ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マサダ遺跡から考える

8年前、日本人旅団に加わって初めてイスラエルを訪れた時、遺跡や古い教会巡りの説明に、「イスラエルはここまでするのか」と、軽く憎々しげにコメントされた80歳ぐらいの牧師夫人がいらした。
誤解なきよう、その牧師夫人は、お年に似合わず、とても可愛らしくしっかりした明るい方で、昔の同志社を出ていらっしゃるだけあって理知的な聖書理解。ご主人の方が、お勧め本として、波多野精一『時と永遠』を紹介してくださったほどである。早速、中古で入手したが、確かに、学生時代に戻ったかのような、硬派で安心できる、繰り返し読んで熟考へと促されるような良書だった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071213)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080228)。
なので、その奥様の方が、決して左派の走りというわけではない。また、そのコメントは公の場で発せられたものであり、何も私がここで悪口を開陳しているのではない。
要するに、何度かイスラエルを訪問されてきた牧師夫妻なので、奥様にとっては、毎回、訪れる度にイスラエルが国として発展し、考古学的な発見と共に展示の説明が変化(充実)していくことを、(最初の説明と違うではないか。これは、外国人向けの一種の宣伝ではないか)と思われたようなのだ。
そのことを、今回の旅で、マサダhttp://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)の説明に関して思い出した次第である。その時にも、昨日コメント欄でご著書を紹介させていただいた国防総省(陸軍)勤務のシリンスキーおじ様(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150513)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150515)と真っ正面から会話した。
マサダ遺跡に関しては、シリンスキー氏のお父様がお仕事として関与されていらしたとのことで、その意味でも、私の問いは、単なる無知な日本人の質問とは解さず、よい返答を寄こされた。また、私にとっては、ズービン・メータ氏のご著書で、ここでも演奏活動がなされた地として記憶に新しい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141114)。
私の問いは以下のようである。
イスラエルでは、公認の観光ガイドは皆、政府からかくかくしかじかと説明するように、などと指導されているのですか」「例えば、前回、私がマサダに来た時には、これはあったけれど、あそこはありませんでした。つまり、新たな展示と説明表示ができているのです。それでも、最初からあったかのような説明になっています。どう思われますか」「日本人の中には、イスラエルに来ると、あまりにも自国説明が上手なので、それもイスラエル側のプロパガンダだと批判的に解釈する人もいます。どうお考えになりますか」「この遺跡は、修復されているのですか」。
それに関しては、概ね、次のようなお返事であった。
「どの国でも、観光業は重要である。いかに自国をうまくアピールしていくかが、経済を潤す元にもなり、世界で自国の存在を上昇させる鍵ともなる。イスラエルだけが、特別なことをしているのではない」「イスラエル政府が観光ガイドに説明指導をしているかどうかは、自分にはわからない。ただ、我々のガイド氏は、非常に知識が豊富である」「考古学の発見によって、新たに説明が加わるのは自然ではないか。プロパガンダだという批判は、アメリカ人には少ないが、ヨーロッパ人がよく言う」。
最後の「修復」に関しては、特にお返事はなかった。他の遺跡を巡った時もそうであった。なぜなのだろう?
マサダと言えば、最初に訪問した際、イスラエル在住期間の長い日本人公認ガイド氏が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121117)、声を震わせて感動を込めて、ユダヤ魂について熱く語られたことを思い出す。特に、配布したパンフレットをしっかり開くように、と私が注意されたことまで覚えている。(私としては、パンフの解説よりも、熱のこもったガイド氏の表情の方が感動的だったので、パンフよりガイド氏の顔を見つめていただけだったのだが、ガイド氏にちょうど疲れが出てきた頃だったためだろうか、やや行き違いになった。)
異民族(ローマ)の支配に対して頑強に抵抗したユダヤ魂とは、日本ならば、自分の藩や国を守るために体を張って戦った侍魂に相通ずるものだと、この辺りは私でもよく聞く話である。実は、シリンスキー氏も、全く同じことを私に言ったのだ。「マサダについて、侍と比較して記事を書いてご覧よ」。
そこで、いささか斜に構えた天邪鬼精神も持ち合わせている私、あっさりと切り返しを。「残念ですけど、その話は、特に目新しいものじゃないんです。もう日本にあります」「それに、ユダヤ人の場合は、第二神殿崩壊後、自分達の土地から出て世界中に散らばりました。日本人は、ずっと国土を保持しています」。
「あ、そうか」と、そこはさすがにインテリジェンス担当だけあって、わかりの早いシリンスキー氏。あっさり引っ込まれた。
とにかく、あしながおじさまから贈っていただいた大量の聖書学やイスラエル考古学や聖書思想に関する硬派の古い書籍に触れておいたことが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081229)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090923)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090926)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150513)、ここでも役立ったことだけは確かだ。特に池田裕先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070629)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070701)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070710)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070714)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070715)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070805)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070831)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071008)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071206)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071212)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080406)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080407)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080426)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081202)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081229)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)や月本昭男先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070706)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090926)のご著書は、直接間接的に、本当にありがたい。また、現在のイスラエルにおいては、マサダユダヤ人のアイデンティティの象徴と位置づけられているとの説明だった。ここは、我々の今回のガイド氏(ホロコースト生き残りの二世だと最初に自己紹介された)も、非常に熱を込めて、バスの中で追加説明をされていた。
冒頭の話に戻ると、確かに、イスラエルのしていることが当然のことであっても、なぜ殊更に歪んで解釈されることがあるのか、興味のあるところである。
ところで、一人で行くには危険がありそうな国の旅行は、どうしても団体に参加することになる。その方が効率もよく、安全だという理由からなのだが、どのグループを選択するかが、旅の善し悪しともつながるので、年齢相応、自分の趣向を充分把握していなければならない。いくら何でも、イスラエルを日本女性が一人で回るなどとは、常識的に考えて無謀過ぎるので、私は避ける。
しかし、マサダなどで周囲の様子を見ていると、スペイン語や英語やアジア系の諸団体など、見るからにガイド氏の説明が、団体のレベル相応であることにも気づいた。
概して、メンバーが才気煥発で質問を積極的にしている場合、ガイド氏も相応にレベルが高い説明をされる。一方、ロープウェイの乗り方でさえもたついているようなグループは、ガイド氏の顔も、それ相応であった。
それは、1999年8月に、マドリードプラド美術館に行った時も感じたことである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080202)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080712)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090728)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)。独習だが、私はスペイン語を中級まで合格していたので、主人と二人きりで行って自由に眺めていた。そこへ、たまたま近くにいたスペイン女性のガイドさんが、実に流暢な日本語で、キリスト像の説明をされていたのに遭遇したのである。じっと聞いていると、確かにこちらの気づかなかった細かい解説であった。(ところが、そばに立って耳をすませていたら、「このグループのメンバーではないですから、ご遠慮ください」と注意されてしまった。タダ聞きはダメということである!)
マサダ解説に戻ると、プロパガンダ批判の当否を決定するための私の次の比較材料は、近くの京都観光の団体ツアーを観察することである。つまり、一時間以内の地理的距離に住んでいる地元の日本人の私が、外国人観光客に混じって、どのように京都の主な場所が説明されるかを、一日観光ツアーにでも参加して観察しようという試みである。
実際には、事前に「パスポートをお見せください」で断られてしまうかもしれないが、やってみる価値はありそうだ。
地元人にとっては、学校では習ったことのない、盲点を突く上手な説明が展開されているのかもしれない。それもまた勉強である。
私にとっては、パイプス先生が時にうんざりして嘆かれているように、「イスラエルだけが特別なことをしているわけではないのに、なぜイスラエルだけが突出して批判の的にされやすいのか」という理由を探ってみたいだけである。
民族史としての伝統は日本以上に長いが、近代になって中東の元の地に世界中から帰還して、現代国家の一員として活発に前進してきた国だけに、近隣諸国に比して何かと軋轢を生みやすい点が、イスラエルの悩みなのであろう。しかし、そこまで世界的に注目を浴びる国というのも、我々人類が共有して褒め称えるべき、類い希な魅力の源泉である。