ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

表面だけではわからないこと

エルサレムのレヴィ君から(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121202)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)、最近の訳文掲載の遅れについて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120926)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121005)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130125)、謝りはしないものの、その自覚があることと、たまっている数本については「土曜日の夜」の時間を捧げる、だから新たな訳文があれば送って欲しい、とまで書いたメールを受け取りました。
昨年、新たなビジネスを始めて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121026)、アメリカ人の奥様やアメリカ国籍の三人のお子さんとの家庭生活もあることだし、いろいろとお忙しいのだろうと思い、この頃の私は催促も一切していませんでした。
ただ、「土曜日」と聞いてシャバット(安息日)を思い起こし、「イスラエルではシャバットではないかしら?どうぞ宗教義務を優先してお守りください」とお返事しました。するとすぐに「心配しないで。シャバットは金曜日の日没から土曜日の星が出る時までだから」と。こういう点、パイピシュ先生よりも親しみやすくてコミュニケーションの取りやすいレヴィ君なのです。
カナダ移民のユダヤイスラエル人であるレヴィ君は、フェイスブックには「正統派」であると明記し、名字が祭司系統で、(聖なる)エルサレムに住み、パイピシュ先生も、昨年のヨム・キプールの頃には、「自分は律法を遵守しないけど、彼は遵守する」と書いてこられましたから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)、非ユダヤ人の私として敬意を払ってのことでした。ところが、案外に彼の方も心得ていて、宗教としては守るべきことは守るけれども、必要以上に非ユダヤ人に負担をかけまいと気を遣ってくれているようなのです。
ユダヤ人について言及のある日本の書籍などは、筆者のアングルを通して描かれているので、ある場合には非常に宗教的なケースがあたかも民族代表のように取り上げられていたり、ある場合には、実は当該社会の中でもマージナル・ケースだったりすることもあります。イスラエルに3年間も在住していた日本女性の某ジャーナリストなどは、明らかに安息日に対して「これでは時代遅れも甚だしくて生活に困難を来す」と言わんばかりに批判的でしたが、何のことはない、実情はこうなのです。そうでもなければ、敵国に周囲を囲まれつつも、驚異的な発展を数十年で遂げるだけの活力がつぶれてしまいます。どうも日本で出回っているその種の本は、筆者がたまたま主流逸脱者なのか、それとも当該地で主流逸脱者としか付き合ってもらえなかったのか、疑問に思います。
ともかく、こういう関係が保たれている限り、宗教や国籍や民族が違っても、相互理解や相互交流もうまくいきそうですね!
ところで、パイピシュ先生のお父上のリチャード先生の回想録“Vixi”を読んでいたら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130312)、とてもおもしろいことがたびたび書いてありました。
率直な記述なので、ポーランドの同化ユダヤ人としての恵まれた中流階級(チョコレート工場を経営するビジネスマン家庭)の教養ある豊かな生活ぶりも垂涎のことながら、ナチ・ドイツによるポーランド侵攻を機に、イタリアとスペイン・ポルトガルとカナダ経由でアメリカに渡られ、右も左もわからないまま、本を見て自分を受け入れてくれそうな高等教育機関を探し、オハイオのカレッジでも、勉強の傍ら、アルバイトをして学費の足しにしたり、奨学金を受け取ったりするなど、自らたくましく人生を積極的に切り開くお姿に感銘を受けました。戦時中だったので、余計に必死だったということもあるのかもしれませんが、文字通り新天地で前向きに生きる姿勢は、今の我々にとっても学ぶところ多いはずだと思います。
だからこそ、壁をつくってでもパレスチナ人との距離を取らない限り、数十年経ってもまだ援助にすがって生きているばかりか、自然減で縮小するどころかますます増大する難民共同体から、相手をののしり憎悪し殺害しようとする人口が押し寄せることでイスラエル国家が崩壊するかもしれないという懸念は、理屈でも差別でもなく、極めて真っ当な現実感覚なのだと改めて思わされます。
ところで、ダニエル先生について、悪口を放ちつつも「彼はハンサム・ビーストだからね」と書いてあるコメントがある英語サイトがあって笑わされます。お父様のリチャード先生も、今はさすがに好々爺風ですが、お若い頃はなかなかキリリとしたハンサム・ボーイ。
特におもしろかったのが、アメリカの女性は欧州の女性よりもかなり不安定だという記述(p.44)。ポーランドでは、女性との関係はもっと和気藹々としたもので、アメリカのように、たった三度デートしただけで女性から結婚についてどう考えているかを問われるなどというようなことはなかったらしいです。
例えば、奥様のアイリーンさんでも、コーネル大学で知り合い、四人でグループ交際し、お互いの背景がそっくりなことから惹かれ合ったものの、友人として付き合い始めて二年経つまで、一度もアイリーンさんの方から結婚など口にしたことはなかったそうです。「アメリカ人の女性は、極端に熱心に男を喜ばせようとするが、欧州女性は、男が自分を喜ばせることを期待する」(p.44)という箇所には笑ってしまいました。そして、1960年代の「フェミニズムのバカさ加減」は、単にこの不安定を強調しただけだ、と。その点では、アメリカ人は欧州人よりも個人の自由をあまり享受してはいない、とも添えられていました。
こういうハッとさせられるような新鮮な記述を随所に見出せる点が、リチャード先生の回想録の醍醐味。実はそれほど興味のなかったアメリカに関して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120312)、従来、私がたまに目にしたアメリカ動向の紹介本には、フェミニズムにしろ、政治的公正さにせよ、「アメリカではこうだから」と、ヨコをタテにしただけで日本に直輸入せんばかりの勢いの記述が目立ったように思います。しかし、リチャード先生もダニエル先生も、そこはしっかりと欧州伝統を引き継ぎ、アメリカに感謝し、アメリカに尽くしながらも、誰にでも表面的に気前よくするアメリカ人の底の浅さ、多様な背景を持つ移民社会だからこその不安定さに目を向け、間接的に指摘されている点が興味深く思われます。(とはいえ、アメリカ生まれでアメリカ育ちのダニエル先生、確かにお父様の薫陶を受けつつも、ご自身のプライベート・ライフでは、かなりアメリカ風潮に染まっていらっしゃる面も見受けられます。)
アメリカ人の不安定さと言えば、桐島洋子さんの『淋しいアメリカ人』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120313)を即座に思い起こしますが、二十代の頃、クアラルンプールの書店で見つけ、気分転換と英語の勉強のために読んでいたペーパーバックの本などから、確かに日本基準から見れば単純過ぎるような出会い演出と、少し交際をするとすぐに結婚話へ直結という即物性に気づかされました。その点、日本の習慣であるお見合いは、安定した関係を築く上で、決して悪くはないとも痛感した次第です。考えてみれば、お見合い結婚は、世界を広く見渡すとよくある話でもあるのですが....。要は、出会い方の違いであって、大事なのはその先の生活そのものの内実にあると思います。