ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

‘落武者’先生が日本へ来た?

...ということが、七年以上も経った昨日になって判明した。
私としては、その先生のおかげで、アメリカの名高い機関の図書室で資料閲覧させていただく道を開いていただいたこともあり、何とも心苦しいところだが、事実は事実だから仕方がない。それに、私がその当事者でもない。
むしろ、数年前に最終講演を聴いた時、何とも言えない不愉快さ、失礼さを覚えて、(四年間も日本に住んでいらして、どうしてそのような浅薄な日本観察しかなさらないのだろう?)と不思議だった。つまるところ、簡単に一言で述べれば、「一神教アメリカの方が非一神教の日本よりもよい」という結論だったのだ。そこで私は、メールで反論した。「もし、四年間も滞在した末に日本をそのように捉えられるならば、まずは日本語文献を読むところから始めないと、そのような結論に至れないのではないでしょうか?」と。
でも、お返事はなかった。それまでは、研究テーマや購読ジャーナル文献の神学動向に関する質問(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091016)や図書館利用の問い合わせなどから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080414)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080418)、私のような存在を喜んでお世話する、という態度だったので、意外でもあったのだが、自分がよそ者なのに出過ぎたことをしたためか、とも思い直し、無理矢理反省して、納得するようにしていた。
ところが、昨日調べ物をしていて、唐突なことに、意外な事実が浮かび上がってきた。つまり、日本において(失礼だな)と日本人が感じたことは、アメリカでも、ある共同体にとって失礼だったということなのだ。結局のところ、確かに有能でキャリアを人並み以上に築き上げ、「初の」という形容詞がどこでもつくぐらいのパイオニア精神溢れる方なのだが、どうも人望に欠けるところがあったらしい。ある重要な選挙で落選した結果、「皆が驚く」来日を果たすことになったのだった。その直接原因は、主張に相反して、黒人やヒスパニックからの支持を得られなかったこともあるが、その二、三年前には、普段はイスラエルのことなど無視しているかのようなユダヤ共同体までもが、その先生の投稿文を読んで驚愕し、口角泡を飛ばして反論した事件も発生していたのだった。
実は私は、ユダヤ共同体の反論事件は、2005年8月頃から知っていた。その頃に作成したファイルに綴じ込んだ、メモやインターネットの印刷資料もある。
「初」快挙で鳴らしてこられた先生に対して、正面から徹底抗議し、異議を唱えた男性編集者の方は、実は「先生」こと「友達」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140607)と親しい関係にある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120707)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130415)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130919)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130925)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20140216)。そのこと自体は、知り合った二年前頃から、好意的な引用文が幾つかあり、一緒に並んで会合のパネリストを務めている映像からもわかっていたのだったが、論争になった対立点は理解できても、なぜ「初」快挙の連発先生がそういう投稿文を書いてしまったのか、そして、それがアメリカのユダヤ共同体にとって、いかに危険な発言なのかの具体的な証拠や根拠までは、当時はなかなかわからなかった。
今では、びっくり仰天している。とんでもない発言だ。歴史家ならば、世界史というものを、どのようにお考えなのか、基本的な見識を疑うとは、このことだ。
さらに、あれから16年も経った今年の2月に、また別の男性教授が、当時を思い起こして書いた小エッセイがある。今でも波紋が尾を引いている、つまり、幕引きしていない大事件だったということだ。

だが、選挙の落選のことは、昨日まで知らなかった。ましてや、お迎えした側の日本の大学の説明では、アメリカでは著名で優れた先生だということで、発言の一言一言を権威を持って受けとめる以外にない、という雰囲気でもあった。
お世話になった私にとっては、いろいろな意味でよい経験をさせていただいた、ということでしかないのだが、私の家系や生まれ育ちからして、思想的にどうも相容れない面が多いことに徐々に気づき、納得しがたかった。だが、それは私の考えが狭いせいだとか、勉強不足だからだと思い込んでいた。
ところが、七年も経って、必ずしもそうではないらしいことがわかってしまったのだ。
もちろん、大きく分ければ二つのイデオロギー対立が激しいアメリカ国内において、先生に対する支援者や賛同者もいることは確かだ。その証拠として、数多くの論考文がコロンビア大学関連の神学図書館のアーカイブに収められているという長いリストを、これまた昨日見つけて調べたところだ。この神学校は、マレーシアの知り合いが申命記の研究で博士号を授与されていたので、知らないわけではない。(これによって、またもや、アメリカでリサーチ・コピーする必要性が出てきてしまった!もちろん、ごく一部だけであるが。)ただし、もう現役時代までにとどめているようで、リストはほぼ2001年までで終了している。つまり、私がお会いした時期は、「おまけ時代」という位置づけになる。
昨日は、上記の事柄に関連して、イデオロギー上の思想の系譜とその問題点を、ハイエク中心に描いた資料を見ていたところ、いろいろと暗澹たる気持ちになった。私は、日本で表層的に「新自由主義」だと誤解されているハイエクではなく、翻訳書『致命的な思い上がり』『隷従への道』を読んだ末のハイエク支持者だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110523)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110830)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120314)。そして、「先生」こと「友達」も、ハイエクに影響を受けていると、1997年のインタビューで述べている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)。だが、大学やメディアを通して、これほどまでに混乱がもたらされ、ひいては破壊的な方向へ引きずられている時代と機関に、この自分も位置していたのかとわかると、繰り返しになるが、改めて愕然とする。
一言でまとめると、伝統や歴史を尊び学ぶ、現実主義に立つ真正保守以外は、福祉であれ、正義論であれ、男女平等であれ、女性の社会進出であれ、社会主義であれ、人権思想であれ、いずれは全体主義ないしは権威主義あるいは便宜主義に陥るということだ。
ともかく、日本の私にとって接触のあった人間関係が、2007年3月頃に記した「イスラエル・ノート」から太平洋を越えて遥か遠くの雲の上だと思っていた「先生」こと「友達」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120609)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130503)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140205)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140509)と、実は直接かつ深い連関があることに気づく度に、畏怖の念を覚える。それは、私の努力や意図やコントロールを遥かに超えた現象だからだ。驚きと同時に、人間存在の深淵に触れる一種怖いような感触なのだ。
そのことを三日前にメールで伝えると、「理解するし、僕も共有する感情だ」と、即座にお返事が来た。

PS:世間的には、自他共に認めるほど優秀でサクセス人生のように見える「初」快挙連発先生の何が間違っているのか、なぜ私が最終講演を聴いて「失礼」だと感じたか、何がアメリカのユダヤ共同体をそこまで怒らせ、十数年後の今も尾を引いて語られるのかに関して、その根本理由を聖書から引用する。

出エジプト記:23章3節「弱い人を訴訟において曲げてかばってはならない」
レビ記:19章15節「弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない」
(以上、日本聖書協会『新共同訳』から)