どうやら、エルサレムのレヴィ君が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121012)、新たなビジネスを友人と二人で始めたようです。
ヘブライ語と英語を駆使して、イスラエル、アメリカ、カナダ、オーストラリアでファッション・メガネを販売する予定だとのこと。フェイスブックでアナウンスがありましたから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)、私がここに公表してもよいでしょう。
9月のユダヤ暦の一連の行事のずっと前にも(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120926)、一度滞っていたことがあり、パイプス先生に、どうして訳文の掲載が遅れているのかと尋ねてみたことがあります。その時は、「彼は大家族で暮らしているので時々遅くなる。理由はわからないが、こちらからも調べてみるね」との由。その後は、9月のユダヤ教の行事と祝祭で、しばらくはお休み(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)。
そして、ここ数週間は、アメリカ大統領選挙で「共和党では中央にいて僕は強いんだよ」と私に書いてこられたパイプス先生の方が(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)、多忙なのか、下手な失言で選挙に影響してはいけないのか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121024)、しばらくペンディングだと思っていたのですが...。
結局のところ、レヴィ君としても、自分から申し出てタイミング良く時流に乗ることのできた、12年来のダニエル・パイプス先生のウェブ管理だけではなく(http://www.danielpipes.org/11836/)(http://www.danielpipes.org/blog/11515)、別の仕事を始めることで生計の糧を確保すると決心したのか、ここ数ヶ月、準備を整えていたらしいです。
いかにもユダヤ人らしい計画性と、時の見計らいの勘の良さと、個人ビジネスの立ち上げで国際的に商売を広げる卓見が現れていますね。驚きませんが、その点は、マレーシアやシンガポールの華人のやり方と非常に似ていると思っています。
パイプス先生も、2001年の9.11発生を機に「私が以前から警告していたのに、やっと米国民が気づいてくれたのか」という戦略スタンスで、ひっきりなしのテレビ出演や国内外の講演や新聞へのコラム書きなど、50代の数年間は、非常にうまく演出されていたと思うのですが、今や63歳にもなられたし、最初は斬新でも、今ではさすがに、それを越えるような論説も研究もそれなりに出てしまっているし、ということで、レヴィ君ももう一つ新たな活路を見出そうということなのでしょうか。
とはいえ、ダニエル・パイプス先生の「中東フォーラム」はまだ続くでしょうし、他の人達から「あのすばらしい仕事はどうなったの?」と尋ねられて、レヴィ君も「今も勤勉に続けているよ」「まだやめてはいないよ」と上手に返答されていましたので、面識もない外部の私としても、突如、首切りになるわけではなさそうです。
もともと、いろいろと予見はしていました。パイプス先生の公的収入の年次書類は、実はインターネット上でしっかり掲載されています。「イスラームの悪口で食っているヤツ」だと、パイプス事業に不満のあるムスリム団体もいろいろと収入源を調べていて、それを見る限りでは、なかなかシビアというのか、毎年、同じ団体からの資金提供であったとしても額が安定せず、かなりの変動があります。従って、常に前もって、「私達はこれこれの情報を集めて分析して、皆様に提供いたします。どうぞお役立てください。趣旨に賛同される方は、どうぞご支援ください」というように、半年に一度は依頼メールを回しているようです。
事務スタッフなどはアメリカの平均年収とほぼ同程度ですが、必ずしも高収入とは言えないようです。それに、シンクタンクとなれば研究スタッフの確保が最重要。最近招かれた方達は、イスラエルやアメリカのれっきとした大学教授でした。そういう人々には、恐らくは相当の報酬でしょう。
実は、うちの主人が最初から言っていました(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120729)。「結局、ベンチャーだろう?アメリカではよくある話だよ。博士号持っていたって、大学に就職できるとは限らないから、自分で研究所を立ち上げて、本を書いて講演して、お金を集めて運営していくんだよ」「こっちは会ったこともない外部の翻訳だし、それほど他を犠牲にして集中する必要はないよ。適当にやって、自分が有利になるように運ばないと」。
とはいえ、最初は、週に二、三時間ほどかければ何とかなるかなと、簡単に考えていたのですが、いざ始めてみると結構大変で、結局、学会発表もお休みして没頭したわけです(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120819)。今では、だいたいの流れも方向性もわかってきましたけれども、この先、いつまで続くでしょうねぇ?
考えてみれば、アメリカでは物書きと名乗る人は非常に多く、天井までぎっしりと積み上がった本屋さんを見ても(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071212)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090820)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091130)、本の出版量が並大抵のものではありません。その中で、人に抜きん出て認められ、メディアにも定期的に出演し、それで生計を立てるとなったら、相当の力量や体力や運の善し悪しや人脈が必要でしょう。また、一度有名になると、もう引き下がることが難しくなり、それも大変です。
訳文掲載の遅れ事情がわかったので一安心。ただ、振り返ってみて、この10ヶ月以上、ここまで熱中できたのは、これまでマレーシアにまつわる数々の経験や、マレーシア以前の昔からユダヤ教やユダヤ人問題やイスラエルに関心があったことなどを振り返ると、やはりそれなりの意味があってのことですし、さまざまな面で非常に得難い勉強になっていることは事実です。気が重くなったのは、それほど深刻で重要な世界問題と関わっているからということと、それまで私の置かれていた環境が、いかに無駄の多いおかしな方向性だったかということが判明したことなどが原因だと思います。
本来、日本語訳の位置づけや意味に関して、3月上旬の頃の話では、日本の論壇がリベラルの低迷によって保守に傾いてきたのであれば、理想としては、自分が何か書いてウェブに掲載すれば、ニュージーランドやカナダのように電話か何かで連絡があり、新聞か週刊誌などに書くこともできるのではないかと、楽観的にお考えのようでした。ただし、私としては、日本はそもそも文化状況が異なり、人々も移民系社会のように簡単には動かないし、ウェブで英語で直接読んでいる人達もいたのを知っていたため、それほど単純には考えられませんでした。レヴィ君から、「準備ができたらソフトを送るよ」と申し出のあった翻訳メーリングリストの「サービス」にしても、数ヶ月で気づいたことは、もし日本語版を始めたとしたら、それこそ本を読む時間もなくなってしまい、自分の生活が成り立たなくなるだろうということでした。それに、三桁の本数の翻訳言語のあるアラビア語、フランス語、ヘブライ語、イタリア語などの場合、やはり、現地における情報需要が喫緊していることが判明しています。
日本は、いくらイスラーム現象が顕在化したとはいえ、全体から見れば小さな話。それに、専門家でない限り、必要以上に細かく知る暇も能力も義務もないと言えます。
PS: レヴィ君からメールが届きました。「新たなビジネスに対して祝福をありがとう。でも、自分は中東フォーラムを止めないよ。もう長く関わってきて、家族みたいなんだ。確かに、ビジネスのことで最近は忙しいけど、訳文掲載の遅れの理由は、あのウェブサイトのサーバーを移転中だからなんだよ。もっと早く動けるようにしているけど、ちょっと大変なんだ」との由。ほっと安心しました。せっかく10ヶ月、我を忘れて没頭してきたのに、慣れた頃にレヴィ君が離れて行ってしまうとなれば、こちらも淋しい限りだからです。
どうも私は、よく言えば慎重、悪く言えば何事も最悪を初めに考えるタイプで、悲観論が先に立ちます。パイプス先生も60代だから、お元気そうに見えてもいつ何があってもおかしくないし、なんて一期一会で必死になっている私。でも、お父様のリチャード先生が80代で、まだご指導もされているそうですから、ダニエル先生だって現役バリバリ気分でしょうねぇ。
そう言えば久しぶりに、マレーシアのインド系のウマ・サンバンタン夫人がどうされているか気になって、ネット検索してみました。すると、ありがたくもお元気で、You Tubeでタミル語で語っていらっしゃるではないですか!83歳ですが、頭脳もシャープで、温かい気品が漂っています。