ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

我々の後学のためにも

本人の気質や性格、そして巡り合わせの運不運、そしてやり方というものが、人生のあり方を決定する。
非専門家なのでよくわからないことが多いものの、若い頃のダニエル・パイプス先生の中東分析の長文の論考を読んでいると、ほろ苦くも華やかな知的経歴・政治活動・メディア出演歴もさることながら、全体として、その執筆動向は充分賛同できる。今の混沌とした時代を思えば、自己の安全確保と権益をまず主軸に考えるという、冷酷な現実主義だが基本中の基本である、彼の視座の確かさを証明している面が大きいのだ。古風ではあるが、ストレートでシンプルなだけに、わかりやすい。綺麗事を言ったり、自分を高見に置いて「弱者に寄り添う」ような偽善を取り繕うよりは、よほど好感が持てる。
それに、4月10日のニューヨークの婦人共和党倶楽部での記念会合でも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140509)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140512)、勿体ぶった賛辞や花束贈呈などは一切なく、まずは「我が家の台所」(http://www.danielpipes.org/12184/)から始まった組織立ち上げ以来、苦楽をずっと共にしてきた女性責任者エィミーさんのお話があり、続いて、ご自身がウェブ上で既に公開した文章をそのまま語り(http://www.danielpipes.org/14015/)、そして、スペインの元首相アスナ−ル氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140526)との対談、元AIPACの重鎮だったスティーブン・ローゼン氏との対談があって、あっさり終了。中身は充実していたはずなのだが、プログラムそのものは実にシンプルで、麗々しく繕ったようなお飾りが全くなかった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140612)。そこが、品性と知性の表れだと思った。よい場に列席させていただき、今でも感激が胸の奥深くで振動している。
ローゼン氏は、映像で拝見していた以上に、夢中になって熱を込めて大声で話し続けるタイプで、いささか聞いていて少し疲れを誘うところがあったが、いかにも熟練して慣れたベテランのパイプス先生が、鋭く簡潔に要約するという感じだった。
私にとっては、やはり中東は非専門家だという遠慮があるため、もっと慣れが必要だということもあるのだが、恐らく、二度目に似たような会合があれば、より落ち着いて堂々と胸を張って、日本代表として出席できるかと思う。だって、「二年間で、400本も訳文を出してくれました」「時々、英語も直してくれます」「イスラームイスラーム主義の相違もよく理解しています」と、理事のおじさまに嬉しそうに紹介してくださったパイプス先生なのだ。私にとっては、(え!まだ少ないかと思っていますけど)(英語は、私もミス連発です)(イスラーム主義については、だってマレーシアを勉強してたら、当然じゃないですか。日本のイスラーム辞典にも掲載されていますよ)と、胸の内でつぶやきたいところだったのだが、そこがやはり、大らかなアメリカのアメリカたる由縁なのだろう。そこのところも、太平洋を越えたこちら側としては、充分背景を踏まえておかなければならない。
馬鹿げた低次元で悪口非難合戦が起こる度に、(なぜ大学をやめてしまったのかしら、もったいないことを...)と思うと同時に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121020)、学的潮流および世の中の風潮に伸るか反るかで、随分、世間の見方も評価も変わってしまうのだ、と恐ろしくも思う。
「どうして大学をやめられたんですか?もし、どこかの教授におさまっていたら、あんなつまらない悪口を一流紙に公表されることもなく、もっと人生が楽だったのに...」と、4月8日の前座会合後、二人で椅子に並んで座って喋っていた時、私は身の程知らずで言ってしまった。エネルギーや時間の浪費を心配してのことでもある。
日本について書きたかったならば(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140508)、本格的に日本語を学んで、日本にもっと腰を落ち着けていなければならないのだが、どうも中東から目が離せず、宙ぶらりんになってしまったらしい。その時も、確かに二年前にメールで書いて来られた内容をそのまま口に出された。「日本は世界中で最も興味深い国だ」と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)。
それにしては、日本認識に曖昧さや混乱が垣間見られるので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131127)、「日本は趣味なんですか?暇つぶしなんですか?それとも、一種の気分転換なんですか?」などと、つい私も愚直に尋ねてしまった次第(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)。
ただ、今のイラクやシリアなどの滅茶苦茶な情勢を見ていると、本来、パイプス先生みたいな堅実な現実路線で論陣を張る学究人がブレーンとなって、大統領政権を一貫して支えているべきだったのに、あのベトナム戦争やら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121021)、反戦学生運動やら(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120904)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130704)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140220)、反体制文化やら対抗文化(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130124)みたいなもののために、すっかり形勢が不利になってしまったのだ。だから、ますます中東もごちゃごちゃして、冷戦後もひっちゃかめっちゃか。イスラームによる世直しを考えついても、どうも数世紀分、遅れをとってしまっている上(http://www.danielpipes.org/12940/)、世界観や歴史観が異なるので、これまたうまくいかないのは目に見えている。
だから、あまり人気のない最新コラムのように(http://www.danielpipes.org/14482/)、「もう勝手にしなさい。ムスリムムスリム同士で殺し合いをしても、それはこっちと関係ありませんよ」と言いたくなるのは、やむを得ないのだ。共和党孤立主義、と言ってしまっては、素っ気なさ過ぎて元も子もないが。
日本側としては、少なくとも私のような一般人には、それだけの知的蓄積も経験も一般素養もなかったのだから、何が何でもアメリカのせいだとか、ネオコンのせいにしてはならない。そんな資格はないのだ。せめて、数十年ぐらい遅れているけれども、拙い訳文作業を通してでもいいから、(ここまでの勉強と現地観察を積み重ねてきた人が、こういう風に世間に向かって発言し、世論を動かし、米国権益に向けて対策を考えてきたのだが、ここまで来たら、ぐっと遡って、どこに中東情勢の失敗の原因が求められるか、我々の後学のためにも、一緒に考えてみましょう)という風に向かうのが筋だと考える。
パイプス先生に時々、日本の「友達」として励ましメールを送っている内容には、「表面的には今のところ不利なように見えても、きっと先生の分析の確かさと方向性が、時のテストを経て証明されますよ」というものがある。本当に、私はそう信じている。そうでなければ、ここまで訳業に没頭できないし、意味がない。なんせ我々は、ハイエク支持者同士なのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110523)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110830)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120314)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120917)。

歴史を戦略的に学ぶ姿勢を、どうして日本の学校は教えなかったのか?詰め込み暗記ばかりで、現実を教えなかった。いや、見せないようにしていた。だから、いつも胸の内に疑問や不可解さが残りつつも、追っかけてくるように押し寄せるテストの準備に余念のない焦りの学生時代を送ったのだった。