ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

七夕の日に寄せて(2)

かくして二年半ほど(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)、本ブログで、ほぼ毎日のように飽きもせず、無償ボランティアのパイピシュ応援団を買って出ているのだが、その効果はいかに?
ここで、熱心な読者の方達へ、ちょっとした秘話をご披露しよう。
(1)表に表示される数値と、実際のアクセス数を記録したデータベース上の数値とは、実は一致していない。そして、本ブログおよび拙訳(http://www.danielpipes.org/languages/25)も含めて、表向きは賛同者もコメントも皆無であるように見えながら、実際のアクセス数は、私の予想を超えて、毎日相当以上ある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)。
(2)つまり、フェイスブック上の「like」数は、実際のアクセス数や支持者数を反映しているとは言えない。これは、今年の6月30日付でプロバイダーの都合で閉じられてしまった私の英語ブログでも同じで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140701)、実は解析データを見ると、表示されていた数値を何倍も上回るアクセス数があったのだ。
(3)4月にパイプス先生が自らおっしゃったのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)、これまで、私以外にも会ったことのある翻訳者は、数名いらっしゃるそうだ。国名(言語名)を具体的に列挙された。フランス語の場合、フランス本国とスイスとベルギーにまたがって訳者が存在する(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130620)。海外のみならず、ロシア語や中国語など、アメリカ本国に在住の翻訳者も何人かいる。また、会合などで海外出張する際に、現地の言語の翻訳者に会った、ともおっしゃった。例えば、インドなどがそうである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131206)。
(4)日本語以外の翻訳は、全部(2012年の私宛メールでは「ほとんど全て」と書いていらしたが、お会いした時には「全部」とはっきり明言された)、訳者の方からの申し出による(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120607)。日本語だけが、パイプス先生からの「特別の頼み」で始まったとのことだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130524)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)。
(5)興味深いことに、訳出された言語の本数は(http://www.danielpipes.org/languages)、必ずしもアクセス数と比例していない。例えば、2005年から始まったというデンマーク語(後注:データベースで調べてみたところ、正確には2004年10月)やスウェーデン語やヒンディ語などは、今日付で日本語の訳文数432本を遙かに上回って、それぞれ550本、630本、590本プラスアルファの訳文数が保持されているのに、実は、現在の毎日のアクセス数は常に日本語以下、時にはデータベースの数値に表れないほど低い。中国語は2007年半ば(後注:データベースで調べてみたところ、正確には2005年1月)から始まり、訳文数が715本もあるのだが、その勤勉さと話者総人口数に比べて、いつでも日本語を遙かに下回るアクセス数である。
つまり、二年数ヶ月前に突然、ご依頼によって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)、(え?中東は私の専門じゃないのに?)と、びっくり仰天しつつ、もたつきながらも始めた邦訳の方が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120606)、実は(1)のアクセス数のデータベースによれば、しっかりとG7をキープしている毎日なのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140612)。
(6)勝手な意訳を避けて、あえて意図的に直訳風に訳しているために、いささか読みにくい拙訳ではなく、直接オリジナルを英語で読んでいる方達も、日本にはいらっしゃるだろうと思う。そのデータベースも、パイプス先生はお持ちのはずだ。
(7)欧州言語を相互に平等に扱うようになどとEUは規定しているらしいが、翻訳や通訳の費用が馬鹿にならず、能率の悪いことこの上ないと、長らく耳にしていた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140627)。EUの活力低下は、恐らく左派思想に基づくのだろうと私は長らく思っているが、このことは、パイプス公式ウェブサイトの訳文データからもうかがえる。
(8)欧州言語でも、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、ロシア語は、毎日よく読まれている。これは、①言語人口数と国の地位 ②中東との歴史的関わり ③国内でムスリム問題を抱えているという事情 ④社会文化的にキリスト教圏 ⑤少数派だが活力あるユダヤ人口を保持している/していたこと、がそれぞれに組み合わさって反映されているからだ。特にスペイン語とイタリア語は、紙媒体での出版も併行しているため(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130524)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140625)、安定供給といったところである。しかし、それ以外の、ポルトガル語を除く北欧、中欧、東欧などの諸言語は、翻訳数がかなり出ていても、読者アクセスが著しく低い。もちろん、日本語以下である。
(9)日によって変動が激しく、案外に読者数が突然増えるのが、ウルドゥー語ペルシャ語である。しかも、かなり古い論考文が今頃になって読まれている。多分、過激派ムスリムの一部か、イスラーム共和国政府のお役人が読者なのではないかと、私は想像している。
(10)以上から考察すると、日本語の訳文の位置づけは相当にユニークであり、他のアジア言語、特に訳者がアメリカ在住だという中国語訳などとは、全く異なった様相である。

実は今年の夏は、パイピシュ先生のオーストラリア旅行はお休みとのこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120815)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120830)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130828)。毎年ずっと、季節が逆になるこの時期、周囲のアメリカ人が夏休みで遊んでいる間に、学生のサマースクールよろしく、ニュージーランドやオーストラリアで、テレビ・ラジオ出演と大学や研究所でのご講演など、継続してお仕事をしていたようだ。でも、さすがに昨年は「いつまでこのようにお招きいただけるでしょうかねぇ」と冒頭で述べて、会場から笑いを誘っていたし、映像を見ると、年を追う毎に、徐々に時間が短縮されていることにも気づいていた。
お父様(愛称パピ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131206)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140605))は、72歳の頃、別荘のある地の草原で寝転んでいて、(定年)退職すると決めたと書いてあった(“Vixi”p.248)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20121231)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130104)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140326)。長年、勤勉に研究活動していると、いくら活発で元気なようでも、同じテーマには飽きてくるのだそうだ。でも、全くのご隠居様になられたのではなく、90歳になられても新たに本を書いたりなさっているので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131206)、要は年齢や体力に合わせて人生の調整をする、ということなのだろうと思う。
私にとっても、本当のところはその方が助かる。あの調子でいつまでもメディア出演を続け、書き続けられたとしたら、追っかけるだけでも大変。それに、私好みのお堅い昔の長い論考文を是非とも訳出したいと思ってファイリングしていても、なかなか時間が確保できない。
それに加えて、パイピシュ先生側としても、これからウェブに掲載したい50本ほどの過去論考文があるそうで、何ヶ月か前に、これまた突然、子どもっぽくも「これ見て!」と一本新たなアドレスを送って来られた他、「間に合うかなぁ」とつぶやいてもいらっしゃった。今年の末頃には、これまでの論考文をまとめた新著を出版の予定だそうで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140305)、その準備にも余念がないらしい。
私としても、これまで二年半、“パイプス中東ワールド”に夢中になれたのはよかったとしても、しばらく脇に寄せてある自分の研究テーマに関して、資料整理と発表計画と、どこでどのようにまとめていくかといった今後を考えなければならず、どうしたものかと思案していたところだ。
それに、お母様がご健在のうちに、是非ともボストンに行って(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)、長年、会長を務めていらっしゃるユダヤポーランド研究会のご様子も拝見できればと願っている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140701)。ご両親の献身的な研究活動の路線を受け継いで、パイピシュ先生の勤勉で真面目な言論路線があるわけだ。著述から、ナチ・ドイツのせいで十代で離れることになったポーランドを今でも懐かしんでいらっしゃるパピだと思っていたのだが、4月に二人でお喋りしていた時(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140624)、「父はそれほどでもないけど、母の方がポーランドに愛着が深い」と私におっしゃった。

3ヶ月以上前のメールで、実は、こんなやり取りを交わしていたのだった。

2014年3月27日付の私のメール:


「ちょうど最新のメーリングリストhttp://www.danielpipes.org/blog/2014/03/my-new-polish-identity)を読んだばかりです。


何て興味深いんでしょう!最初から私は、このような、先生の側からの著述が読める時を長らく待っていました。なぜならば、いつかは事実上そうなさるだろうと、私は密かに予測していたからです。


そして、2013年10月29日付の私宛のメールが、読者宛の短いご紹介文として、ついに結実しているのですね。


昨秋書いたように、19世紀末から、ポーランドと日本の間には良好な関係がありました。ポーランド親日であると、広く言われています。


もし、ポーランドアイデンティティを公に開くことができたならば、日本で何かを出版したいという望みの見通しは、ただ、中東イスラーム学者としてのみよりも、もっと明るくなるでしょう。


来月お目にかかることを本当に楽しみにしております」。

ポーランドのパスポート取得の背景については、拙訳(http://www.danielpipes.org/blog/14259)のみならず、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130312)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131101)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131103)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140327)を参照のこと。それに対して早速、次のようなお返事が届いた。

「この小文が興味を引いて、嬉しいよ」「(ポーランドアイデンティティを)『公に開く』って、どういう意味か説明してくれるかな?」

2014年3月28日付の私のメール:



「『公に開く』について。


先生は、ご自分のポーランド系ルーツを前面に持ち込んだり、先祖の土地ポーランドとの昔の接触を公に強調することを、長らく控えてこられたように私は思いました。


ご両親がポーランドから来られたこと、それを先生が引き継いでいらっしゃることを、人々は知っているかもしれません。でも、中東やイスラームに関する数十年の活発なお仕事のために、日本人の間での、先生のアイデンティティや背景についての一般イメージは、かなり偏って不正確だったように思われます。彼らにとって、先生が反アラブで反イスラーム(!)で、熱心な共和党員でタカ派で抑圧的で権威主義的なタイプなどであることによって、「アメリカのシオニスト」や「イスラエル右派」との強いリンクをお持ちのように見えるのです。


一般的に言えば、多くの日本人は、弱者の側に共感的である傾向があります。彼らは、論理的に考えるよりも、全体のイメージやムードを感じることを好みます。そこから私は、日本がまだ充分に近代化してもいないし、西洋化していないと考えるのですが。彼らはこの点で、先生やお仕事を受け入れて近づくには、先生があまりにも強過ぎ、あまりにも(金銭面や社会的に)成功し過ぎてきたようだと思っています。


私は昨日、お母様が会長をなさっているAAPJS(アメリカのポーランドユダヤ研究会)のお仕事を見つけました。会報“Gazeta”の全号をダウンロードし、近い将来、詳細をもっと読んで、調べたいと思います。お父様のお仕事が日本でかなり知られてきた反面、お母様のアメリカのポーランドユダヤ共同体に対する長期に及ぶ献身と遺産は、残念ながらあまり知られてきませんでした。


しかし、この側面は、イスラーム(主義)や中東の政治分析のみよりも、もっと日本人にアピールするだろうと私は信じています。


“Gazeta” (Vol.1, No.1, March 1992)によれば、ニューイングランドの理事の一人は、ヒレル・レヴァイン教授です。私は彼の著作中、三冊『反セム主義の経済的源泉』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120827)『アメリカのユダヤ共同体の死』(2012年5月26日付ツィッター)『杉原を探して』(2012年4月28日付ツィッター)を自宅に持っています。それに、教授とは京都で、これまで少なくとも二回お目にかかったことがあり、講演を拝聴いたしました。話題の一つは、アメリカのユダヤ共同体の短い歴史について、もう一つはレオナード・バーンスタインについてでしたが、後者は多くの聴衆を惹きつけました。


祖父母様の教育とよき感化のおかげで、仕事をして住み込む場として、娘さん達が西欧を選択したことを知って、私は全く興味深く思いました」。

そのお返事。

「(先生は、ご自分のポーランド系ルーツを前面に持ち込んだり、先祖の土地ポーランドとの昔の接触を公に強調することを、長らく控えてこられたように私は思いました、を引用した後に。)


いや。一度も思いつかなかった僕に関する結論を引き出すというパターンが君にはあると、僕は思うよ。僕の家族がポーランド出身であることは、昨日まで隠してきたり、吹聴したりしたことじゃない。もっと広範には、たくさんの敵がいるから情報を与えたくないと考えて、個人的に慎重な傾向が、僕にはある。でも、何かを隠しているんじゃないよ。


どのように君が僕や取り巻く人々をリサーチするか、僕はおもしろがっているよ!君がするようにする人を、僕は他に誰も本当には知らないね。実は好きなんだ。たとえ時々、僕をびっくりさせる結論に至るとしてもね」。

2014年3月29日付の私のメール:


「再びご親切なお返事を、ありがとうございます。


でも、もし私の詮索好きな『リサーチ』のことで不愉快や厄介に感じられるならば、どうぞ誤解なさらないでください。ほぼ二年前に、ひとたび日本語への著述翻訳の申し出を引き受けた以上、全ては私の義務感と責任感から来るものです。さもなければ、翻訳におけるたった一語の語彙選択でさえ、時には逆効果になるかもしれない、誤った、あるいは、不正確なメッセージを日本の読者に伝えるかもしれないからです。私は常に、いかなる不必要なトラブルも事前に回避するために、そのことについて注意深くあろうと努めています。


三人の娘さんを含むご家族に関して、私はプライバシーを暴くための『リサーチ』をする意図は全くありませんでした。お父様の書“Vixi”や何冊かの先生の本を読むうちに、私は自然に、(献辞にある女性達のお名前が)誰なのかを知ったのです。それに、一昨日少し読んだのですが、お母様が時々、先生やお嬢さん達のことを“Gazeta”で引用されていました。


先生にとっての「予期せぬ」結論を引き出す私の傾向は、専ら日本の文化特質に基づくかもしれないと、私は確信しております。日本では、人々は頻繁に『神は細部に宿り給ふ』という表現を引用します。それは、ここでの文化や勤労倫理と合致すると私は思います。大多数の日本人は、一神教的な「神」を信じてはいませんが、本質的に高度に均質的な社会で暮らしているので、いつでも細部により注意深い留意を払う傾向があります。


(敵が多いので、情報を渡さないよう慎重な傾向にある、を引用して)実は、高い知性をお持ちで、ご専門でははっきりと物をおっしゃるのに、人柄としてはかなり控えめでいらっしゃるとどこかで読んだ時、なんてエレガントで奥ゆかしいんだろうと、私は即座に興味を持ちました。もしお好みでしたら、来月お見せできるのですが、私はそのことをノートに記しました。2007年春のことでした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120127)。


それで、もし私の解釈が時々驚かせることがあるとしたら、それは主に、日米間の文化相違のためです。ここで繰り返しますが、私は平均的な日本市民の一人に過ぎません。何ら特別でもなく、その他でもありません」。

同日に、お返事が届いた。

「僕は不愉快じゃないよ。驚かされるとしても、楽しんでいるよ」「(文化相違だって)そんなこと信じないよ!あんたは、日本人であるのみならず、あんたはあんた自身なんだよ」。

これは、かなり長いやり取りだが、ちょうど訪米が決まっていた時だったので、お会いしてがっかりということにならないよう、自分でも予防線を張っていた節がある(と、今読み返して思う)。それに当時は、準備やら何やらで物理的な時間が迫っていたこともあって、即座にブログに書けなかった。無闇に行動予定を公表するのも、と躊躇ったためもある。
帰国してからは、日本人であることや日本文化とは何か、を東北の旅とも重ね合わせて考えつつ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140502)、滞在記録を一ヶ月後から公表し始めた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)。ちょうどその頃、イスラエルからネタニヤフ氏が京都御所に来られて、ばったりと簡易警備の護衛付き車に遭遇したりもした(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140515)。そんなこんなで、この貴重なメールのやり取りが、すっかり霞がかってしまったのだが、今、こうして思い出を取り出すことができて幸いである。
それもこれも、今年の夏はオーストラリア行きを取りやめたと連絡が入ったおかげだ。
ともかく、以上の家庭状況や個人史の背景事情を把握しないで、彼の一部のコラムやテレビ発言だけで批判したり、ネタバレなどと裏の裏まで悪意を読み取ったりするのは、本当に失礼なだけでなく、根本的に間違っていると思っている。
このブログが、多少なりとも誤解解消に寄与できるならば、と願うのみである。