ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

各々の職分をきっちりと守る

1月に入って、相変わらず訳文を少しずつ提出していますが、フランス滞在中のパイピシュ先生も丁寧にお返事をくださいます。やはり、細かいことのようでも毎度、新たな発見があり、私にとってよき学びであることが、原動力なのだろうと思います。
イスラエル人の先生と話していて、「ユダヤ暦では、私の生まれた日はかくかくしかじかの意味があるのよ」ということを言われた覚えがありますが、イスラエルに初めて旅行すると申し出た時にも、「今のイスラエルは概ね世俗的で、ユダヤ暦だけが残っている特徴かしらね」と教えてくださいました。実際には、「世俗的」の意味と内実が、言葉の上では同じでも、相当違うのではないかとは思うのですが、それはさておき、今回の新たな学びは次のようなことでした。
2013年1月1日には、パイピシュ先生がイスラエルの新聞から、人口統計が発表されたとの情報をブログに提示されていました。その中で‘the secular New Year’という表現が目に留まったのです。内容が興味深く重要だと思ったので、早速訳してお送りしましたが、その部分だけを引用して、お尋ねしました。

突然、この新たな表現‘世俗的な新年’に気づきました。イスラエルユダヤ暦が使われていることは知っているものの、1月1日がこのように呼ばれていたなんて、今日まで知りませんでした。グレゴリア暦は必ずしも世俗的だとは思いませんが、‘西暦’として16世紀以来、世界で広く用いられてきています。それでは、今年の1月1日に、私が先生に新年のご挨拶をお送りしたことは間違っていたでしょうか」。

そのお返事。

翻訳と新年の祝福を感謝していますよ。イスラエル人は、ユダヤ暦と混同しないように‘世俗的な新年’という用語を使っているんだよ。でも、大半は両方を祝っている。僕は米国で暮らしているから、僕にとっては‘新年’とは1月1日を指します。だから、全く正しいことをしてくれたんだよ」。

主人に言わせると、「いちいち細かいなぁ」ということのようです。「アメリカ人なら、クリスマスおめでとう、ぐらい言われても、ユダヤ系だっていちいち腹立てないんじゃないか?」
いえ、私はそう思いません。多民族社会だからこそ、それぞれの複雑な事情があるはず。日本だって明治初期に西暦を導入して以来、かなり経つのに、まだある地方では旧暦をお祝いしているところもあるじゃありませんか。それに、マレーシアに暮らしていた頃、ともかく最初は目眩がしそうなほど、いろいろな暦が混在していて、失礼がないように(気づかないうちに粗相があったのかもしれないでしょうが)気を遣うのも大変でした。
基本的には西暦を使いますが、イスラーム暦、中国暦、ヒンドゥ暦、先住民族の暦などがあり、州によって祝日が異なったりして、もう大変。だって、公的機関に調べ物に行こうとしても、到着してから(あ、休みだった!)なんてことが...。
相手の文化に敬意を払うことによって、自分の文化にも誇りと自信が持てるようになり、ひいては相互理解に結びつくのではないでしょうか。
それというのも、この頃、空き時間に少しずつ、リチャード・パイプス先生のご講演やインタビューを拝見しているのですが(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Richard+Pipes)、冷戦期だった学生時代には、ソヴィエト・ロシア史と共産主義を専門とする著名な学者だとばかり思っていた私にとっては、90歳近くになられた最近のリチャード先生、イスラエルの動向やユダヤ同胞の将来が懸念されるためなのか、かなりはっきりと東欧系ユダヤ人の歴史を前面に出したお話をされるようになったと感じられるからなのです。ポーランドのご出身というところがミソで、なるほどなるほどと思います(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120124)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120507)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121003)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121026)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130105)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130116)。こうしてみると、いろいろと勉強したいことが増えて、それが何よりも楽しくてたまりません。
もう一点、イスラエルとの和平交渉の承諾とイスラエル破壊を目指す暴力志向という、相反する矛盾が同時並行してアラブ側に存在するという調査結果と分析および提案を含んだ『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙掲載の論考文を訳して、こう書き添えました。

1995年時点で、この論考にある調査結果と分析は、中東の非専門家である大半の平均的な日本人にとって、ほとんど新しく驚くべきものだっただろうと、私は考えました」。

オスロ合意が1993年。その後、ユダヤ過激派の青年にラビン首相が暗殺されたために、せっかくの和解の機運がしぼんでしまったというのが、1994年頃の日本で私が聞いていた「常識」ないしは「通説」だったからです。それに、先のハマスとの戦いでも、いかにメディアでイスラエルが非難を浴びていたことか、また、いわゆる人権活動家や平和運動家達が、いかにパレスチナ寄りの情緒的な見解をこちらに押しつけてくるか、繰り返し学んだ結果です(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121121)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121122)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121126)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130102)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130103)。
パイピシュ先生のお返事。

そして、この翻訳のことで多大なる感謝を。今でも有益な一本だね。同意するよ」。

最後に、今日届いたメルマガからです。
安倍晋三です。
昨日、アルジェリアで日本人が武装勢力に拘束されるという事件が起きました。こうした行為は断じて許すことはできません。現在私は東南アジアを訪問中ですが、第一報を受けて直ちに、人命第一、事態の把握、関係国との緊密な連携を指示しました」。
国民の命を守るため、万全の対応をとっていきます」。
一国民として、遠く忘却の彼方に置き忘れていた安心感が急に甦ってきた感触です。過去の民主党政権の間は、どちらを向いて喋っているのかと疑われるような感覚があったからです。一体全体、国民を守ってくれるのかどうか心配で、まさかとは思いますが、税金もきちんと払い、法を遵守しておとなしく暮らしている我々までもが、どこか棄民扱いされているのではないか、とさえ感じられました。
つまり、それぞれが各々の職分やあり方の基本を守らず、国の代表が「革命」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100328)などとうれしそうに口走って人々を混乱させようとしている社会は、国力が低下するということの証左です。理念と職分がしっかりして安定していてこそ、安心して仕事に打ち込み、その結果、経済も暮らしも充実して上向くという人間社会の一般法則が戻ってきたように思います。
右にぶれているとか、そういう浅薄な次元を語っているのではありませんよ、念のため。