ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

帰還権の主張を振り返る

もし第三者が「和平」を手助けしようとして、「お互いを認め合って」「粘り強い対話を」と呼びかけるのであれば、対極にある主張と以下とを読み比べ、どちらに正当性があるかを判断する必要があるでしょう。
学部生の頃、どのようなグループだったか、パレスチナ問題を解決するためのシミュレーションという手書きのわら半紙印刷物をもらったことがあります。そこには、対話と称する会合のストラテジーが書かれており、複数の案が出ていました。「この路線で話を進めていきたいのだが、恐らく、イスラエル側はこのように主張するだろうから、その場合は、こう回答して、相手をやり込める」「それでもうまくいかなければ、このように答える」みたいな想定問答集でした。
数年前に片付けものをしていた時に出てきて、情報の古さに捨ててしまいました。今から振り返ると、それは無駄紙以外の何物でもなく、ただ、「平和」という名の下における問題の引き延ばし作戦に過ぎなかったように思います。
ただ、あまりにも込み入った情勢だったので、当時は関わることなく、終わりました。それで正解だったと思います。


メムリ」(http://memri.jp

Special Dispatch Series No 4752 May/29/2012

帰還権の実現を要求するPLOハマス
―2012年のナクバディ−


これまでと同じように今年も、パレスチナ人は、ナクバディに、行列や集会、黙禱、運動会等の行事をやり、各派各様に帰還権実現の呼びかけを行なった。次に紹介するのは、2012年のナクバディにだされた記事やスピーチである。


帰還権に代わるものはないーPLOの主張


2012年5月15日、PA及びPLO議長アッバスは、ナクバディにあたって演説し、次のように言った。


パレスチナ人民は、その民族の権利を固守し、たとい姿形が変っても、その町や村の名を讃え、永遠に記憶する。この64年間我々は、権利剥奪や追放、そして再定着の試みなど、さまざまな犯罪行為に直面してきた。64年後の今日、我々は世界に向かって、このような目にあっても我々は樫やオリーブの木のようにしっかりと大地に根をおろしているとのメッセージを送る…PLOは、難民の帰還権を堅持する。それは神聖なる権利であるからだ…。


我々のナクバ世代は、1948年以降の時代と、故郷に残り或いは難民として生地や外地に居住する人々の苦しみを、しっかりと記憶している。全員が同じように苦しんでいるのだ。人々は兄弟を母親は子供を探し求めつつ、必死に生きてきた。しかし彼等が、パレスチナを或いはそこへ帰還する権利を一瞬たりとも忘れたことはない。故郷は彼等の心と意識の中に生き続けているのである。


国連決議194とアラブの平和イニシアチブをベースとしたパレスチナの原則顕現闘争は、さまざまな方法で推進されている」※1。


ガザではナクバディの行進で、PLO難民問題局々長アグハ(Zakaria Al-Agha)が、「我々が帰還権に代わるものを受入れることは絶対ない。我々は再定着計画を拒否する」と宣言した。


一方、ファタハ中央委メンバーのアロウル(Mahmoud 'Al-Aloul)は、ファタハ系のウェブサイトに「帰還権というスローガンは、権利実現の(具体的)闘争に置き換えなければならない…柔軟性を示すことなく不動の精神を貫き通さなければならない」とし、帰還権の放棄は無いことを誓った※2。


ファタハのだしたコミュニケは次の通りである。


ディアスポラパレスチナ人は、帰還の権利を持つ。我々は(人民の)正当な権利を守らなければならない。その権利は、国際決議と国際法で保証されてきたのである。ファタハ運動は、民族の行動目標が達成される迄、正当な闘争の道を堅持することを誓い、原則と正当な権利を守り通す。その主たる課題が、難民の帰還権。彼等がその町、村、家そして土地へ戻る権利である」※3。


PA日刊紙Al-Hayat Al-Jadidaでは、コラムニストのラハル(Baha Rahal)が、次のように主張した。


「5月15日、ナクバと流出の日。この日は、パレスチナ人が、ハガナとレヒによって土地と家を根こそぎにされて追い出され、町や村を破壊された時である。このナチシオニスト組織は、銃をつきつけ、殺すぞとおどしながら、住民を追い出した。この日我々は、たわわに稔るヤッフォのオレンジやハイファのカルメル山を夢見る。それは、我々の権利が奪われたことに対する証言であり、忘れさられることはなく、消し去ることもない権利のあかしである…我々は、ガリラヤの風、テルアヴィヴの生活讃歌、カルメル山のふもとに漂う水仙の芳香を、忘れたことは一度もない。我々はパレスチナを隅々まで記憶し、パレスチナは我々の心の中に生き続けている。我々が離れたところに在り、ハイファ、アッコ、ヤッフォ等々歴史的パレスチナ全域へ戻るまで、悲しみと痛みのなかで生き続けるのだ」※4。



パレスチナ人全員が全パレスチナ解放の権利を持つーハマス


ガザのハマス政権情報省が出したコミュニケは、如何なる協定や条約も帰還の権利を抹殺することはできないとし、「武力闘争を中心に据えたあらゆる形態の抵抗が、土地と聖所を奪回し、解放と帰還を約束する真の選択肢である」と表明した※5。



一方ハマス系ウェブサイトには、コラムニストのアドワン博士('Issam 'Adwan)が、パレスチナへの帰還はジハードによって達成されるとし、「武力闘争が、パレスチナ解放の唯一の方法である」と主張した※6。


ナクバディ行進に続いておこなわれた記者会見で、ハマス系の立法評議会議員マスリ(Mushir Al-Masri)は、次のように語った。


「難民は何処に居住しようとも、ヤッフォ・ハイファ等々追い出されたパレスチナの全域へ戻ることを希求している…帰還権の権利は、個人として集団として神聖であり、絶対である。放棄してはならない。譲ってはならない。交渉で妥協してはならない。パレスチナ全域の解放は、我々の祖父の権利であり、殉教者と血を流して傷ついた者、我々全パレスチナ人の権利である」※7。



※1 2012年5月15日付Al-Hayat Al-Jadida (PA)
※2 2012年5月15日付Alaahd.ps
※3 2012年5月15日付Al-Hayat Al-Jadida
※4 2012年5月15日付同上
※5 2012年5月15日付palinfo.com
※6 2012年5月15日付palinfo.com; felesteen.ps
※7 2012年5月15日付palinfo.com
※8 2012年5月15日付Al-Quds(エルサレム

(引用終)