ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

ジェットコースターのごとく

前日の「ユーリの部屋」で、「婚約から結婚式に至るプロセス」という譬えを使いましたが(http://d/hatena.ne.jp/itunalily/20120321)、大袈裟ではなく、まさにそんな感じです。
縁起でもない、とお怒りにならないでください。
特に日本では、「結婚」というと、一昔前まで「ゴールイン」「幸せになります」というような、非常に短絡的かつ非現実的な表現が多用されていたように思います。ただ、実際を考えれば、結婚から新たな人生が「スタート」するのであり、結婚したからと言って、必ずしも、自動的に「幸せに」なる保障などどこにもありません。その反動として、「結婚したっていいことないから、シングルのままでいた方がいい。仕事があって、いい友達がいれば、充分幸せでいられる」という主張も、私の周囲では聞かれました。今から考えれば、何とも幼く、他愛もない話だったかと思います。
「婚約したから、もう結婚式までまっしぐら」と安心しきってしまうのも、なにがし。私の知り合いの話ですが、大学時代から交際していて、自他共に結婚するものと信じていたのに、いざ婚約となった後で、お相手の家庭環境から、一人娘さんである彼女が嫁入りすることがどうしても前提だと先方が言い張ったために、ご両家の条件が最後まで噛み合わず、式場を二人で予約してはキャンセル、場所を変えて予約してはキャンセル、という不安定な状況が続いたのだそうです。そして、なんと、明日が結婚式という前日になって、先方からお断りの返事がきたというのです。
そのことが、その人にとっては非常に長く心理的に尾を引いているようで、そもそも私が聞き出した話ではなかったのですが、何とも心の重い気分になりました。実は、私自身が、最後の最後まで、そのような展開になるのではないか、と一人で気をもんでいたからでもあります。心配性というのか、警戒心が抜群、というのか...。
というのも、随分前にも書いたことですが(参照:(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071117)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081116))、幼稚園ぐらいの時から、式場でお相手から結婚キャンセルされた事例を母や祖母などに聞かされていたからです。「世の中は、どうなるか分からないのだから、慎重に慎重を期して、言動にも細心の注意を払うべきだ」という教訓だったのでしょう。一方、警戒するあまり、チャンスを自らつぶしてきたようなところも私にはあり、その教育の是非については、よく問われなくてはならないと思います。
ただ、今から振り返っても、15年前の今頃の自分の心理状況は、まるでジェットコースターのようで、ちょっとしたことにも疑心暗鬼になっては、妹などに電話で相談していました。主人に会ってくれた妹は、「いつまで迷っているの?あんたも変な人だねぇ。私なら、絶対に迷わないよ」と、太鼓判を押してくれたというのか、後押ししてくれたというのか、批判してくれたというのか....。
父に尋ねてみると、「うまくいくかどうか、それはわからん。自分の人生なんだから、自分で決めろ。まぁまぁの人じゃないか。自分がいいなら、お父さんは反対しないよ」と言ってくれました。通常は、父親が猛反対して、母親が宥め役になるものだそうですが、うちは正反対。今でも感謝しています。
弟にも確認してみたところ、「僕、まだ結婚なんて考えてないし、そんなん、わからん」とつれない返事。でも「真面目な人だねぇ」と感心していたことは確かでした。
迷いに迷い、揺れに揺れた結果は、如何に?主人の人格面や私に対する態度としては、全く変わらず、問題なし。予期せぬ出来事は、唯一、病気になったことだけですが、こればかりは、誰の責任でもありません。
さて。しかし、悩みに悩み、慎重に慎重を期したからこそ、今のような状態でいられるとも思います。冒頭に書いたことは、まさにそうであればいいという希求を反映しているのかもしれません。
ともかく、事実に即して、付和雷同しないこと。自分は自分であり、盲目的に追従しないこと。疑問点や異議があれば、気づいた時点で早めにこまめに連絡を取り、回答を得て、解決を模索すること。これしかないと思っています。
昨日、梅田に出て本屋さんをのぞいてみました。多少は予想がついていたとはいえ、再び、名指しでひどい非難を含む書籍を見つけてしまいました。ただし、私に言わせれば、その言述は曖昧で、不正確なものです。一方、日本社会の位置づけや影響力を考えれば、(めんどくさいことには距離を置いて、関わりたくない)という日本的メンタリティも、わけなしとはしません。
主人は、「名が上がれば、バッシングなんて当然出てくるだろうよ。本人も、気にしてはいないんじゃないか。日本のことなんて、向こうにとってはワンノブゼムだよ。後は、自分で判断して決めたらどうか。ただ、早く決断した方がいいな」と言いました。「文系って、どうしてそう左派的なんだ?君が代、日の丸の問題だって、反対する人もいれば、考えていても従っている人だっているでしょう?世の中、そんなもんだよ。ただ、左派の方が言論上は優勢なように見えても、世間の人達は、必ずしもそう思っていないことだって多いでしょう?僕達だって、新聞は朝日読んでるけど、全面的に賛成しているわけじゃないじゃないか。参考までに読んでいるってこと。後は、自分で考える」「マレーシアの研究だって同じじゃないか。正論を言っても、大学の動向から、通りにくいことだってあるよね。でも、認められにくいから間違っているとは言えない。後から、評価が変わることもあるし」。
そうはいっても、悩みに悩んだプロセスは、後できっと生かされてくるだろうと思います。いえ、そうであってほしいと願っています。