ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

故オリアナ・ファラチについて(1)

と、昨日も力の入ったブログで一日が過ぎてしまいました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130121)。バード博士の著書からの抜粋リストを日本語ブログにも載せる旨、パイプス先生にもお伝えしましたが、その後、また新たなメールが届いたことから、特にご機嫌を損ねられたのではなさそうです。まぁ、今日はイスラエルの総選挙日ですから、専門家として、いろいろと動向が気になるのでしょうねぇ。
昨年の3月に翻訳を始める前、パイプス先生に対して申し上げたことは、次の三つの基本路線です。

(1)イスラエルの内政やユダヤ共同体内の個人的な対立や確執問題には、私は一切関わらないつもりだ
(2)イスラエルについて、私個人は国家の生き残りを信じて疑わない
(3)日本の外交政策は1973年のオイル・ショック以来、アラブ寄りだが、主に石油と経済活動と国連票獲得のためであって、日本人のほとんどがイスラエルから学びたいと考えているはずだと私は思っている

当然のことながら、表向き語られていることと現実のギャップは存在するでしょうが、人間社会である以上、問題はどの国でもあることであって、特に理想視する必要もなければ、一喜一憂することもなく、私の場合は、長期的に見て、イスラエルの安定した繁栄が周辺のアラブ諸国への全体的な社会の引き上げにつながると考えるので、このように書いているまでのことです。
さて、ツィッターからの再複写です。「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130102)にも書いたことです。

https://twitter.com/ituna4011

39m Lily2‏@ituna4011
"The Rage and the Pride" by Oriana Fallaci (http://www.amazon.com/dp/0847825043/ref=cm_sw_r_tw_dp_n3-4qb1E3YZ3X …) arrived here last month.


2006年9月15日に76歳で亡くなったオリアナ・ファラチ(注:「オリアーナ・ファラーチ」の表記もあり)。彼女について、現在の日本でどれほど知られているのか、私にはよくわからないのですが、私が初めて彼女の名前を知ったのは、「近代化にはベートーヴェンが必要」(http://www.danielpipes.org/11975/)と題するパイプス先生お気に入りの論考文を訳し始めていた昨年5月頃のことです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120609)。ホメイニー師に果敢に正面からインタビューを挑み、何ともかみ合わない会話を暴露した点、(すごい女性だわ)と驚いていました。
で、昨日、もう一本の訳文を提出しましたが、同時進行的に、上記の本を読み始めました。案外に読みやすく、二日で読了。きっかけは、晩年のオリアナ・ファラチと4年ほど親交のあったダニエル・パイプス先生が、2002年秋にジャーナルで公表された書評(というより紹介文)です(http://www.danielpipes.org/489/la-rage-et-lorgueil)。実際、オリアナ・ファラチは「英語がちょっと変かもしれないけど」と断りつつ、この本をご自分で書かれました。いずれにせよ、イタリアでは100万部ほどの売り上げで、フランスやドイツやスペインでも数十万部のベストセラーとの由。十数言語に翻訳されたそうですが、本書の日本語訳は、アマゾンや日本の大学図書館検索で調べてみたところでは、どうやらなさそうです。ということは、何を意味するのでしょうか。(彼女の邦訳は『愛と死の戦場:ベトナムに生の意味を求めて朝日新聞社(1974年)『生まれなかった子への手紙講談社(1977年)『ひとりの男講談社(1982年)など、比較的古いものしか見つかりませんでした。もし、他にもあれば、どうぞご教示ください。)
パイプス先生は、お得意のフランス語で上記本のフランス語版を読んだとのことで、20歳年上のオリアナ・ファラチも早速誰かから聞きつけて、連絡を取られたのだそうです。
本書は、イタリア国籍のままニューヨークのマンハッタンに在住していた時、2001年の9.11同時多発テロ事件をきっかけに、10年の沈黙を破って、溢れんばかりの情熱で怒りを込めて書き綴った「私の子ども」「私の小さな本」です。
裏表紙にあった彼女の言葉「人生には、沈黙を守ることが欠陥となる瞬間、語ることが義務だという瞬間があります。私達が逃れることのできない市民の義務、道義的挑戦、絶対的な必須なのです」が強く響いてきます。
訳文提出の際、例によってパイプス先生宛に書き添えました。
故オリアナ・ファラチさんは、本当に勇敢で興味深く、魅力的でした。この本の英語版を読みながら、まるで新鮮な生き生きした世界史の講義を聴いているかのように感じました。特に、日本に関する彼女の描写は私にとって刺激的でした。イスラームに関して、残念ながら、彼女とは異なった見解を私は持っていますが、それは彼女が誇り高いイタリア人だったからなのかもしれません」。
その6時間半後に、パイプス先生からお返事がありました。

僕の見解も彼女のとは違うよ。でも、僕は彼女がチャーミングで凄い人だと思った」。

そして、例によってご自分の別の原稿を提示されていました(http://www.danielpipes.org/3967/appreciating-oriana-fallaci)。実のところ、こちらの方を先に注目していたのですが、読むのは数分でも、訳すとなると数時間かかるのが常なので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120424)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120516)、後回しに。でも、ちゃんとファイルには入れてあったものです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121202)。
最後に、彼女の最も印象的な主張の映像を(http://pub.ne.jp/itunalily/?search=20519&mode_find=word&keyword=Oriana+Fallaci)。2002年4月12日のものだそうです。内容もさることながら、イタリア語のリズム感と韻が非常に巧みだと思われます。低声も魅力的です。彼女は、イタリアでの反ユダヤ主義に対して断固闘った女性でした。
こういうわけで、ダニエル・パイプス先生と交流があったのですね。私にとっては、この上もなく光栄なことです。