ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

戦略的沈黙

戦略的沈黙。
バリー・ルビン先生(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Prof.+Barry+Rubin)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130503)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130524)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130920)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120601)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130418)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130422)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130705)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130706)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130709)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20130830)の拙訳『ユダヤ人:同化とその不満』(1995年)を読んでいます(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130924)。これまで知らなかったユダヤ人の内面が学究的に描かれていて、大変興味深く思います。こういうタイプの本が好きです。
1.目次の前ページに引用された過越祭のハガダーから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)。
「賢い子は問う。『僕達に命じられた規則や律法や習慣はどんな意味があるの?』賢くない子は、自分を排除して質問する。『この礼拝はあなたにとって何の意味があるの?』単純な子は問う。『これはなあに?』」
何でも質問すればいいのではなく、賢く問うことが大切だという教え。また、他人事のように物事を扱うのではなく、我が身に引き寄せて真剣に考えることが重要。そして、伝統を重んじなければ、軽々しい誤った人生になるという戒め。
2.なぜダニエル・パイプス先生達が、ユダヤ系左派を口を極めて罵り、非難を続けているかの雄弁な回答。
ユダヤ人が反愛国主義で親共産主義者だという考えが、ナチに対する大衆支持を募った反セム主義のプロパガンダに貢献したから(p.129)。ユダヤ系左派が他のユダヤ人を迫害する抑圧体制を建てる助けをしたから(p.130)。過激主義は裕福な家庭の子弟にとって魅力的だが(p.134)、マルクスの教義はユダヤ人、ブルジョワ、知識人としての自分のアイデンティティに対する自己嫌悪における課題だった(p.135)。ただし、左派のアプローチは犠牲者としてのユダヤ人の経験に浸っていて、ユダヤ系過激派がプロレタリアート第三世界を凝視する時、抑圧されたユダヤ人を暗黙の内に見ていた。支配者階級には反セム族を見た(p.135)。
従って、ユダヤ人内部の活発な討論と議論に対して喧嘩を止めるよう説くのは、ユダヤ史に無関係の第三者の戯れ言あるいは余計なお節介ということになるのでしょうか。(私自身は、「ユダヤ共同体内部の対立問題には関わらない」と、最初からパイプス先生に申し伝えてあります(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130405)。)
ルビン教授のお考えが妥当ならば、「抑圧体制」「自己嫌悪」「犠牲者」などに関わる左派思想が知識階級および下層労働者階級に多く支持されることが目立つからと言って、「私は知識人ですから」「大学人として」と左派であることに胸を張って威張っている人達は、思想ルーツも自分の言っていることの意味も何もわからずに発言していることになります。リベラル左派のメディアを「高級紙」と称して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121121)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130820)、自分はこれしか読まない、と豪語している人も、相当問題あり、です。

フェイスブック友達のルビン先生は今、重い病に苦しんでいらっしゃいますが、それでも日々盛んに論考文を発表されていて、とても勉強になります。イラン分析も中東情勢も、路線としてはパイプス先生とほぼ同じで、見事に的確で、日本の報道やその筋の訳知り顔の論評よりも、はるかに信頼が置けます。
続きはまた後日に....。