ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

17年前の今日

今日は結婚記念日(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101116)。当時も今日のような温かく穏やかな天候だった。
京都の式場と披露宴の辺りをバスで回ってみたが、披露宴会場は、まだあのまま残っていた。改装して、もっと華やかになった模様。当時は、周囲の環境のために、自分達が大したことのないことをしていたように感じていたが、実は結構いい場所だったということを17年後の今、再認識する。
それにしても、京都の市バスは大声の韓国語と中国語があちこちで飛び交っていて、まるで自分の国ではないかのような感覚。誰だろうかと後ろを振り返って、目が合っても、そのまま平気で大声で喋ること、喋ること。ここは日本なのか、と何度も思った。なぜ、本国人の方が、自分の国でおとなしく静かにしていなければならないのだろうか。
この17年間に、主人側と私の家の両方で、亡くなった人々は計八人。主人側は、母方の祖母、伯父、いとこ、叔母、私の方は、父方祖父、母方叔父、母方祖母、そして父。つまり、出席者のうち、二人はもういないことになる。
「失われた二十年」とはよく言ったもので、映像で確認できる限り、1993年頃までは皆、服装もきちんとしていて、雰囲気が落ち着いていた。その頃までは、経済も何とか「先進国意識」を保っていられた。その後、「ジミ婚」などが流行し始め、虚礼廃止とばかりに崩れていった。そのような中で迎えた1997年。何とか自分達の力で、後々恥ずかしくないように、と計画。でも、学生時代に京都に住んでいた主人の伯父は、「二人だけでよくここまでやった」と褒めてくれたそうだし、父が亡くなってから、母方の叔母が、「あれからお父さんが二度うちに来られて、どういうお相手かを説明されたの。立派な式を挙げられたそうで」と言ってくれた。
確かに、主人の十数年来の病気のこともあって、私も不満が溜まり、時にはイライラして喧嘩することもあるが、落ち着いて振り返ってみれば、誰にも頼らずに生活をここまで続けてきたという意味では、もっと自信を持ってよいのかもしれない。
今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。