ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

自己流サバティカル休暇

ダニエル・パイプス先生と知り合ってから、早くも半年(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120115)。さまざまな用事をとりあえず脇に置いて、無我夢中で理解に努め、与えられた課題を受け取り、必死に吸収して、精一杯の日本語にして提出。こんな自転車操業の繰り返しで、今年の前半期を過ごしてきました。
何だか、(もう、中東って何なの?どうしてイスラーム主義ってこうなの?)みたいな世界にはまり込んでしまった感があります。
それに、さまざまな映像を見る度に、これほど世界的に(いろいろな意味で)著名な方が、どうして私みたいな日本の地方に住む平凡な一般市民に対して、温かく親切に、連絡をこまめにくださるんだろうか、と(何度も繰り返すようですが)驚くやら恐縮するやら....。
ただ、些細な二、三のゴタゴタはあったにせよ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120322)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120330)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120405)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)、日を追うごとに、非常に抑制の利いた、よく訓練された方だな、鋭いし、よく見ていらっしゃる、と尊敬の念が深まるばかり。実にありがたくも光栄なことと、感謝しています。結局のところ、旺盛な読書量に加えて、まっすぐに正直に生きて来られたから、見抜けることが多い、ということなのでしょうが...。
日本の通常の感覚からすれば、言語表現がどぎつい印象を与えるのは、アカデミアを1980年代半ばに出て、競争の激しいアメリカ社会で生き馬の目を抜いて発言し続けなければならないという宿命からくるものに加え、個性を重視するユダヤ的発想も影響しているのでしょうか。最初は戸惑いましたし、感覚の違いをどう言語移植すべきか、初めの二ヶ月ほどはいろいろと考えましたが、今では何とか慣れてきたかと思います。
それよりも、そのような表面的なことにではなく、パイプス先生の見解や主張の根底にある物の考え方や見方に賛同できるかどうかが鍵となると思います。大きく言ってしまえば、世界観および歴史観です。もともと、歴史学の訓練を受けた方なのですから。
熱心で情熱的なシオニストの親イスラエル派だということで、一部からさんざん非難を浴びてこられましたが、私みたいな日本人から見れば、かえってパイプス先生の方が、何やら小難しい理屈を並べている思想家よりも、ごく自然で正直だと思われます。キャンパス・ウォッチなどの手法もやり玉に挙がっていた時期がありましたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120113)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120505)、そういう文句を言っている側の教授の論文や発言などを調べてみると、いかにもいかにも、といった風情。それを知った以上は、何とか同胞国家であるイスラエルという国の存続を守るために、なりふり構わず、できることは何でもして、堂々とライトを当てて批判していかなければ、という気になられたのも、むべなるかな、と。
ともかく、私がパイプス先生の著作にぐいぐいと魅了されてしまった理由は、そもそも、マレーシアでも類似の事例や話になじんできたからです。これまで訳出させていただいた文章も、定期的なコラム以外は、私が自由に自発的に選んで提出しているものです。先生からの指示も命令も一切なし。一つ一つの内容や主張に思い当たる節があり、強く共鳴するので、他の方達にも、言語の壁を越えて関心を共有していただけたらな、と思ってのこと。
それに、昨今の日本の一部のアカデミアの傾向について、かねてからずっと気になっていたことを、ズバリとパイプス先生が鋭く切り込んで直言されていたことにも、非常に共感しました。アカデミアと言っても、もちろん私が接触した分野に限っていて、それはパイプス先生だって同様だと思います。
この先、パイプス先生がどのようにお考えなのかは不明ですし、お互いに、将来がどうなるかもわかりません。少なくとも、あの膨大な執筆量に対して、計画経済のように訳業に取り組んでいては、とても間に合いそうにありません。できる限り、集中して取り組む時期が必要だと思いました。でも、一山越えれば、後は何とかなりそうです。
それで今年は、毎年継続してきた学会発表を、自己流「サバティカル休暇」に。発表テーマや資料はあるのですが、やはり休息の時も必要。資料整理などの時間もほしいですし、積ん読状態の本もたまっています。コンスタントに継続するばかりが、能率的とも言えないかと思いました。
昨晩、その決定を明らかにしたところ、主人は残念がっていましたけれど...。