。短編集はプロコフィエフのお孫さんがフランスで出版したもので、日本語訳も出ています。とても奇妙な世界を描いていて、ふつうの想像力とは違い、やはりプロコフィエフの音楽に通じるところがある。彼は常に最後にひとこと皮肉をいうのですが、それがとても印象に残ります」


ヴァイオリン協奏曲第1番に関しては、2004年にニューヨークでロリン・マゼールの指揮で初めて演奏した。


「第1番は繊細さ、やさしさ、豊かな色彩がとても印象的。その奥に内なるエネルギーが潜んでいて、“風”のイメージを抱きます。ノスタルジックな風、背筋がゾクッとするような風、墓場の寂しい風など、いろんな風がどこかからやってきてどこかへ消えていくイメージ。キャラクターと色が変幻自在で、そのイメージがとても魅力的で、弾いていて楽しいですね」


庄司紗矢香テミルカーノフプロコフィエフのユーモアについて語り合い、作曲家が音楽や文章に込めたのは一筋縄ではいかないユーモアだという話になったそうだ。


プロコフィエフのユーモアというのは、あからさまではなくクスリと笑う感じ。いわゆるブラックユーモアのような。音楽は感情的にならず、常に客観的に自分を見ている冷めた目が感じられます。苦しいとか辛いなどとはけっしていわない。その精神を理解することが演奏する上で重要なポイントになります」


テミルカーノフは、彼女に「きみはプロコフィエフ・プレイヤーだ。作曲家の心理をとてもよく理解している」といってくれた。そのことばがとてもうれしくて、「なお一層深く勉強しようと思った」と語る。

(部分抜粋引用終)
このような話をしてくださると、我々が音楽を聴くとはどういう行為なのか、内省させられるところである。
ユーリ・テミルカーノフ庄司紗矢香さんの共演に関する過去ブログは、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090610)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20111130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130627)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140325)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170716)。
コリン・デイヴィス卿指揮によるロンドン交響楽団庄司紗矢香さんのシベリウスのヴァイオリン協奏曲を京都コンサート・ホールで聴いたのは、2004年3月9日のことだった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100623)。あの日は、同じ町の同じ敷地内で引越しをした翌日。今では信じられないほど早く荷物が片付いていたようで、予習として、シベリウスハイフェッツによる演奏で何度もCDで聴いて、旋律を頭に叩き込んで楽しみにしていたのだった。
ちょうど同志社大学での仕事が始まる一ヶ月前とあって、自分でも高揚気分だった。やっと関西で自分の研究をさせていただけるのだ、と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141010)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141011)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141012)。
当時は、イラク戦争に対する厭戦気分もあり、小泉政権だったこともあって、今よりも国力に無責任な余裕を感じていた。そんな懐かしい気分を久しぶりに思い起こした。

http://classic.manaita.com/concert/lso040309.html


・LSOの創立100周年の記念ツアーでの来日である。
・今回も指揮は巨匠コリン・デイヴィス。おまけに前回聴いたときと同じシベリウスのヴァイオリン協奏曲なので、またも名演が期待される。しかし、会場は京都コンサートホール平日の京都は観客が少ないのだ。LSOという超大物なのに、客席は60〜70%ほど。2階席は1割にも満たないガラ空きだった。団員の士気に影響しないかが唯一の心配事だった。
・さて、今日の目玉の一つ。庄司紗矢香さんによるシベリウスのヴァイオリン協奏曲。前回は竹澤恭子さんの名演が聴かれたので、それを上回るかに注目していた。しかし、不満が積もり積もった演奏になってしまった。第1楽章は最初こそ良かったのだが、見る見るうちに衰弱し、第1楽章の最後ではオケも音を出せないくらいの弱音に。ホールや、座った座席の位置にもよるのかも知れないが、オケがやる気を失しているくらい鳴っていなかったのだ。そのためか、第2楽章ではアンバランスなほどオケがムキになって鳴らしていたような気がする。。。第3楽章では再び調子を取り戻していたものの、音響的な充実感は得られなかった。テクニックや表現は申し分ないので余計に残念だった。私以外の観客は満足したのだろうか? 終わるや否やブラボーの嵐。ミーハーな客も多かったのかも知れないが、「天才少女」という見方を早く捨て、一芸術家、一演奏家として評価したいものだ。アンコールではフィンランドのサッリネンの小品を演奏してくれた。

(部分抜粋終)
この頃はまだ学生だっただろうか、内田光子さんと共に庄司紗矢香さんが日本人演奏家として抜擢されて、ロンドン交響楽団の日本ツアーを巡行したのだった。緑青のヒダのたっぷり入ったノースリーブのドレスに、前髪だけを斜めにピンで留め、長くつややかな髪の毛を背中に垂らして熱演だった様子も、目に焼き付いている。
今回と同じ曲なので比較が簡単だが、上記のブログ氏と同じく、当時は生硬な印象で、精一杯、膝を折り曲げたり、背伸びをしたり、顔中で音を代弁しているかのような形相で、ひたむきで真剣そのものだった。
音程が飛ぶ前には、オケが鳴らしている間、二三度、指で下練習をしていた姿も覚えているし、第三楽章の末尾近くでは、ピッチカートを大きく鳴らしていた。
終わると、ほっとしたような表情で、自らマエストロに向かって微笑しながら、握手を求めていた。
結局のところ、あれから9年後に、85歳でコリン・デイヴィス卿は病没された。つまり、これも一期一会であり、我ながら機を捉えたことに後悔はない。
今の庄司紗矢香さんのシベリウスは、さすがに経験を積み、当時のような初々しさは後退して、余裕のある弓さばきと、深く艷やかでまろやかな音色が鳴り響いていた。また、ボウイングが一部、当時とは違っていることも発見した。ピッチカートは、以前とは違って控えめになっていた。
衣装は映像でも見たことがある、ショッキングピンクが混じった臙脂色系で、ウェスト辺りに大きな蝶リボンがついたもの。今回の私の席は、三階のバルコニー席で、背後からしソリストを見ることはできなかったが、その代わり、右腕が筋肉質に大変太くなっていることにも気づいた。髪型も、乱れないように後ろに低くしばったシンプルなもので、落ち着いて音楽に浸ることができたのも良かった。

使用楽器は、上野製薬株式会社より貸与された1729年製ストラディヴァリウス「レカミエ(Recamier)」のためか、今回のシンフォニー・ホールの入り口近くのロビーには、背広姿の男性陣が勢揃いして立っており、終了後は、上野製薬のバスが送迎していた。
サンクトペテルブルクの楽団は、以前はテミルカーノフ氏が厳しく引き締めていたためだろうか、弦の音色が洗練されて繊細かつ細やかだった。だが、指揮者が交代した今回は、元気さが前面に出ていたり、マナーとしてもどうかと思う楽団員がいたりした。その代わり、楽譜は新品同様で白くきれいなものを使っていたことが、バルコニー席の三階からもよく見えた。

今回の日本公演スケジュールは、11月10日から11月18日まで豊田市、東京(文京シビックホールサントリーホール)、川口、佐賀、大阪、北九州と、移動だけでも強行軍だった。紗矢香さんは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲のみを、豊田市(10日)と東京(12日)と川口(14日)と大阪(17日)と北九州(18日)で演奏されたが、これまた体力と気力の鍛錬でもあろう。

会場は、一週間前のキーシンのピアノ・リサイタルのほぼ満員近くとは異なり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20181103)、二階席の中央は2割ほどしか入っておらず、バルコニー席も空席が目立った。
テミルカーノフ氏が降板という知らせが、かなり早くから通知されていたこともあって、キャンセルした人が出たのだろうか。

《プログラム》


シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調Op.47
[アンコール]パガニーニ:ネルコルピウ ノン・ミ・セントのテーマ(我が心はうつろになりて)


チャイコフスキー交響曲第五番 ホ短調Op.64
[アンコール]チャイコフスキーくるみ割り人形より「トレパック」

パガニーニのアンコール曲は、以前、テレビの『情熱大陸』でも部分披露されていたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070819)、私にとってはムローヴァの演奏が印象に残っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071107)。

CDはあまり売れていなかった。テミルカーノフ氏が若かりし頃の古い盤が並べられており、しかも有名な曲ばかりで新曲がなく、買うにはちょっと、という感じだった。庄司紗矢香さんの方は、テミルカーノフ氏との記念盤や、カシオーリ氏との色違い協演シリーズ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A5%AB%A5%B7%A5%AA%A1%BC%A5%EA)や、メナヘム・プレスラー氏との共演(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140325)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140826)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170716)のCDなどもあったが、生演奏で充分ということもあって、今ひとつ買う気がしなかった。
「サイン会の予定はない」と聞いたので、恒例の演奏会記念として買う必要もなかった。
その代り、パンフレットを500円で買い求めた。ここには、テミルカーノフ氏の80歳のお祝いとして、受賞歴リストが2ページにわたって綴られている。
さすがは旧ソビエトの人らしく、「人民芸術家」としての賞を度々受けている(1973年、1976年、1981年)のみならず、1983年には「レーニン勲章」まで受賞されている。また、ソ連崩壊後も、資本主義が怒涛のように流れ込んだ混沌の中を、たくましくしたたかに乗り切り、楽団を確実に率いてこられた。もしかしたら、度々の日本公演も庄司紗矢香さんの採用も、その路線で計算されていたのだろうか、とさえ思われる。
仮にそうだとしても、ロシア音楽に対して、庄司紗矢香さんが真っ直ぐな情熱を注ぎ込み、十代の頃からロシア文学にも没頭しながら、十数年にわたってマエストロ率いる楽団と共に世界各国で演奏活動を繰り広げられた軌跡は、同時代を生きる者として、同じ演奏会場で時間を共にした者として、この私も確かに共有の恵みに預からせていただいたのだ。
テミルカーノフ氏の自叙伝の邦訳『モノローグ』を読んでみたくなった。