ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

困難な国造りの過程で

6月30日、イスラエルの元首相だったイツハク・シャミル氏が96歳で亡くなりました。今日、埋葬とのことです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120701)。
タカ派で「テロリスト」呼ばわりされていたシャミル氏。ポーランド出身で、家族を皆、ホロコーストで失った経緯もあり、筋金入りの修正シオニスト実践者だったそうです。
和平交渉も、折り合いを見つけて妥協するのではなく、あくまでイスラエルの権益を守るとの原則を守ったことから、日本外務省の公的立場から見れば(ああいう人がいるから、困るんだよな)という印象でしょうか。
ただ、理想主義的に相手を信用しては裏切られることが続いてきたイスラエルの「和平交渉」を遠くから素人なりに見ていると、国造りの極めて困難な時期に、あれぐらいの勢いでなければ、今のイスラエルの姿はなかったのではないだろうかとも思います。内実までは、外国人である以上、知ることはできませんし、また、その必要もないでしょう。
私としては、ただひたすら、イスラエルの安定と平和と繁栄を望むばかりです。ひいてはそれが、将来的に、周辺のアラブ諸国にも益をもたらすという筋道ができれば最善です。
ダニエル・パイプス先生は、1998年10月に、ニューヨークで対談されたことがあります。大変要領を得た対談記録として残していらっしゃったので、非常に難しい時期の一国の首相経験者に対するお悔やみとして、すぐに邦訳し、7月1日付でお送りしました(http://www.danielpipes.org/11559/)。
時差の関係もあって、日本時間では7月2日付の二時間後ぐらいにパイプス先生からお返事があり、「この対談を翻訳してもらえて、なんて素晴らしいんだろう。全く誇りに思っている。僕は、彼のことを、最後の成功したイスラエルの首相だと見ているよ」と。
この見方を皮相にとらえるならば、(だからダニエル・パイプスはタカ派で困るんだ)ということになるでしょう(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120123)。ただ、大量に書かれたものから読み取れる限りでは、パイプス先生は、軍事力だけが唯一の手段だと考えるような了見の狭い人では全くなく、もちろん、他の価値観も重視されています。それに、なぜそのような考えに至ったのかは、繰り返しているように、膨大な資料の読み込みと分析という蓄積がなせる業であって、決して好戦的な性格だからではないということだけは、強調してもし過ぎることはないと思います。それに、小さなようでも、意外な肯定的側面も、きちんと言及されていたりするところが、パイプス先生の学者らしい特徴。
ただし、いろいろな映像を見ていると、その発言は正しいのだけれど、アラブ人と隣り合わせに共生しているイスラエル人にとっては、ハラハラさせられるということもあるのではないか、と想像します。例えば、お掃除を手伝ってくれているアラブ人を雇っている家にとっては、(あ、そんなことをおおっぴらに言われたら、我が家が危ない)などのような...。「イスラエルに住んでいないのに、どうしてそんなことが言えるのか」という批判も読んだことがあります(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/20120601)。

つくづく考えさせられるのが、(これは日本の感覚や知見だけではとらえられない深い問題だ)ということです。しかし、一方で、たとえ世論が反対していても、強力なリーダーシップで国を適切に導かなければ、ただ時間を浪費するばかりでなく、国を危機に陥れてしまう、という緊迫感については、学ばされるところが非常に多いです。
よく「押しつけはいけない」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110426)「それはその人が決めること」「粘り強い対話で」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110818)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120627)などと、わかったふうな言い方をする人がいますが、場合によっては、それを文字通りに実践した結果、質の低下を招いたり、かえって混乱したりしていることも珍しくはありません。