国土と民族のアイデンティティ
何度も演奏会に足を運んで実際にお目にかかっているので書けることですが、クラシック音楽の場合、作曲家や曲の背景によっては、いくら技術としては文句なしに演奏できるとしても、演奏会を開く国によって政治的に歴史的に興行的にタブーとなるケースがあります。また、プロとしての訓練を受けた演奏家であっても、国情によっては心情的に演奏不可能な場合があるそうです。そういう点で、しがらみのない日本や日本人は有利だと庄司紗矢香さんは考えていると過去のインタビューで読んだことがありますし、実際におっしゃっていました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131101)。
確かに、悪く取れば「変わり身の早い日本人」ではあっても、「あらゆる状況に対して柔軟に器用に対応できる日本人」という見方もできるわけで、第二次世界大戦後のめざましい復興と国際社会に対する一定の貢献は相当に評価されているようです。日本という国全体と国民に対する信用度が、日本国パスポートの有効性にもつながるのだと、金美齢氏の本から教わりました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131101)。だからこそ、混沌としたここ二十年ぐらいの日本を嘆き叱咤して、何とか挽回せねば、というところなのでしょう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131027)。
研究テーマ上のまともな資料がなく、本来追求したかった内実以上に単純な問題そのものがだらだらと長引いてちっとも解決しないために、マレーシアのような国と予想以上に長く関わる人生になってしまいました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090704)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131019)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20131015)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20131031)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20131102)。着任当初の1990年代前半は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120626)、日本軍政時代の記憶が実体験としてまだ残っていた上に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130926)、経済の高潮期だった日本と現地との生活格差から言動上では遠慮せざるを得ず(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131004)。かといって、ちょっとイスラーム経済と中国の拡大によって生活が突然に上向くと、インターネットなどで情報が入ってきて自信も出てきて、2000年以降は、日本のことを深くも正確にも知らないのに、途端に威張り出す人々が出て不愉快になったり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130902)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130209)......これが世界情勢の一端というものなのかもしれませんが、どうにもこうにもやり切れません。
個人としては親切にしてもらったり、いろいろと学ぶ点があったとしても、マレーシアのような、多様で流動性があっても平板な文化とは、私は気質的に合わないのです。それに、キリスト教宣教師の西洋優位はとうに崩れ、今では日本を除くアジア諸国出身が「キリスト教宣教師」の多数派を占めているのだそうです。この「日本を除く」がポイントで、それこそ、私の学生時代に頻繁に話題となっていた、「アジアと日本」なのか「アジアの中の日本」なのかの分かれ目だと思います。
明治以降、知的にはキリスト教を高度な部分で吸収しつつ、社会の上層知識人の中にもキリスト教指導者を生み出し、社会における一定の影響力を及ぼしたものの、その実践と文化的な広まりにおいては良くも悪くも限定的であったのではないか、というのが私の見解です。だからこそ、キリスト教会の人口を増やすために、教会の門を叩く女性と見れば「女駆け込み寺」をまず想定し、悩み事相談を絡めたカウンセリングとドッキングする方策が取られたのではないか、と。それ以外のケースは対応ができないために「強い人はお引き取りください」と遠慮されてしまう。それに、1968年以降はマルクス主義的な思想が入り混じった左派動向が神学上も主流になり、従って、「そのような話にはついていけない」人々が続出したのではないか、と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071028)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071029)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110808)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110819)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110822)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110902)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110903)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120707)。
キリスト教の土着化という話題がよく出ます。しかし、聖餐式を葡萄酒(葡萄ジュース)とパンから、日本酒(お味噌汁!)とご飯にしようなどという極端かつ形式的な論が出てきたり、信徒でなくても「皆さんどうぞ」と無責任に拡大することが善だと唱えてしまったりするなど、変な話が続出(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110826)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110827)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110830)。あるいはキリシタンのような生存を賭けた混淆でもありません(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090224)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090225)。本来は、日本史の主流に基づいた精神的な文化的なものが自然と表出されているのが「土着」の意味ではないかと思うのです。聖書講釈のみの無教会は確かに独自性と高度な実績がありますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071109)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071218)、しかし儀式とはいえ、単なる形式ではなく、聖書的に深い根拠と意味があることは事実。その意味で、いずれは消滅していくであろう不毛な議論には関わりたくなく、距離を置いているというのが私の現状です(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080206)。
今春、耳にしたところでは、今の牧師は年収200万から300万円(住居および生活費や税については不明)で、それでは子どもを抱えた普通の生活さえおぼつかないのだそうです。しかし、「それでも招聘したいという教会があり、そういう場で奉仕したいという牧師がいて、だから福音とは何なのかが問われる」と、牧師資格も有するその教授はおっしゃっていました。そのようなやり方では、恐らく韓国や中国語圏(香港やシンガポールやマレーシアなど)を中心とする、経済的にも裕福で活気溢れたアジアの教会とは折り合えないでしょう。ある場合には、相手は足下を見て、いつまでも戦時中の「日本軍の悪行」について、聖書の一部を引用し、ドイツの例を表面的に都合良く引き合いに出しながら、謝罪を執拗に求めてくる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20131016)。あれほど政府としてもすべきことはしてきたのに....。日本側は和合したいばかりに、そして、少数派だからこその見識の偏りと無知から、ついそちらに引きずられてしまう。それによって波立てずに収束に向かうのではないかと期待しながら....。しかし、果たしてそれでよいのでしょうか?
前回のブログの話題に戻りますと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131101)、二重国籍はうらやましいというよりも、忠誠を誓うアイデンティティ上、面倒で厄介な側面も含み、必ずしも居住や労働許可上の利便性だけではなさそうだ、というのが私の勝手な印象。でも、今後の東欧が反ユダヤ主義を根源から克服し(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120827)、現在蔓延中のイスラミストの脅威も減っていくのであれば、ビジネスチャンスとして活路を開く上では一つの道かもしれません。大学などでは、ユダヤ共同体の過去の遺産の再評価および継承が2000年以降始まっているそうですし、結局のところ、きちんとプラスの貢献をしていれば、いくら想像を絶する悲惨な目に遭っても、巡り巡って再び受け入れが進むということなのでしょうか。
とはいえ、ロシアの動向も気になるところですし、東欧の生活水準が実際にはどうなのか、まだ判然としません。
イスラエルとアメリカの二重国籍ならば想像が容易につくところでしたし、イスラエルと欧州の往復生活も、私にとっては何らショックでもありません。確か、フランス系ユダヤ人の女性教授から、2009年の会合で「週末にはイスラエルに飛んで過ごし、普段はフランスで働いて暮らす」というライフスタイルがあるともうかがいました。
ただ、アメリカ国籍と東欧ルーツを根拠としたEU国籍の二重取得となると、あまりにも生まれ育ちによる損得が明確過ぎて、どうなのかと思ってしまいます。ホロコーストで家族を失い、パレスチナしか行き場がなくて、たった一人でイスラエル建国に汗水垂らして労した人々も少なくない中(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131030)、人脈上、ナチ・ドイツの軍事情報にも通じていたため、事前に何とかうまく難を逃れてアメリカに渡ることができ、大手を広げてユダヤ難民を受け入れた当時の米国政策とも合致して、人並み以上の努力と幸運も相まって極めて恵まれた業績と名誉を享受することができた家系が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130105)、ホロコーストの克服が進むとなれば、また曾祖父や祖父母の出身国で便宜を図ってもらい、孫やひ孫の代はチャンスを広げていこうとする、と。もっとも、今後どうなるかは不透明ですし、成功するかどうかはまた別の話ですが。
もしイスラエル国籍ならば、海外に居住していたとしても兵役義務があり、子ども達がどの部署に配属されるかによって人間関係もその後の人生もほぼ決定されてしまいます。また、いくら頭脳部門に振り分けられたとしても、命が狙われる可能性は今でも常にあり、聞くところによれば、今のユダヤ系イスラエル住民は、ホロコーストあるいは自爆テロの関係で、家族や親族の中に一人も難に遭ったことのない人々はいないのだそうです。そして、アラブ諸国が武器調達に賢くなるとすれば、イスラエルとしては、これまでは勝ったとしても安穏としてはいられません。だからこそ、アメリカという大国から、同胞のために「イスラエルが勝利すべき方策を考えて提供する」ことを生涯賭けた使命だと考えて、幅広く言論活動でアピールされていたのかと理解していたのですが。
一方で、平和教育や帰還による同化統合が進み、アラブ系とも何とか共存を進めざるを得ず、日本を除くアジアとの交流が進展するとなれば(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130923)、イスラエルも「中東における西洋由来の国」というアイデンティティを保持し続けることが事実上困難となり、ならば欧州へのムスリム脅威を世論に訴えながら、軸足を欧州の元ルーツに移しておこうという戦略なのかもしれません。
間接的とはいえ、個人的に確かにつながりがあるので、この度の突如のお知らせには再び驚いて少し考えてしまったのですが、結論としては、個人として付与の条件を最大限生かして有利に人生を運ぼうとするしたたかさには、改めてびっくりです。事情は充分に理解でき、個人の選択には口を挟むつもりがないものの、それでは言論上の責任感はどこにあるのか、そのノリで国外での戦争を考えてもらっては困るではないか、という気持ちが抜けきれないのは、私が世間知らずでウブな証拠でしょうか。
幸いなのは、その市民権取得の国が伝統的に親日だとされていることです。相変わらずぶっきらぼうで詳細抜きに唐突だったので、何とも驚かされますが、もしかしたら、その連想で教えてくださったのかもしれません。私個人には何ら影響がないため、単純に「深読みし過ぎたんですね」とお返事しておきました。