ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

イスラエルは生き残るだろうか?

http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130102
2 January 2013 Lily2‏@ituna4011


"Will Israel Survive?" by Mitchell G. Bard (http://www.amazon.com/dp/1403981981/ref=cm_sw_r_tw_dp_mX-4qb19CJSTM …) arrived here last month.

2013年1月2日付「ユーリの部屋」で書いたように、『イスラエルは生き残るだろうか?』という非常に挑戦的な題目の本をここ数日読んでいました。2007年に出版されたものですが、大筋においてはダニエル・パイプス先生と同じ路線。しかもパイプス先生が「他の案件は非常に複雑だから、話の順序としては、まずイスラエルの存在を認めるよう、アラブ人に心の入れ替えを求める」と長年主張されているのに対して、紛争問題やアメリカのイスラエル外交やいわゆるイスラエル・ロビー活動の詳細などの他に、政治的シオニズム、急進的シオニスト、文化的シオニスト、宗教的シオニスト、伝統的シオニスト、労働シオニストと人口動態の関係(pp.53-68)、黙示と結び付いた核問題(pp.69-88)、土地と関係する水問題(pp.89-100)、イスラエル内部の確執問題(左派vs右派、世俗派vs宗教派、ユダヤ人vsアラブ人、アシュケナジーとセファルディとミズラヒの関係)の改善(pp.134-150)なども細かく扱っています。
しかし、著者にご自分の論考文が確かに引用されているのに(pp.47, 237)、どういうわけかパイプス先生、本書をいささか否定的な異なる解釈「イスラエルの長期の生存能力を疑問視する一冊」として引用されていました(http://www.danielpipes.org/12322/)。訳者の責任として直接問い合わせ中ですが、ひょっとしたらご機嫌を損ねられてお返事がないかもしれないことは覚悟の上です。
今日、確かにメールでお返事をいただきました。私がいつでも注意深く訳文作業に取り組み、「リサーチ」してから気づいた点を逐一知らせることを肯定的に受けとめられた上で、「バードの結論のどこが私の要約と違うのかわからない」と。ここで改めて(パイピシュ先生って、本当に気難しいなぁ)と思った次第。バード博士の方がもっとバランス良く、異なる立場の見解も踏まえた上で書いている印象があり、本文中のところどころでも、厳しい国際環境ながらも、たくましく前向きにそれぞれの人生を生きているイスラエル人に触れつつ、最後にはユダヤ人の信仰として希望的観測を語られているのですが、その解釈が私とはまるで正反対。私などは、基本的に安全な環境でしか育っていないので、「イスラエルは非常に強いし、教育に力を注ぎ、優秀で賢明な指導者にも恵まれているから、イスラエル国家の存続は今後もきっと大丈夫でしょう」と真っ直ぐに信じて疑わないのですが、なぜかパイピシュ先生は、バード博士の結論を悲観的に受け止められたのです。それも読者に注意を喚起させる一つの戦略なのでしょうか?それとも、神経質で大変に頭のいい方だから、表面的には楽観的に振る舞っているようでも、実は持続的な恐怖心が潜在的に抜けきれないタイプなのかもしれません(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120126)。この点は、我々外部の者が非常に心してダニエル・パイプス博士と接しなければならない点だろうと思われます。不要な摩擦や誤解を生んで、変な方向へと突っ走ら(せ)ないためです。
ともかく、イスラエルの驚異的な発展ぶりは非常に刺激的で、国連外交と石油問題を除いて、一般的に部分的な紛争だけに焦点を当てて反イスラエルの立場を取ることが、いかに日本の国益を傷つけ、教養文化水準を下げるか、という事例をまざまざと見せつけられた感があります。ハイテクを駆使しての進歩的な農業(砂漠だから何もできないのではなく、砂漠から美しい高品質の花々を栽培し、おいしい果物や野菜やワインをつくって輸出している(pp.135, 160))、水問題にしても、古くて腐敗した水道管をまだ使用しているヨルダンに比して(p.93)、もともと深刻な水不足に悩まされていたものの、これも頭を使って何とか良質の水を確保し、大学も世界有数のトップクラスで(p.160)、技術者の人数も日本の倍以上(p.159)、ほとんどのイスラエル人が、満たされた高い生活水準を享受しているとのことです。
特に目に留まった興味深いと思う箇所を抜粋して列挙しますと…
実は、イスラエル人は恐怖のうちに生きていない。イスラエル人は自分の人生を生きている。(p.101)
←それは人間生活の現実だ。イスラエル人の健全さが大変に励まされる。
事実、2003年には、パレスチナ人の80パーセント以上がイスラエルを賞賛したのに対して、20パーセントのみが腐敗したアラファト政権に敬意を表明した。(p.108)
←案外、この割合は逆だという思い込みが日本社会の一部にはないか?
パレスチナ人の要求で、イスラエル人達は美しい家を取り壊した。多くは、恐らくその他では数百万の価値があるであろう、海が眺められる愛らしいヴィラだった。(p.109)
イスラエルはガザ紛争でパレスチナ側の建物を壊したのみならず、自ら建てたものも要求に沿って壊している。
パレスチナ人が暴力行程を追求し続ける一つのインセンティヴは、国際社会がアラブ人に戦争に行くことによって結局は失うものは何もないと教えたことだ。それぞれの敗北後に、国際社会はアラブ人にイスラエルを認め、譲歩をするよう圧力をかけたのではなかった。むしろイスラエルに、獲得した領土を放棄し、攻撃者に援助で報償を与え、将来の戦争を回避するために譲歩するよう外交圧力をかけたのだ。(p.111)
←いわゆる「国際社会」と呼ばれる対象の責任を痛感すべきだ。
左派は短期記憶を持つ傾向がある。(p.122)
←全く同感。
イスラエルの防御壁建設について国際的な非難があるが、壁そのものは世界中に類似例がある。スペイン領のセウタとメリリャをモロッコなどから貧しい人々が流入するのを防ぐための壁、カシミールにインドが建設した460マイルの壁、武器密輸を防ぐためにサウジアラビアが建てた60マイルの壁、トルコが元シリア領だったアレクサンドレッタ南部に建てた壁、キプロスに国連が支援した安全壁、ベルファストカトリックプロテスタントを分離するために英国が建てた壁、メキシコ不法移民の流入を防ぐために合衆国が建てた壁、皮肉なことに、イスラエルの壁を非難した後、国連がニューヨーク本部の周辺に治安を改善するため建てた壁がある。(p.131) 
←かなり前からそうではないかと疑っていた事例(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120819)。今後メディアや出版物で、イスラエル分離壁を非難するものを見かけたら、単純に視野の狭い無知な人の制作だと考えよう。
兵役は歴史的にキャリアに影響してきた。雇用者は定期的に、志願者の軍隊記録と、兵役中にネットワークの機会を提供する個人的な関係を見るからだ。元兵士達は特定の政府の便宜を受けることができる。(p.142)
自衛隊を除いて兵役をなくした戦後の日本は、徹底した実力社会の軍隊を知らないために、近隣アジア諸国に比してひ弱になった面も否めないだろう。
世界中のあまりにも多くの国々がイスラエルから学ぶことに興味を持つのは驚くべきことではない。今日、イスラエルは世界で主導的な経済浮上の一つとして認知されている。(p.153)
←だから、「このままではイスラエルが孤立する」と責め立てている日本の一部のジャーナリズムは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121202)、非常に愚かだと思ったのだ。
・メディアはイスラエルに対して取り返しのできない偏見がある。実は、直観というよりもパラノイアである。アメリカのユダヤ人はほとんど病的な恐怖を持っている。メディアがアメリカ人を反イスラエルへと変えて、米国政府に対イスラエル政策を破壊へと結び付くであろう変更を要求するのではないか、と。(中略)私は平均的なアメリカ人がその話を同じように考えるとは思っていない。大半は中東に関する特別な記事にあまり興味を持たないし、その客観性を非難する理由を持たない。(p.165)
←だから私は、ダニエル・パイプス氏を理屈で追い詰めては逆効果だと書いたのだ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130115)。日本とは歴史的に経験知と感覚が異なるのだから。
CNNや『ニューヨーク・タイムズ』紙や全国公共ラジオは、同じ型の偏見のために批判され続けている。(p.168)偏見が普遍的で取り返しがつかないと確信している人々のために、私は二語を出そう。『フォックス・ニュース』だ。実は、他に三語を付け加えさせて欲しい。『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙だ。(p.170)多くの番犬によって採用された、ジャーナリストに対する対立的なアプローチが生産的かどうかは、論争の余地がある。もっと公平な考えだと確信しようとしている人々を恐らくは疎外することになるだろう。(p.170)
←このような背景を知った上でメディアに接するならば、珍問答にはならないだろう。
・アラブ世界でCNNが持っている特別な接近のリスクを、CNNは望んでいない。レポーターも、悪いことを言うと、誘拐され、殺害され、追放されることを知っている。(p.171)
←という大変な世界なのだという認識は、もっと日本で広く知られてもよいと思う。
実は、イスラエルに対する偏見が存在することが私はうれしい。というのは、それはイスラエルが批判に開かれた民主主義だということを証明するからだ。民主主義なので、イスラエルは他の諸国よりも概して高い水準を維持しているのだ。(p.172)
←これは日本にも適用可能な教訓ではないか。
1967年6月のギャロップ調査では、アメリカ人の4パーセントのみがアラブ人に共感すると述べた。2006年2月には、パレスチナ人を支持するアメリカ人は15パーセントのみだった。(p.174)
←ということが客観的に理解できていれば、リベラルな態度を取るユダヤアメリカ人が多数派だという背景も納得がいくが、暗黙の了解が共有されていない若い世代や無知な人々への啓蒙は必要であろう。
・カーター政権とクリントン政権の間、一般大衆のイスラエルへの共感は最低だった。カーターは一般に比較的イスラエルに非共感的だと見なされている反面、クリントンはその時点で歴代最も親イスラエルの大統領だと考えられた。ジョージ・H・W・ブッシュ政権時代は大衆のイスラエル支持が最高レベルだったが、恐らくはイスラエルに対して最低の友好的な大統領だったと考えられた。(p.176)
←この意表を突くような盲点が興味深い。
イスラエルの生存にとって最も直接的な脅威は近隣諸国の敵から来る。もっと間接的な脅威は、ユダヤ人国家を弱体化させ、合法性を傷つけようとする世界中の敵によって置かれる。ユダヤ人に対する典型的な反セム的態度という長い伝統を持つ欧州発の努力の多くは、徐々にイスラエルに焦点を当てた反セム主義という新たな型に置き換えられている。ますます敵対的な環境がユダヤ人に対する古い恐怖心を呼び起こす一方で、イスラエルの国際的な地位は劇的に改善し、実は以前よりも今日のほうがましかもしれないのだ。古めかしい反セム主義は、エスニック、アーリア人、白人の純粋性、優越性、民族主義という名で正当化されたが、新たな反セム主義は「反植民地主義反帝国主義、反人種差別主義、平和主義の名の下で政治的に正しい人々によって」投げかけられる。反ユダヤ主義シオニズムというラベルの背後に隠れようとするにつれ、そのレトリックを調べると、ユダヤ人とユダヤ人国家は識別不能である。新たな反セム主義はメディアやインターネットでノンストップにグローバルに拡散しうる。人種差別者、イスラミスト、ユダヤ憎悪者によって何万というウェブサイトが維持されている。(p.179)今日、インターネットはポスト・シオニストイスラエル人、極左の欧州人、「人権」唱導者、イスラエル攻撃のありふれた偏屈者によって利用されている。逆説的に、反帝国主義者で反植民地主義者だったのはシオニスト達である。(p.180)
←追加コメントなし。
マルティン・ルーサー・キングがシオニズムを攻撃した学生に応答した。「人々がシオニスト達を批判する時、ユダヤ人を意味しています。あなたは反セム主義を語っているんですよ」。(p.181)
マルティン・ルーサー・キングがこのような言葉を残していたとは初めて知った。
キリスト教の教義に根付く何世紀も続いたユダヤ人憎悪、同化しない他人としてのユダヤ人概念、むき出しの固定観念にこれらの態度の幾つかが跡づけられる。しかしながら、反シオニズムへの移行は、国家の政治経済上の利益に基づいた冷たい政治的計算に動機づけられている。(p.181)政治的に、イスラエルを支持することから得られるものはほとんどない。国連のような国際的なフォーラムでは、21ヶ国のアラブ諸国ないしはOICの56ヶ国を疎外するリスクを取って、イスラエルを支援することにほとんど意味はない。欧州人にとっては簡単な計算だ。イスラエル側につき、アラブ人を立腹させることで、石油や貿易や政治的支援のリスクを取るべきか?(p.182)
←多言を要せず。
・フランスで私が語りかけたユダヤ人は、共同体にとって将来はないと言う。裕福なユダヤ人は米国へ移住し、貧しいユダヤ人はイスラエルへ移動すると何人かが私に言った。事実は、多くの裕福なフランス系ユダヤ人は特にエルサレムで値の張るアパートを購入して、一年のある時期だけそこに住んでいる。これらの家はまた、ある日もしフランスから逃げなければならないならば、避難所としての意味を持つ。(p.184)
ユダヤ系フランス人の女性教授から数年前に話をうかがったところでは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090704)、確かに、毎週末にイスラエルに飛び、家族や親戚と共に過ごすユダヤ系が少なくないとのことだった。うらやましいような贅沢なような…。別荘がエルサレムにあるということは、彼の地に結局は帰るという意味なのか。
英国国教会のローワン・ウイリアム大司教は、イスラエルに対してボイコット・キャンペーンに参加した最高の教会役職となった。(p.185)
←主流派教会の反イスラエル的傾向は、しばしば指摘されるところだ。
国連で、地理的にはイスラエルはアジア・グループの一部であるべきだが、イラクサウジアラビアのようなアラブ諸国がうまくイスラエルを外した。2000年に、西欧その他の地域グループの一時会員になるようイスラエルが招かれて、イスラエルに対する国連の差別行動の少なくとも幾つかが終わる助けをした。(p.193)
←私の学生時代には、イスラエルと言えば、自動的に「キブツ」が連想されるほどだったが、確かに、モノの本には「アジア地域」の項目にイスラエルが含まれていたのを記憶している。ところが、知り合いのユダヤイスラエル人の先生と話していた時、「ここにいる人達の中で、私だけが唯一、西洋系だから」とおっしゃったのを聞いて、(では、日本はどのように位置づけられているのだろうか?)と不思議に感じたことも合わせて思い出す。
種々のフォーラムでの支持にも関わらず、米国は必ずしもイスラエルを支援しない。(p.194)
←だから、「このままアメリカとイスラエルの絆が強くあり続けると、孤立する」ともっともらしく書き立てていたジャーナリストは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120608)、無知の誤報をしているということになる。
逆説的に、ムスリム人口が増大するにつれて、イスラエルの地位は実は改善していくかもしれない。米国でムスリムが吸収された反面、欧州では文化変容が起こらなかった。(p.201)
←米国の事情は、実のところ、もう少し複雑なのではないか、というのが私の見解。
世論調査も、中東の不安定さは、イスラエルの諸政策よりもむしろイスラーム過激主義の産物である、という欧州での増大する感覚を示唆している。困惑させられ、時には危険ではある一方で、米国がイスラエル支持において堅く立ち続ける限り、また安全を傷つけるかもしれない国際的な行動を防止する備えがある限り、新たな悪化しうる反セム主義がイスラエルの存在に対する脅威にはならないだろう。(p.202)
←何だかうらやましい関係。日本を支持してくれる国ってどこにあるんだろう?
しかしながら、歴史が示すのは、イスラエルは必ずしも米国に依存できないということだ。(p.203)
←この文が次ページに出てくるところが、著者の用意周到で慎重な点。
もちろん、国際的な支援と共にあってさえ、ユダヤ人は他のどの国からの助けなしに戦い、勝たなければならない。もしアラビストの見解が広まったならば、恐らくは国連が単一政府制のアラブ国家というものをつくる投票をしただろうし、米国はユダヤ人にこの結果を受け入れるよう強制したかもしれない。(pp.205-206)
←このような可能性も視野に入れて、ダニエル・パイプス先生の必死の言論活動がある。
当時ハーヴァード大学の学部長だったスティーブン・ウォルトとシカゴ大学政治学者ジョン・ミアシャイマーによって書かれた2006年の『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』という41ページの論文に対して、そのナンセンスを16ページにまとめたユダヤ系ヴァーチャル図書館のウェブサイトがある。ウォルトとミアシャイマーが無視した反イスラエルのロビーもある。(p.206)ブッシュ政権には、最高の地位にユダヤ系がほとんどいなかったが、皮肉にも、ブッシュの最も痛烈な多くの批判者、例えばウォルトとミアシャイマーのようにイラク戦争に反対した人々は、米国の中東政策の失敗をユダヤ人のせいにしてきた。実のところ、大半のユダヤ系高位職は、中東政策とほとんど、あるいは全く関係がなかった。(p.213)
←著作は事実より奇なり(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120807)。
・アラブ・ロビーは決して強さを獲得したことがなかった。なぜならば、注目を浴びようと競い合っている小さな主流逸脱組織と共に、常に大半は統合されず、組織化されなかったからである。凡そ120万人のアラブ人が米国にいるが、そのざっと38パーセントは元々クリスチャンだったレバノン人である。レバノンアメリカ人はアラブ・ロビーの目標に共感しない傾向がある。なぜなら、彼らの多くはムスリムやその他のアラブ人、特にレバノン内戦の勃発に手を貸したパレスチナ人の迫害を遁れるために国から逃げたからである。(pp.214-215)アラブ・ロビーが法的な成功を持たなかった一つの理由は、反イスラエルの行動目標というものを採用するよう主張していたからである。例えば、親アラブの援助よりもイスラエルへの援助を削減するよう求めたりする。(p.215)
←元日本人外交官による似たような話を読んだことがあるが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120321)、具体的な事例はこれによって明確になった。今となっては出所が不明だが、アラブ大使が日本の官僚に対して、石油の供給と引き替えに「リストからイスラエルを削除せよ」と脅し続けたと読んだこともある。
・アラブ・ロビーは多くのキリスト教団体の支援を享受している。福音派クリスチャンがイスラエルを支援しているのは有名だが、WCCやクエーカーやその他の教派は、長らく有害な方法で反イスラエルであった。まだ全てのクリスチャンがイスラエル支持だと当然のことのように思うべきではない。(p.216)
←これは、しばしば指摘されるところである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130105)。私が興味あるのは、一体いつからこのような傾向が出てきたのか、その背景を学的に論拠づけたいということだ。
・アラブ人口の約半分は大きな選挙権を有する5つの州に集中している。カリフォルニア、フロリダ、ミシガン、ニュージャージー、ニューヨークである。(p.216)
←パイプス翻訳を始めてから、うすうすこの傾向に私も気づき始めた。
多くの人々は今や、親イスラエル共同体の多くがジョージ・W・ブッシュの選挙に反対したことを覚えていない。父親のイスラエルへの敵意を採用するのではないかと恐れたからである。しかしながら、息子のブッシュは、もっとロナルド・レーガンのようである。(p.222)
←こういう打ち明け話が、今では意外性を伴うところが興味深い。
・アラブ人は、彼らにとっての最大の脅威は共産主義ではなくシオニズムだと主張した。(p.226
←時々、この思考回路が私には良く理解できない。
イスラエルの生き残りを信じることは、宗教的信仰を必要としない。人々の強さのため、離散のユダヤ人の支援のため、ユダヤ民族は郷土で国家をもつに値するという非ユダヤ系の友人達の信念のため、イスラエルは耐えるだろう。世界中のユダヤ人は、国際社会の最小の支援で、まだ完全には欠けるが諸国への光となってモデル社会を造るという創造性や決意や勇気を用いた。イスラエル人は自分達の国における自由を保持するために、最初に敗北したらそれで最後だと知りつつ、戦い死んだのだった。あらゆる辛苦艱難にも関わらず、今日のイスラエルは繁栄している。人口は増え続け、何千人もの新来者が毎月到着している。経済と軍隊は強い。以前よりももっと多くの国々と関係を持っている。合衆国との主要な同盟は、これまでになく強い。誹謗中傷者が攻撃するイスラエルというものがあることは、シオニズムの勝利の証拠であり、22世紀に入っても闇の力にとって苛立ちの元であり続けるだろう。イスラエル人にとっての問いは、シオニストの尽力の成功をどのように築き上げるかだ。続く200年以上、イスラエルはどのような種の国家になるだろうか。(p.233)
←この辺りの叙述が、最も日本の平均的な人々に知られて欲しいと願う。
イスラエルは生き残るだろうか?難問は人目を惹くが、ユダヤ民族はあらゆる障害を克服するに必要な資質を持ち続けると私は信じる。堅忍不抜と信仰だ。時が残忍な時でさえ、私は楽天的であり続ける方が好きだ。なぜならば、ユダヤ人は絶望ではなく希望の民だからだ。『希望』という歌の歌詞(イスラエルの国歌『ハティクバ』)を思い出す
我らの胸に ユダヤの魂が脈打つ限り
ユダヤびとの眼が東の彼方 シオンに注がれる限り
二千年我らがはぐくみ続けた 希望を失うことはない
シオンとエルサレムの地で 自由の民となる希望を
」(p.235)
私は平和をもたらしイスラエルの生き残りを確証する助けとなるために、できること全てに関する私見を表明する一つの詩で締めくくりたい
私はただ一人なのだ。だが、私は一人だ。全てのことができるのではない。だが、何かをすることはできる。できることはすべきだ。神の恵みによってしよう」(p.236)
(抜粋拙訳終)