ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

有言実行の前置きとして

昨日、ある懸案について慎重に考えていたところ、とても興味深いコラムに出会いました。
計5回のシリーズです。要約をご紹介したいと思います。私にとっては、半ば胸のすくような、これから始まる新たな課題に対する一つの有力な指針となりそうな、重要な資料です。
執筆者:キャノングローバル戦略研究所の研究主幹 宮家邦彦氏
(略歴は、東大法卒後、外務省に入省し、1978年4月、外務省研修所でアラビア語を学ぶ。米国一等書記官を務めた後、外務省中近東第一課長、宇野外務大臣の秘書官事務などを歴任。2005年まで外務省の中東政策形成に関与。現在は、立命館大学客員教授でもある)
資料:http://www.jccme.or.jp/japanese/11/pdf/2011-06/josei06.pdf#
(財)中東協力センター(Japan Cooperation Center for the Middle East)
「中東協力センターニュース」(2011年6/7月−2012年2・3月)
題目:「中東情勢分析・シリーズ:なぜ日本人は中東情勢を読み誤るのか」
(1) 専門家にも見えない中東の死角(2011年6月10日記)
(2) 地中海とレバントの歴史的潮流を検証する(2011年8月15日記)
(3) 米国「イスラエル・ロビー」にまつわる7つの神話(2011年10月17日記)
(4) 石油と天然ガスだけではない湾岸情勢(2011年12月12日記)
(5) 日本の中東政策はどうやって決まるのか(2012年2月12日記)


(1) 専門家にも見えない中東の死角(2011年6月10日記) 
・オイル・ショック←あの大騒動がたった一行で片付けられている
・1973年の第四次中東戦争の際、日本がOAPECの理不尽な政治的圧力に屈し、比較的中立的だった中東政策の舵を突如「アラブ寄り」に切った

(ユーリ注1:出所は不明だが、確か、かの緒方貞子先生でさえ、「あれは、初めて自主的に日本が外交選択をした事例ではないでしょうか」みたいなことをおっしゃっていたと記憶する。その時感じたのは、(やっぱり緒方先生はカトリックだな)ということと、(国連の人権関連のお仕事にも関与されていたから、日本女性の代表として、公的な立場からも、周囲に気を使っておっしゃっているのだろう)ということだった。)
(ユーリ注2:2007年3月初旬のイスラエル旅行の際にガイドを務めてくださったS先生の半生記を読んだところ、この石油ショックを機に日本がアラブ寄りになったあまり、ついにイスラーム改宗した日本人がいて、それにはS先生も、義憤を感じていらしたようだった。)
・振り返ってみれば「アラブ石油戦略」にパニックしただけの無用な政策転換だったが、正常化するのに15年もかかった。
・1978年9月、福田赴夫首相が戒厳令発布直前のテヘランを訪問したが、わずか4カ月後にパーレビ王朝は崩壊。
・1980年のイラン・イラク戦争当時、日本でサダム・フセインの野望を予測できた専門家はいない。1991年の湾岸戦争時、サダムの出方を読み誤った。
・当時、外務省内で戦争勃発を正しく予測したのは、米国専門家だった。

(ユーリ注:湾岸戦争の時、私はマレーシアで仕事をしていたため、あの臨場感に満ちた一種独特の雰囲気は、よく覚えている。マレーシアのテレビ画面は、イラク側の報道がCNNと同時に流されていて、私の教え子であったマレー人学生の一部が、突然、目をギラギラと輝かせて、書く作文の内容まで、サダム・フセイン礼賛に変わったことを思い出す。一方、隣の州に住む、実兄が米国で博士号を取得して米国人女性と結婚したインド系カトリックの女性の友達に電話すると、「いやぁねぇ。どちらが正しいか、考えたらすぐにわかるじゃないの。マレー人はね、盲目的にムスリム側の報道や言説を信じて従っているのよ」と言ったことまで、ありありと覚えている。このことを、日本の某大学の授業で、一つのエピソードとして紹介したところ、イスラーム寄りに立つ日本人学生が、途端に嫌そうな顔をした。)
・2001年の9.11事件を予想できなかったことは仕方ない。
(ユーリ注:これに関しては、米国内でも、早くから文筆活動で警鐘を鳴らしていたのに、自分のことはまるで無視されていたと自ら述べている米国の専門家が、雄弁な立証である。当時の私が、あのテレビ映像を見た時に思ったのは、(とうとうやっちゃった!なんてことをしてくれたの?)であった。今はなきツイン・タワーに上り、写真まで残してある主人が、横でぼそっと「ね、アメリカは大変なことになっているよ」と、これまた落ち着き払って言った。その翌日だったかに、京都市内のタクシーに乗ったところ、運転手のおじさんが「(アメリカに対して)やりましたね。あんなことしたら、やられ返されるに決まっているのに」と言ったことも、まだ記憶に新しい。)
・当時の日本は、悲観論さえ唱えていれば尤もらしく聞こえた時代だった。
・2011年。「アラブの春」「ジャスミン革命」と持て囃した専門家。いい加減なことは言わない方が良い。
・日本の専門家は過去40年近く、節目節目で、中東地域の諸現象を読み違えてきたようなのだ。なぜ、私たちはこうも判断を誤るのか。

(ユーリ注:これに倣って、私も言いたい!第一、マレーシアに4年間も住んできたのに、帰国直後の私に、「あの国はこうだから」と講釈説教を垂れた人は、実は母校の教官だった。ただ、そのような厳しいズレは、私の自立心を否が応でも促し、慢心への戒めとして働いていることを銘記したい。)

・中東21カ国の地域関係当事者4種(中東をめぐる国際政治の主要プレーヤー)
アラブ諸国
② トルコ・イスラエル・イラン・アフガニスタン(非アラブ諸国
③ 欧米諸国(特に米国)
④ 非国家の過激集団
・行動原理を正確に理解すること。
①の懸案:「統治の正当性」が基本的に確立していないこと
②は、アフガニスタンを除き、少数派ながら歴史的に極めて重要な役割を果たしてきたこと
(例:8世紀以降のアッバース朝で、アラブ文学の担い手の多くがユダヤ人とペルシャ人だった)

(ユーリ注:それに加えて、アラビア語を話すキリスト教徒および、ムスリム男性と結婚したキリスト教徒の母親から生まれた子弟(つまりムスリム)も含むのではないだろうか。)
・トルコ:軍事(イスタンブールを首都とするオスマン・トルコが、中東の政治・経済・文化・軍事の中心に)
オスマン・トルコ滅亡→イスラエル建国→1979年以降のイラン台頭
→歴史の偶然ではない
・アラブ人の強い不信感:アラブvs非アラブ(相克)
③ リアル・ポリティックスに徹する欧米
・中東における欧米の植民地支配:歴史的には、ごく最近始まった欧米の優位現象

(ユーリ注:これは、膨大な量のキリスト教文献の一部からも立証できる。それにも関わらず、献身的に命がけで「奉仕」したキリスト教宣教師達は、事実に反して過分なほど一方的に責め立てられているという、ポスト・コロニアリズムの知的状況が観察できる。)
・中東の大国オスマン・トルコの脅威は中世欧州キリスト教世界における最大の問題
・欧州と中東・北アフリカ地域は、何度も相互に支配と被支配、侵略と服従を繰り返してきた歴史的因縁を共有するライバル同士
・アラブ人は「現在は欧米がたまたま優位に立っているだけ」と信じている
・現実はそう甘くない。近代以降のアラブ社会の停滞は誰の目にも明らかである。
・先進諸国の経済援助額の増加→真の中産階級が育たず
④輝きを失いつつあるテロ集団
・反米・反西欧・反イスラーム穏健派の過激主義活動という「現象」の一部
・過激主義が「民主化」プロセスをハイジャックする可能性は十分残っている
☆日本が中東政治の主要プレーヤーになることは難しい
→せめて優秀な専門家を育てることで欧米との情報ギャップを埋める必要があるはず

(ユーリ注:「中東と西洋の架け橋になれる日本」などという豪語をこの耳で聞いたのは、確か2004年頃のことではなかったか。そういういい加減なことを公の場で発言するや否や、どういう人材が寄ってくるかは、考えなくても想像がつく。)
→専門家養成は結構難しい。アラビア語の知識+中東各国の歴史+英語とキリスト教+ユダヤ教ヘブライ語ペルシャ語の知識
(ユーリ注:ここで俄かに首をかしげたくなった私。宮家先生、そんなに出来る人って、欧米人でもいないのでは?ペルシャ語アラビア語は近似性があると聞いた上、アラビア語ヘブライ語も同じセム系言語だ。しかし、言語以外に、キリスト教ユダヤ教の関係一つとっても、専門的にはなかなか難しく、そこにイスラームが入ってくるとなれば、いずれも中途半端で、アイデンティティも混乱し、不安定になるばかりだ。先方から見れば、不信感が募る。それ以上に、いろいろと勉強しているうちに、一生の大半が終わってしまうのでは?英語ばかりでなく、フランス語文献を読む力は、絶対に必要だと私は思っている。)
・パリ・ロンドン・ワシントンで中東政治かエネルギー問題を専門的にフォローする必要。
・ポイントは、歴史とパワーの流れ。
・一部有識者の理論化を鵜呑みにしない。
・ある国での混乱が直ちに他国に波及するとは限らない。
・最新技術は確かに優れているが、騒乱が続く真の原因は民衆の怒り
☆6次元連立方程式→3種類のプレート変動
① 地中海変数(「欧州」vs「北アフリカ」)
② レバント変数(「イスラエル」vs「パレスチナ・アラブ」)
③ 湾岸変数(「イラン」vs「湾岸アラブ」)
④ 世俗変数(「世俗主義・アラブ民族主義」vs「イスラム過激主義」)
イスラム変数(「穏健イスラム主義」vs「テロ・イスラム過激主義」)
⑥ 少数派変数(「少数派政権」vs「多数派政治エリート」)
パレスチナを中心とするレバント地域は楽観的になれない。イスラエルは地域の恒常的不安定要素であり、三大一神教の聖地であるエルサレムを含むパレスチナ問題も未解決のまま。
☆なぜ読み誤るのか
①一般国民にとって中東地域は馴染みが薄く、高い知的関心を維持し続けることが、心理的にも物理的にも困難(←誰の責任でもない。ある程度仕方のないこと)

(ユーリ注:まったくその通りであって、私が「米国のある方」から依頼された課題について、自分自身は、これまでの経緯からそれほど問題ないとしても、日本人の端くれである以上、日本社会に対する深い愛着と誇りのために、事前にいささかの予備的な心構えというのか、一瞬怯む瞬間というのか、心理的に躊躇する側面もあったのだ。中には、このような日本社会の傾向を逆手にとって、キリスト教神学者として威張り散らす人もいないわけではなかった。「一神教に対するコンプレックスですね」というような発言を、この耳で聞いて仰天したのは、2004年のことであったと記憶する。一方、そのような私の心配を「ある方」に再度訴えると、「もし自分が間違っていたとしたら、この話は先に進めるのをやめよう」と、まずは受け留められた上で、「自分だって、それほど深く広く、中東についての知識を日本人に持ってもらおうとは期待していない」と。それで安心したのだが、またもや心配性の私は、防衛大学校のある教授が十数年も前に書かれた英語論文で、「ある方」を名指しで批判しているのを見つけてしまい、「9.11後、この教授がどういうお考えをお持ちなのかはわかりませんが、同意できるのは、今は状況がそれほど単純ではないということです」などと、余計なことを書き送ってしまった。ともかく、揺れ動く私の心理は、宮家先生が述べていらっしゃるごとく、日本で優秀だとされる外交官や専門家でさえ、このような状態だという苦境を、自分のマレーシアの研究テーマからも痛感しているからである。また、いくら先方から頼まれたからと言っても、頻繁にメールで交流するようになってまだ2カ月。面識がないのに、あまりにあっさりと安請負するような事柄ではなく、また、すべきではないと思うからである。繰り返しになるが、戸惑いながらも、少しずつ、疑問や懸念を真っ直ぐにぶつけて、一つずつ回答を得、気持ちを整理しながら決心に至りたい。何だか、婚約から結婚式に至るまでのプロセスを辿っているかのようだ。)

② 専門としない国際政治学者などが、中東の歴史や文化に関する基本的な知識を欠いたまま、苦し紛れの論評を行うケース。
③ 欧米諸国やユダヤ系社会に対する十分な知識や経験を持たないケース。
→・欧米特有のイスラムに対する偏見やステレオタイプの中東観に無意識に染まっている事例
 ・中東アラブ・モスレム(ママ)大衆が欧米諸国やユダヤ社会に対し抱く偏見を無批判に共有している深刻な事例

(ユーリ注:上記の二つの事例は、いずれも合わせ鏡のようなものではないか。宮家先生のご指摘はごもっともだし、外交官は日本の国益のために「中立的」立場で働くのが、建前であり義務でもあるのだから、よく理解できる。しかし、現実問題として、これは至難の業ではないだろうか。知識としては「公平で中立」であり得ても、コインの裏表のようなもので、裏を見ているのに「表がない」と指摘されているようなものだ。これを一体、どのように克服すべきなのだろうか。例えば、マレーシアの私の研究テーマについても、いくらイスラームムスリムを理解したつもりになったとしても、聖書翻訳を中心にリサーチしている以上、聖書をほとんど読むことのないムスリムの主張に加担するわけにはいかないのだ。)


(2) 地中海とレバントの歴史的潮流を検証する(2011年8月15日記)
(前回のまとめと復習:私にとって重要だと思った点は)欧米ユダヤ社会をよく知らない中東専門家がアラブ・ムスリム知識人の一方的見解を受け売りする例すらあること

(ユーリ注:確か、NHKラジオ教育番組を1998年頃に聴いていたら、後藤明先生だったか、「これまで私達が学校で習っていたような欧米中心の世界史ではなく、ムスリム地域の目で見た世界史も知ることが必要」みたいなことをおっしゃっていたかと記憶する。確かに、マレーシアでも同じような言説があり、何も知らなかった頃は、単純に新鮮でおもしろかったのだが、そのうちに、何とも言えない苦痛を感じるようになったことを申し添える。これは偏見ではない。実感覚である。それまで培ってきたささやかな自分の知的人生が、まるで崩壊するような感覚に囚われたのだ。)

・トルコは西側自由主義陣営の一翼を担うとともに、EU加盟を目指して外交努力を傾注
→欧州がトルコをEUメンバーとして受け入れる可能性は低い
→最近では、中東の有力なイスラム国家として新たな対中東外交を活発化
・「世俗主義からイスラム化」一般に見られる現象
・地中海を挟んだ「南北」の緊張関係は「反発」と「融合」の要素を含む
・第二次大戦後の欧州の労働力不足により、北アフリカ・レバントのムスリムが労働者として大量流入。排外主義の根強い欧州で対ムスリム差別はむしろ増大。
・人口現象、経済停滞、植民地主義負の遺産などにより「欧州の凋落」が一層顕在化→欧州の優位性は消え、中東のムスリムにとって欧州は近代化のモデルではなくなりつつある。
・欧州の世俗主義とは一線を画した「イスラム主義の下での中東型民主主義」を模索していく可能性の方が高い。
北アフリカ情勢は基本的に欧州との問題。パレスチナ問題や湾岸情勢とは切り離して議論すべき。
・今回も米国・イスラエル陰謀説などがささやかれたようだが、リビア軍事介入を強硬に主張したのは英仏両国であって、米国ではない。
・現在に至るまで、エジプトとヨルダン以外にイスラエルと平和条約を結んだアラブ諸国は皆無。恐らく、当面は煮え切らない曖昧な状況が続くだろう。
パレスチナ側の深刻な分裂(ハマースとファタハ
・バアス党バシャール大統領率いるシリアはイスラエルと最も敵対するアラブ諸国の一つ
イスラエルとシリアは戦う意味がほとんどないから戦わない
→エジプトよりも怖いシリア(レバノン宗主国)の政変
→崩壊したシリア・バアス党に代わり、スンニー派ムスリム同胞団イスラム過激派が政治的実権を握り、イスラエルに対する態度を一層硬化させる可能性
イスラエルとシリア国境でイスラエルに対するテロ活動が急増し、軍事的緊張が一気に高まる覚悟
→シリア・バアス党の独裁体制を過少評価することは危険

(ユーリ注:以前にも述べたことだが、ある若い男子院生がシリアを専攻するというので、「また教えてください」と返事をしたところ、「イスラームがほどよいところ。バアス党ですから」と言った。この一言で(こりゃ、ダメだ)と直感した私。行ったこともない中東地域なのに、学部生時代から毎週のように目を通している世界キリスト教情報などを通して、なぜかカンが働くのだ。)

イスラエル側は、自らの不用意な言動がシリア内外情勢を刺激し、結果的に自国に極めて不利な情勢を生んでしまうことを恐れているに違いない。
・最悪の場合、シリアを起点として、大混乱に陥る可能性すら考えられる。


(3) 米国「イスラエル・ロビー」にまつわる7つの神話(2011年10月17日記)
・日本人に中東情勢を読み誤らせる典型例が「ユダヤ・ロビー」陰謀説
←米国には世界のユダヤ人が資金援助する「イスラエル・ロビー」がある。ユダヤ系米国人は豊富な資金力・集票力を駆使し、米国政治を支配。無条件で対イスラエル関係を最優先し、米国の中東政策を捻じ曲げている。
⇒一見尤もらしく聞こえるが、かなりいい加減な俗説。こんな陰謀説を信ずる人に限って、何たるかをよく理解していない。「ユダヤ・ロビー」と「イスラエル・ロビー」の違いも分からない。
・確かに、「ユダヤ・ロビー」は政治的に強力だが、影響力には自ずから限界がある。
・「ロビイスト」とは、一般にアメリカ合衆国立法府・行政府の議員、閣僚やその関係者に対する陳情等を通じ政治的影響力を及ぼそうとする団体もしくは個人。「ロビー活動」の用語は19世紀後半グラント大統領の時代から。
・1995年ロビー活動・公開法(The Lobbying and Disclosure Act of 1995)(2 U.S.C.1601)
・親イスラエル[ロビー]の政治団体は一つ(AIPAC: American Israel Public Affairs Committee) しかない。前身は「米国シオニスト評議会(American Zionist Council)」。
上下両院に登録されたロビイストは10人未満。会員は10万人。
・Pro-Israel Advocacy Groups
The Conference of President of Major American Jewish Organizations
American Israel Public Affairs Committee
The American Jewish Committee
The Anti-Defamation League
The American Jewish Congress
The Washington Institute for Near East Policy
B’nai B’rith International
The Zionist Organisation of America
American Friends of Likud
Mercaz-USA
The Israel Policy of Forum
The Religious Action Center of Reform Judaism
Americans for a Safe Israel
Hadassah

・現在の在米ユダヤ人口は米国総人口の2%未満の500万人程度。年々同化が進み減少。
・強力なイスラエルの「味方」は全米3000万人の福音派エヴァンジェリカル)。多くがキリスト教右派に属する。ディスペンセーション主義。キリストの再臨の前にユダヤ人が聖地に帰還するという信仰で、米国では1844年から「キリスト教徒が救済されるために、ユダヤ人をイスラエルに帰還させる」運動が始まった。

(ユーリ注:このような解説は、既に日本でも書籍が出ているが、実は、事はそれほど単純ではなさそうだ。例えば、南メソディスト大学パーキンス神学部のロバート・ハント先生は、自ら「エヴァンジェリカル」だと私に書き送ってくださったが、しかしながら、例えば、ジョージタウン大学のジョン・L・エスポジト教授が、2011年12月20日に京都講演で述べた内容を伝えると「あの人は、ほとんど福音派について何も知らない」と即座に返答が来た。ハートフォード神学校で1990年代の10年間を学長として務められたバーバラ・ジクモント教授も、最後の講演会で「福音派について説明しようとするならば、1年間の講義が必要だ」と述べられていた。さらに、ケンブリッジ大学で博士号を授与された、マレーシアの広東系神学者のDr. Ng Kam Wengも、「だいたい、リベラルだと自称している人は、福音派について知らない」と酷評されていた。このように、外側からの安易なレッテル付けによって、理解したような気になることは、非常に危険であるばかりか滑稽でさえある。私自身の勉強と限られた接触経験を通しても、実は「リベラル系教会」と称する教会に通っている人が、自分なりに折り合いをつけて、極めて福音派的な信仰の持ち主だったりすることもあるし、無教会の人の中にも、福音派にそっくりの信仰を表明することもある。福音派だからといって、知的に停滞しているとか、反知性主義だとか、聖書を文字通り丸ごと信じていると勘違いするのは、大変に失礼な行為であるが、そのように受け留められかねないような記述も、これまでに日本の書籍で時々見かけた。)

・世界シオニスト運動より遥か以前に「ユダヤ人聖地帰還運動」が政治運動化。
・この信仰を広めたのは、ニューヨーク大学ヘブライ学教授のジョージ・ブッシュ博士で、ブッシュ大統領の先祖)
・米国のシオニストがこれを利用しない訳はない。

(ユーリ注:「利用」しているのは、上記の「ある方」も、半ば公然と認めているが、さすがに宮家先生のような失礼な表現はしていない。「我々の味方であり友人だ」から、「我々もそのような友人を支援する」と述べている。つまり、「利用」というより、持ちつ持たれつの共存関係を志向しているのであろう。)
福音派は「ユダヤ人のイスラエル帰還後、そのユダヤ人の大半がキリスト教に改宗する」と信じているから、結局イスラエルはなくなってしまう。
(ユーリ注:これも誤解を生む表現で、あまりにも大雑把過ぎるように感じられる。福音派の中には、数多くの神学的傾向と教派教会がある。私の知る限りでも、そこまで単純ではない。日本国内の教会を少しでも調べれば、すぐに判明することである。また、上記の「ある方」に対して、既に米国かカナダから、本件に関する質問が寄せられている。「福音派を味方にしたとしても、イスラエル周辺の問題が解決した暁には、イスラエル国内のキリスト教徒とユダヤ教徒の間で、また別の問題が噴出するのではないか」と。それに対しては、記憶に頼ることが許されるならば、「そういう可能性もあるが、イスラエル国外の敵国との問題と比べたら、遥かに小さな問題である。また、その時はその時で随時考える」という回答だった。つまり、「ある方」はユダヤ教徒であるが、キリスト教徒との協働作戦については、承知済みなのである。)
イスラエルはAIPACに資金援助しない。ロビー団体が外国から資金援助を得ること自体、今や政治的にタブーである。(The Foreign Agents Registration Act (22 U.C.S.§611))
イスラエル代理人例は非常に少ない。
・AIPACは政治献金を行わない。
ユダヤ系諸団体は優れた情報収集力、優秀な人的資源、組織的行動力などを駆使し、可能な限り多くの政治家と政治家予備軍に対し、必要な情報と支援(場合によってはアドバイスや警告)を迅速に提供。
・全ては長年の努力の積み重ねの結果。日々の地道な活動の結果。
・親イスラエルの個人・団体は1990年から2006年までに5680万ドルの資金献金。同時期のアラブ・イスラムの個人・団体が寄付した金額は80万ドル。
・ある議員がイスラエルに不利な発言やアラブ諸国を支援する行動を行ったとすると、AIPACは直ちにその問題点をまとめたペーパーを作成し、議員の選挙区のユダヤ有権者だけでなく、福音派キリスト教団体のメンバーにも送付する→実はその種のプロパガンダによって失われる有権者票は議員にとって大きな脅威ではない。
ユダヤ系団体は全てがシオニストではない。
・実態は一枚岩どころか内部には実にさまざまな意見があり、常に侃々諤々の議論が繰り返されている。それにも関わらず、対外的には弱みを見せず、一致団結して難局を乗り越えようとする傾向が強い。イスラエル政府の政策・方針に「異を唱えない」点でほぼ一致している。例外はJストリート(ジョージ・ソロスが資金源)で、2008年に設立された。リベラル派・改革派の支持。
ユダヤ系米国人の多くはイスラエルを無条件に支持しない
ユダヤ陰謀説の致命的な誤りは、親イスラエル色の強い「ユダヤ・ロビー」関係者とそれ以外のユダヤ系米国人の社会を区別できないこと。
ユダヤ系米国人の政治家やホワイトハウス補佐官たちの米国市民としての誇りと責任感を過少評価することは非常に問題。
・ワシントンにおいて尊敬されているユダヤ系米国人政治家たちは、先祖がユダヤ系であることと米国市民であることは完全に両立し、後者に最終的な判断が優先する。
ユダヤ系だからといって、イスラエル至上主義を振り翳しても、長くは続かないし、恐らくは軽蔑されるだけだ。

(ユーリ注:この記述に関しては、私はよくわからない。私の認識としては、「ユダヤ系=イスラエル至上主義」ではないことは、さまざまなユダヤ系学者達の発言を見ても納得がいく。しかし一方で、自分のルーツと政治的志向から、親イスラエルユダヤ系米国人も存在するわけで、必ずしも熱狂的な「イスラエル至上主義」ではなくとも、支援すべきところは支援する、というのは自然ではないだろうか。この点は、今後のリサーチ課題としよう。)

・中東和平プロセスについては、米国の影響力低下が著しく、恐らく当面進展は望めないだろう。米国がイニシアティブを発揮できたのは、1990年代までの話。


(4) 石油と天然ガスだけではない湾岸情勢(2011年12月12日記)
・「ユダヤ・ロビー」陰謀説と「米石油資本」陰謀説←ロックフェラーやブッシュなどの米石油メジャーが中東で戦争を繰り返す。9.11は米国の自作自演テロ。
・世の中にはこの種の噂話を無批判に信じる人々が少なくない。しかも、こうした陰謀論の多くは地域情勢をそれなりに勉強した人々が流すらしく、素人の耳には結構尤もらしく聞こえるから始末が悪い。

(ユーリ注:確かに、某大学で非常勤講師をしていた頃に知り合った、ある女性教師の方から、真剣に言われたことがある。「インドネシア人が言っていたから本当だけど、アメリカって本当にひどい国なのよ。月に宇宙飛行士を飛ばした映像も、作り話なんだって。9.11も、あれ、米国が裏で操っているという話よ」。その上、こうまで助言されたのだ。「あなたも、これからはもっとうまく立ち回りなさいね」。今でも覚えているが、インドネシアアメリカの政治中枢にいる人々との教育や知識や情報の客観的な違いを見れば、どちらがおかしなことを言っているかは、すぐに判別できなければならない。そもそも、「インドネシア人が言っていたから本当」というのは、どういう論旨展開なのだろうか。私には今でも、よくわからない。しかし、この話はその人の責任だけではないだろう。田中宇氏だったかの文章を読んでいたら、確かあの頃、そんなことが書かれていたように思う。氏の奥様が優秀な方のようで、ハーヴァード大学かどこか東部に留学されていたのではなかったか。しかし、私が疑問だったのは、氏の文章の裏付けとなる証拠が、ムスリム諸国のインターネットサイトだったことだ。これにはびっくりさせられた。「両者を公平に見ること」と主張されるが、そもそも、信憑性の上で、どちらに重きを置いたらよいのかは、最初からよく検討すべきであろう。もしも、実情を知らないならば、黙っている方が賢明であろう。)

・2004年バグダッドイラク暫定統治機構に出向。日本では「イラク戦争は石油利権獲得のための戦争だった」と批判されていたが、米系石油会社がイラクの石油利権を獲得した事実は全くない。
・古くから文明が栄え、人口が多く民度も高い大国たるイランとイラクに比べれば、湾岸協力評議会諸国はあまりにも弱体。
・第一に、イランが地域の大国としてイラクや湾岸弱小アラブ諸国に対し強烈な優越意識を持っていること。第二に、イラクがイランだけでなく周辺民族全体に対し強い猜疑心と劣等感を持っていること。第三に、イランとイラクを湾岸協力評議会諸国が強く恐れていること。
・1979年のイラン革命と9.11同時テロ事件は密接な関連があると考えるべき。
サウード家の統治の正統性はワッハーブ主義。巨大油田が相次いで発見されたことは、最大の幸運であり、かつ不運でもあった。
ワッハーブ主義とは、砂漠という苛酷な自然環境の下で神に忠実に生きた貧しい時代にこそ実践可能な教義。

・多くの「普通」の王族は王国内で禁欲的生活を送る一方、一度欧州など外国に出れば大酒を飲み、欧米の堕落した物質的生活を謳歌してきた。
イラクは、犠牲者どころか、イラン革命成功の最大の功労者。
・1979年11月にテヘランで起きた米国大使館占拠事件以降、米国とイランの関係は悪化。1980年4月米軍による人質救出作戦が失敗して以降、米軍は湾岸地域駐留を真剣に検討し始める。作業に10年を費やした。もしこの知的準備作業がなかったら、1990−91年に米軍だけでも70万人近い部隊を迅速にサウジアラビアに集結・展開させ、湾岸戦争をたたくことは不可能だったという。
・米軍撤退で生ずる「力の空白」を埋めるのはイランとなる可能性が最も高い→イランと米国・イスラエルを巻き込んだ大規模な衝突が現実のものとなる可能性が高まる。当然ながら、日本はそのような状況が生じないよう日頃から情報収集に努めつつ、最悪の事態に備えておく必要がある。
・イランが核兵器開発を断念する可能性はまずない。インドが持ち、パキスタンが持つ核兵器を、地域の大国を自負するイランが持たない道理は(少なくともイラン人には)ない。

(ユーリ注:数年前に、イランのお役人による講演を聞いたことがあるが、「米国はちっとも理解していない、イランの場合は合理的なエネルギー供給源としての開発事業を行っているのだ」という話だった。ついでながら、日本側の主催者が、「イランでは、聖職者が政治的決定に重要な働きをするが、アメリカはそれがわかっていない」とまで付け加えた。あまりのことに仰天したのを覚えている。わかっていないのは、一体どちらなのだろうか。米国にも、イラン系移民が住んでいることを、どのように理解されているのだろうか。)
・巷に流れる「対イラン核施設攻撃」の噂は、基本的に対イラン制裁強化のためのプロパガンダである。本気で攻撃するならば、噂を流す必要などないはずだ。
・仮に米国が強硬に反対したとしても、イスラエルは必ず攻撃を行うだろう。イスラエルホロコースト症候群とはそういうものだ。

(ユーリ注:「イスラエルホロコースト症候群」について、関連事項を一言。確かに、私の知るユダヤ系も、自分(達)がどのように思われているか、自分(達)の味方なのかどうか、何とか確かめたがり、それに応じて対応を決める傾向があるように感じている。私自身は、その点について、歴史的経緯から共感的に理解を深めていきたいと願っている上、少なくとも、敵視される理由も筋合いもないと思っている。例えば、会話の途中で‘verbal jihad’という表現を使ったところ、思わずビクッと身を震わせたユダヤイスラエル人女性を知っている。また、日本におけるいわゆる「陰謀論」について「非常に奇妙な記述だと思った」と私が書いたメールの返答には、「あなたの書いた手紙を注意深く読んだが、今は時間があまりないので、短く別件のみ返事する」というように記されてあった。このように、自分達が陰謀論の主人公であるかのように誤って考えられる兆候が、相手の言動のうちに少しでも見られると受け取った場合、非常に敏感に反応するのだな、と学んだ次第である。通常、自分達の国土を持ち、民族的歴史も文書によって記録保持されている場合、多少の民族的批判が向けられても、その不愉快さに対しては、笑って済ませられるところがあるだろう。しかし、このように独特の反応を示す人々に対しては、ゆめ自分の基準だけで行動してはならないという証左でもある。ある程度の経験が必要なのかもしれないが、微妙な点でもあるので、心したいものである。「イスラエルは強いから。ユダヤ系は裕福で頭がいいから」と言って、何でも我が身に引き寄せて、勝手にユダヤ系やイスラエルに対する批判を浴びせる人が日本人の中にも見出されるが、本当に、その行為の重さをよく考えるべきであろう。そうはいっても、私にも反省すべき過去の経験がある。10年以上も前のことであるが、東京で数日宿泊する必要があった際、国際ユースホステルを利用した。同室の女性は、アルゼンチンから来たというユダヤ系で、何とか英語を話す学校教師だった。スペイン語が少し話せたということで、私とはしばらくおしゃべりをしたが、「あなた、お金持ちなんでしょう?」と二度ほど尋ねた私に、「学校教師だから、そうでもないのよ」と念を押され、「でも、イスラエルにも親戚がいるから、よく連絡を取り合い、送金もするのよ」などと言われた。彼女は、どうやら私に関心を持ったらしく、写真を撮りたいと言うので、それには応じた。残念なのは、私の方が遠慮して、彼女の写真を撮り損ねたことだった。何のための写真だったのか、今では不明である。)


(5) 日本の中東政策はどうやって決まるのか(2012年2月12日記)
・日本の対中東政策は内外から「対米追随」「油乞い」外交などと批判されてきたが、かなり違和感を覚える。
・「日本は対米追随を止め、独自の中東外交を推進すべし」←米国の対中東政策に批判的なアラブ、ムスリムの知識人が日本に対し好んで使う言葉。何故か多くの日本人は「やはり、そうか」と妙に納得し、一部の知識人はこうした「中東人の屁理屈」をオウム返しのように唱えてきた。
・冗談ではない。中東の知識人たちに問いたい。他国の外交政策を批判する暇があったら、自国の独裁体制を憂い、国内の前近代的政治風土を改革すべく声を上げるべきではないか、現代中東の政治的混乱の大半は、あなた方中東政治エリートの統治能力の不足によって生じたのではないのか。

(ユーリ注:これは思い切った批判だ。日本の中東イスラーム研究者は、現地に対して不利なことを発言して、駐日大使館に伝わりもしようものなら、入国ビザが禁止になり、地域研究ができなくなることを最も恐れているのだと、私は数年前に東京外大の専任の先生から直接伺った。しかしながら、何事もやってみなければわからない。中東の悪口を書いたり言ったりした日本人が、中東への入国を禁じられたというニュースは、表沙汰にならないだけなのかもしれないが、これまで聞いたことがないからだ。あれば、是非とも教えていただきたい。)

・政策決定の現場に居合わせる機会の多かった筆者には、こうしたアラブ、ムスリムの無責任な批判など到底受け入れらない。
・日本は米国に追随したのではなく、国際法を尊重しない中東の独裁指導体制との決別を当然選択しただけである。
・日本の中東外交は一部で批判されるほど「対米追随」ではなかったと思う。第二次大戦後の日本の中東政策は多くの失敗を積み重ねながら、試行錯誤を繰り返しつつも、着実に進化してきたといえるだろう。
・主な日本の失敗:①1970年代、アラブに追随し過ぎたこと②1990年代、湾岸での国際的安全保障活動に関与できなかったこと③21世紀に入り中東政治の有力プレーヤーの地位を失ったこと。
・失敗の理由:①一神教信仰伝統のない日本では元々中東への関心が低いこと②有力学者の多くが中東の基本知識を欠いていること③多くの中東専門家が欧米やユダヤ系の社会を知らないこと。
・手前味噌になるが、日本の外務省が養成してきた中東専門家は、欧米と比べても決して引けを取らない。多くは欧米外務省中東専門家も驚くほどの豊富な知識と鋭い分析に秀で、日本中東外交の貴重な威力となっている。
・欧米中心の国際政治学を学んだ有力学者たちの無知と、中東を真面目に勉強しようとしない多くの職業政治家の知的怠慢。
・中東外交という見地からは、学者よりも政治家の資質の有無が極めて重要だ。
・日本の政治家は、一神教の世界を理解できない。欧米とは異なり、日本の選挙では中東情勢に関する知識はほとんど必要ない。勉強しないと「ユダヤ陰謀論」「対イスラム恐怖心」の虜になり易く、いつまでたっても欧米政治家の中東を重視する発想そのものが理解できない。
・日本の政治家は戦争が発生しないと中東に関心を持たない。ほぼ10年毎に起きる戦争の後で「一夜漬け」勉強はするが。
・日本の政治家は中東情勢を経済とエネルギーの視点でしか見ない。やたら戦略的という言葉を使いたがるくせに、中東を戦略的に考える知的訓練を受けていない。新聞記事以上の知識は持ち合わせていない。
・1973年の第一次石油危機から79年の第二次石油危機まで。OAPECの石油戦略が発動され、日本の官民が原油調達に一喜一憂した時期。経済界はアラブボイコットに慄き、イスラエルとの関係冷却化が進んだ時期でもある。当時のアラブ諸国パレスチナ問題解決のための具体的戦略など考えてもいなかった。日本は石油資源を握るアラブ諸国の「いい加減さ」を疑うこともなく「石油戦略」に振り回され続けた。
・何と杜撰な政策決定であろう。米国、イスラエル、欧州諸国の動き、原油市場の中長期的見通しなどを考慮した形跡はない。
・当時の外務省に上級職アラビストは確か一人だけ。対アラブ外交は優秀なアラビア語専門職集団でかろうじて繋いでいた。実行する兵隊が圧倒的に足りなかった。

(ユーリ注:私の学部時代の母校の「先輩」である外交官によれば、アラビストは100名ぐらいいて、ヘブライ語専門家は8人ぐらいだったと、ご講演で述べていた。この「アラビスト」という表現は、アメリカのロバート・ハント先生も私宛のメールで「自分はアラビストじゃないけれど」と使っていらして、何だか、同士のような共感が突然湧いたように覚えている。やはり、こういう語彙があるということは、中東には独特のものが存在するという意味なのだろう。)
・警視庁の中東への関心→上級職をアラビア語研修に出したという話を聞かない。1970−80年代には「日本赤軍」がレバノンのベカー高原を主な根拠地とし、パレスチナ解放人民戦線などパレスチナ極左過激派と連携しつつ、無差別テロ事件を繰り返していた。
・外務省幹部レベルに中東専門家がいなかったことが災いしてか、「イランとイラクの仲介」とか「イランと米国の仲介」などというおよそ浮世離れした「和平努力」に無駄な勢力が注がれるようになる。
・外務省では、1973年以来悪化したイスラエルとの関係改善が水面下で志向され、1988年6月には宇野外務大臣イスラエルを訪問した。負の遺産がようやく解消。
・過去40年間に日本政府内外の専門家たちは、イスラエルの傲慢さも、アラブのいい加減さも、イランの抜け目なさも、欧州の狡賢さも、米国の楽天的単純さも、それなりにしっかりと学んできたはずである。
・中東地域は欧米と中東の「政治の猛者」が数百年競い合ってきた戦場。今の日本に必要なのは彼らと互角に戦える本格的な国際政治家。

(要約終)

「懸案」とは、つまるところ、こうです。恐らく、先方(「ある方」)はジリジリしながら忍耐強く待っていらっしゃり、(もうわかったから、ぐちぐち考えてないで、はよせよ!)とハッパをかけたいところなのでしょう。基本路線としては同意し、気持ちとしても前向きであることに変わりはないとしても、この複雑で変動の大きい世界情勢の中で、好むと好まざるとに関わらず、相互依存の時代に突入しているという現実を、どのようにきっちりと見極めたらよいのか、己の立場をしっかりと保ちつつも、「ある方」のお考えをどのように効果的に伝えていくか、ということです。冷戦期のような二元対抗的な思考がもはや通用しなくなった、込み入った時代に生きる世代に向けてのメッセージなのですから、単純な懐古趣味のようなことであっては、説得力を失ってしまいます。
これがなかなか難題で、先方のペースの速さに、むしろ(「ある方」の)焦りのようなものを感じたり、いかにも単純な米国人思考だなと思ってしまったり、という状態。
とりあえず、「ご存じのこととは思いますが、何か新しいこと、チャレンジングなことを始める前に、あらゆる角度から、前もって予想されうる問題をよく検討することが、我々日本人のやり方です。時間がかかるように思われるでしょうが、いったん合意に達したら、後は全力を挙げて勤勉に働くのが、日本人なんです」と、苦しい言い訳(?)めいた本音をお伝えしてはいます。
すると、どういうお返事だったか。「わかっている。自分だって、そういう日本のやり方を賞賛して、自分の仕事にも適用させているよ」と。さすがは、戦略家ですねぇ。

とはいえ、いろいろと具体的に調べていくと、どうも、「ある方」の一方的な日本への片想いみたいな好意や称賛と同時に、(何だか、一部の日本人について、変なことを調べていらっしゃったんですねぇ)と首をかしげたくなるような事例も出てきて、悩ましいところです。というのは、日本語や日本文化全般をバランスよく理解せずに、文献だけで書いているような文章があり、(う!それは米国内でもセンシティヴでは?日本人としては黙っていられない!)というような発見も、一部にあったからです。
「変なこと」というのは、確かに、そのような現象が日本社会に見られたことは、過去の事実として私でも知っているものの、同時に、すべての日本人がその現象に影響されているわけではないことを承知しているからなのです。つまり、友人かリサーチ・アシスタントのような人が、一人でも日本にいたならば、書く前に助言でももらって、よく検討すべきではなかったかとも感じられたのです。
主人曰く、「あんまり突っつかない方がいいんじゃないか、そこ。多分、返事はしてこないだろう、自分の名誉に関わることだから。つまり、友達ができなかったんだろう」。でも、気になる点は、予めストレートに問い合わせて、一応の解決や目途をつけておきたいですよね?
かくいう私自身も、それほど社交家ではないので、マレーシアでのリサーチも、あちこち精力的に飛び回って、夜遅くまで団欒に付き合って、というようなことをしているのではありません。何といっても暑いので、疲れてしまいますし、あの早口英語やマレー語を聞きとるだけでも、慣れているとはいえ、今でも大変なことです。ですから、どちらかと言えば、短い接触であったとしても、最大限、状況をくみ取るような努力をしつつ、後は、帰国後もこまめに連絡を取ったり、ありとあらゆる文献で追跡したり、という水面下の作業の方が大きいと思います。自分の発言が万全だという自信はありません。ただ、リサーチャーの端くれとして、(もしも自分だったら、日本にせっかく来たのなら、言葉がわからないながらも、何とか日本人と友好的に付き合ってみたいと思うだろうな。何か書こうとするなら、ちょっと相談してみるだろうな)と、思ったまでのことです。

とにかく、前置きが長過ぎる、と主人に言われました。有言実行、これに尽きますね。