ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

それにしても大変な世界...

メール・ソフトを追加したので、古いメールと新たに届くメールが二手に混在し、少し苛立っています。つまり、従来のメール箱で開封したメールは新たなメール箱には届かず、新たなメール箱を先に見て開封してしまうと古いメール箱には届かない仕組み。しかし、ソフト追加以前のメールは、両方にまたがっているので、不自由なことこの上ありません。
そのついでに、今年1月14日以降、取り交わしたダニエル・パイプス先生(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120807)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120811)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120812)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120815)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120819)との大量のメール(2012年8月15日までに計128通受信)を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)、まとめて読み返してみました。お名前だけは5年前から存じ上げていたものの、よくもまぁ、私も怖い物知らずだったというのか、ここまで率直にいろいろ書き綴ったものだなぁ、と今では驚くやら我ながら呆然としてしまいます。
それに、あれほどご多忙なのに、ほとんどのメールに対して、短くも実直なお返事をこまめにくださるのがパイプス先生。今も、読み返しながら、ご講演でも文章でも、堅苦しくて強面で、ぶっきらぼうで、ちょっとつっけんどんな感じがする方なのに、私宛のメールでは、確かに、時と場合によっては多少の書き分けはあるものの、個人的に知り合うと、根は心優しくて誠実で、茶目っ気のある人柄だな、と改めて思います(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120812)。
何度も繰り返しているように、8ヶ月以上かけて、少しずつ少しずつ、訳業のかたわら、映像を見たり、古い論考文を読み直したりして、過去から現在に至るまでの膨大なお仕事内容の理解に努めているところですが、正直なところ、日本国内の議論とは異なる点に(う〜ん)と考え込まされることもあれば、あまりに深刻な内容に気が重くなることもあれば、逆に、対論や批判を知る必要にも駆られたり、何とも濃厚で重厚な経験です。
基本的に、テレビでも公言されているように、プライバシーは明かさない方針だとのことで、3月上旬お尋ねした、ユダヤ教のどの派を信仰されているのかについても、「そういう個人的な話は避けたいね。私の見解は、私が誰であろうと関わりなく、著述の中に表われている」とのお答え(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120509)。しかし、あえて尋ねてみたから、そのように確認できたわけであって、やはり、日本の大学や学会で議論されていたこととは、多少、あるいは、かなり、ギャップがあるという実感を得ています。
訳語の選択については、今でも迷いが抜けず、提出してウェブに掲載されてはいても、(これでいいのかな?)と疑問に思うことは時々あります。一番大変だったのが、初回と二回目の、3月下旬と4月中旬に出した7本×2回分で、5月には、その中の13本分を部分的に修正し、再提出して差し替えていただきました。
今でも、専門家や研究者が見たら、(そこはそうではない)ということが恐らく多々あるのではないか、と思われますが、単なる訳語ミスはともかくとして、かなり意図的に直訳風にして、正確さを重視する一方で、できる限り平板な文章にならないよう、工夫はしているつもりです。関係書籍も英語と日本語で可能な限り読むようにして、だんだん状況がわかってきましたが、(それにしても私、大変な渦中に飛び込んでしまったんだ)と後さずりしたくなることも皆無ではありません。
ただ、完璧を目指していたら、何もできないことになるので、だいたいのところで見切り発車。それに、パイプス先生が扱う内容は、ほとんどすべてと言ってよいほど、議論が分かれるところで、どちらも丸く収めるという日本的なやり方が通用しないことが多いのです。
また、最も困るのが「反ユダヤ主義」の訳語で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120617)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120620)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120621)、せっかく英語のオリジナル本文が‘anti-Semites’‘anti-Semitic’‘anti-Semitism’‘anti-Judaism’‘anti-Jews’といろいろ書き換えているのに、もし日本語訳で「ユダヤ人憎悪」「反ユダヤ的」「反ユダヤ主義」などと、すべて「ユダヤ」を入れてしまうと、かえって単調で執拗なニュアンスになってしまいそうです。なので、いろいろと調べつつも、あえて19世紀からの造語であるといわれる「反セム主義」「セム系に反対」という訳語を使ったりもしています。
訳しながら、いろいろと勉強になり、視野も広がるので、今のところ、この訳業に没頭していますが、それにしても重たい内容ばかりで、すっかり憂鬱にもなることがあります。
気になるパイプス批判については(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120616)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120713)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120819)、「批判があることそのものは悪いことじゃない」と励ましてくれる主人の言葉に依拠しています。「それだけ注目されているということだからさ。それに、パイプス氏の言論活動が、信頼に足らない、不正確なものだったら、今でもあれほどテレビに呼ばれないし、講演旅行もできないでしょう?支持する人々がいて、確かに語る内容に意味があると評価されているからこそ、続けられるんだよ」。
そうですよね。私も、パイプス先生の仕事ぶりが、あまりにも着実できちっとされていることには全幅の信頼を寄せているのですが、いろいろな資料を見ていると、反論や反撃もそれなりに強く、(大変な世界だなぁ)とつくづく....。