ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

「世界は笑っているだろう」

マレー語のキリスト教文献で、神の名に‘Allah’を用いることを許可するか否かを巡る裁判が、去る10月14日にマレーシアで開かれました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20131015)。
ムスリム多数派国で連邦宗教をイスラームとするマレーシアのやることですから、結果は予想されたようにキリスト教側の敗北。当然のことながら、もちろん、キリスト教共同体にとっては全く筋の通らない理不尽な判決でもありました。
1990年初頭から本件に気づき、研究発表を続けてきた者として、いい加減飽き飽きしてきましたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%A1%D8%A5%D8%A5%E9%A5%EB%A5%C9%A1%D9)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BF%C0%A4%CE%CC%BE)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Allah)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Allah&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Allah%22&of=500)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Allah%22&of=450)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Allah%22&of=400)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Allah%22&of=350)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Allah%22&of=300)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Allah%22&of=250)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Allah%22&of=200)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Allah%22&of=150)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Allah%22&of=100)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Allah%22&of=50)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/archive?word=%22Allah%22&of=0)、最も賢明な態度は騒動に関わらないこと。私の場合は、文献資料を集めて、関係者の話を聞いて、現場を直接観察して、非ムスリムの立場に立って論述することだけが、自分にできる仕事だと思っています。今回も「戦略的沈黙」を適用すべし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130925)と実践していたつもりが、何とフェイスブックその他を通して、私の過去の英語論文や英語ブログが、若手ムスリム達にマレー語での討論資料として引用されていることを昨日知りました。それに、ノルウェーに留学中の華人牧師(ルーテル派)が、アメリカや英国出身の1980年代90年代の宣教師学者の仕事に加えて、私も実名を挙げて紹介してくれたのです。(ですから、旧姓も並べて表記しているのです。フェミニスト主張ではありません(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130402)。)
パイプス先生の影響なのか、今ではストレートに表現するようになった私ですが、この頃、東アジア情勢のこともあって、華人もマレー人も私みたいな者のことを見下げて怒っているのかな、と思いきや(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130209)、その牧師さん曰く「あなたに同意しているよ」と。持つべきものは友。
何と言ってもマレーシアのキリスト教共同体は狭いですから。それに私の場合、マレーシアとのご縁も、自分で望んで選んだわけではなく、いわば成り行き上という経緯ですし、滞在中、特に何らマレー人とのトラブルはなかったはずです。ブログに書いていることも、公表された事実および自分の経験に基づくものである限り、問題になるはずがないと思います。コメントはシャットアウトしてありますし、フェイスブック利用も、リサーチ目的と訳文作成の参考までに限定しています(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101221)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101223)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130521)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130930)。そして日本では、今のところ関西の小さな町で、学会発表以外はひっそりと静かに、クラシック音楽を聴いたり本を読んだりして、至極まっとうに暮らしているだけです。知的探求以外、余計なトラブルに巻き込まれたくない、というのが私の願いなのです。
しかし、冒頭の控訴院(アメリカならば高等裁判所に相当)での判決に、何と裁判官の一人(ムスリム)が、ダニエル・パイプス氏のウェブサイトを誤用して、間違った判決の証拠の一つに挙げていたのにはびっくり仰天。ご本人にも、念のためお伝えしてあります。
「世界は笑っているだろう」というのが、別のマレーシア華人クリスチャン指導者の言。本当に、私も呆れて物も言えないというのが実感。