ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

井の中の蛙にならずに....

前回の続きになりますが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130814)、暑さで外出がままならないため、家で関係書籍を読み進め、黙々と訳文を作ることに熱中する日々です。
ただ、事情がわかるにつれて、だんだん恐ろしくなってもきます。私が関わったことのある大学やメディア(日本国内に限る)が、イスラーム動向およびイスラエルアメリカの外交政策などについて、とんでもない誤りを平気で公表したり、極めて危険な世界の現状に目をつぶって、一般受けする素人まがいの主張をどれほど繰り返していたことかを徐々に悟るようになるからです。
例えば卑近な例では、「大量破壊兵器がなかったのにイラク戦争を始めたブッシュ政権の責任」「あれは必要のない戦争だった」と、今でも書いている識者がいます。2003年の開戦前に私が耳にしていたのは、ブッシュ家はアラブの石油産油国とつながりがあり、軍需産業の後押しで戦争を始めるのだ、などでした。「自分はアメリカでもイラク戦争に反対した」ことが、むしろ勲章のごとく誇らしげに語られていました。
しかし、いわゆる保守派論客の国際分析を読んでみると、そういう発言は、世間知らずの一般庶民の感覚に乗ずるものであって、とても識者や大学関係者の発する言葉とは思えないことが、今頃になるとしみじみ痛感されます。
大量破壊兵器が見つからなかった、とは言っても、私が見たある映像では、開戦直前に、トラックでシリアかどこかへ武器をこっそり運び出していたようですし、それより何より、サッダーム・フセインの野望をあのまま放置しておいたら、中東が大混乱どころか破壊的なことになりかねない、という分析があったことも、今ではよく承知しています。ところが、メディアでよく目にすることのある日本の中東学者は、「なぜイラクから学ぼうとしないのか」と、こちらを叱咤するような文章を綴っていました。(これは、暇つぶしの読み物としてはおもしろくても、専門家の論考とは言えません。アメリカだって、イラクから学んだ結果として、検討の末に一つの外交方針に至ったわけで、それを詳しく説明することなしに、イラクと直接関わりのない暮らしを送っている一般読者の視野の狭さを非難するとは、そもそもベクトルが間違っているからです。)
オバマ政権が、米軍の負担が大き過ぎるからと各地から撤退を決定していますが、これもアメリカの専門家の目で見ると素人っぽくて、見ていられないそうです。でも、日本の某新聞では「これで平和が訪れる」とばかりに、無邪気な庶民感覚を煽っていることがあります。
もっとも、英語圏のメディアや本でも、とんでもないことをもっともらしく書いているものがあります。左派系に多いようですが、日本では「高級紙」「知識人向け」「リベラル派」と形容詞をつけるので、いかにも「私は下々とは違って高学歴だから」と言わんばかりに、その種の引用ばかりしていると、結論がずれてくるのではないでしょうか?
今となっては相当変な意見や分析が堂々と掲載されていたことを思い出します。もっとも、左派だから全部がいけないというわけではありませんが、充分目を凝らして、本当の目利きは誰かを見分けるだけのものは持っていたいと思います。

中東やアメリカの専門でもないのに、どうしてこのような偉そうなことが書けるのか、と言えば、自分のマレーシア経験があるからです。
日本が第二次大戦中、被害者であると同時に加害者でもあったことは、自分の政治思想とは無関係に、客観的事実として否定できないのに、どうも今でもどちらか一方に偏って主張したがる人が、大学や出版の関係者にいるように思われます。マレーシアに関しては、1990年から、現地の人々の話をざっくばらんに聞いたり、マレーシアの博物館や新聞や学校教科書や一般書籍やキリスト教会の記録などを見てきたりして、「日本軍政時代は誰にとっても恐ろしくて大変だった」と一致しているのに、あれだけの華人虐殺行為や強制労働をしておきながら、「日本は英米の植民地支配から地元のアジア人を解放するために戦ったのだ」と、あるキリスト教系の学会の比較的重鎮だという教授が私に数年前おっしゃった時には、耳を疑いました。そればかりでなく、ある購読中の出版物にも堂々と書かれていたのには、驚き呆れました。
英国支配期の方が、地元マラヤのさまざまな研究に関して、当時の日本など及びもつかないほど質量共に圧倒していたのに、相手を知らずにどうして精神力だけで「アジア解放」「鬼畜米英」などと突進できたのか。私が言っているのはイデオロギーからではなく、辞書も含めて、当時の資料をある程度、見比べた結果です。嫌でも事実ならば率直に認めなければならないこともあるのに、なぜ勝手に、臆測や自分の依って立つ思想に都合良く便乗して解釈したつもりになっているのか、ということです。
それが証拠に、私のテーマであるマレー語の聖書翻訳の詳細な歴史や宣教師の手記や会議録などは、私が関心を抱いた1990年代前半、日本にはほぼ皆無でした。資料がどこにあるかもわからず、何もかも手探りだったのに、よくそんな態度に出られるものだ、と驚きます。
また、東南アジアの華人は裕福で他の地元の人々を牛耳っているなどと、学会で今でも発言する教授がいますが、これもとんでもない話で、華人の皆が裕福でもなく、労働者階級も大勢マラヤに渡ってきたことは、一度でも現地を訪問すればすぐにわかることです。仰天したことには、その教授は目の前で、「私は英語はできません」と堂々とおっしゃいました。東南アジアについて語ろうとする場合、現地語もさることながら、最低限、英語がわからなければ、土地のまともな人達から相手にもされないのは常識なのに...。
全体として、日本で出回っているその種の本には、いい加減か偏りがあったり、自分の都合のよい側面だけを取り上げていたりする傾向にあると知ることになります。いわゆる‘fringe’や‘freak’と見なされている人物が、あたかも批判眼を持つ真っ当な主張をする人のように引用されていたりもします。
パイプス訳文を始めた直後に気づいたのが、アメリカには多種多様なメディアがあって、何か論考を発表すると、すぐにラジオやテレビでインタビューが入り、公開討論などでも、かなり厳しく追及されることが多いということです。よほどしっかりと準備をして証拠と確信を持っていなければ、嘘や誤りはすぐにばれてしまいます。それだけ厳しい環境に日々身を置いての活動だということから、こちらにも緊張感が伝わってきて、重いテーマばかりなだけに、いろいろと考えさせられることが多いのみならず、非常によい刺激になっています。