ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

過ぎ去った時を回顧すると

昨晩から午前中にかけて、波多野精一基督教の起源岩波文庫1979/2007年)の大半をようやく読み終えました(参照:2007年12月18日付「ユーリの部屋」)。
著者については、もちろん、お名前は随分前から存じ上げていましたが、2007年3月上旬のイスラエル旅行で、80代の牧師先生から、『時と永遠』が大変おもしろいので、是非読むように、と勧められたことがきっかけです(参照:2007年12月16日付「ユーリの部屋」)。波多野精一氏については、2006年7月の『キリスト教史学』第60集でも、原口尚彰先生が論文で言及されています。
冒頭の書について一言でいうなら、非常におもしろかったばかりでなく、明治41年という時期における日本での、大変な慧眼と進歩的な聖書解釈に、今更のように驚かされたということです。そして、原口先生のご論文の内容も、一つ一つの参考資料を手にしているわけではないために完全な理解ではないものの、(なるほど)と納得させられました。同時に、今でも、先行研究であるはずの本書を読まずに、聖書について、キリスト教について語っている人がいるのではないかとも、個人的経験から少し感じました。
この頃思うのは、今の私には、こうしてある程度フリーな時間があるために、積ん読本を好きなように読め、それによって長年の疑問が解けたり、以前はわからなかったことが少しは理解できるようになった自分を発見するのですが、もしこれが、生活のための仕事に追われていたら、一体、どうなっていたのだろうということです。
世の中にたくさんある学会で発表する人は多くとも、その中の何割が研究職について、一生そのテーマを追求し続けていらっしゃるのか。院生の場合なら、発表後、別の職に就いたり、ある場合にはしばらく研究を休んだり、あるいは止めたり、ということもあるのかもしれません。
ところで、昨日、たまたま主人の名前を検索して、仕事ぶりを垣間見た思いがしました。最初に診断を下されてから早10年。病状は進み、傾いて食事をし、飲む薬の数も増えました。でも、本当にありがたいことに、今も仕事が続けられています。もちろん、毎月のようにアメリカ出張をしていた元気な時期に比べれば、かなりの制約下にあっての仕事です。そうとはいえ、この世界的な不況下にあっても、ボーナスは予想以上にいただき、誠に感謝の限りです。
2002年ぐらいまでは、何とか治さなければならない、と思い詰めていた主人に付き添って、私もいろいろな所に出かけて行ったりもしました。本当は現代医学では治らないことがわかっていても、自分の中で納得できなかったからでしょう。この3年ほどは、今から思い出しても、最も精神的にきつい時期でした。「健康ノート」と称する小ノートに記録を逐一残してありますが、書くことで現状を忘れ、心の負担を軽減させようとした涙ぐましい努力の跡でもあります。その過程で、藁にもすがりたい必死な病人の思いを逆手にとって、安易に「治りますよ」などと言った治療師のこともメモしてあります。そのうちの一件は、しばらく前に新聞で刑事告発されていました。何でも証拠として記録をとり、おかしいと思った時点で主人を引き留めることができて幸いだったと思います。
私の方は、博士論文をどうしようという時期に合致していたのですが、日々の精神状態から、とてもそれどころじゃなかった、というのが本当のところです。そういう時期こそ頑張るべき、という見方もあるでしょう。けれども、そうするためには、もっと資料を集めてもっと落ち着いて取り組まなければならないということもわかっていたので、葛藤、葛藤の毎日でした。やめるなら今かな、とも...。とにかく、何でもいいから、収入を得られる他の方法を早く見つけないと、とも焦っていました。
けれども、昨日振り返ってみたら、それから7年も経ち、何とか二人で暮らしが続いているのです。もちろん、その間、私個人にも、新しい展開がさまざまありました。
また、昨夜ふと思い出したのですが、主人が一時期とても頼りにし、東京まで時々は出掛けて行ったような治療師が突然亡くなったことも含めて、世間というものを考えさせられました。20代前半から本で知っていたのですが、当時もNHKテレビに時々出演していた方で、有名であることは確かでした。ご自身が、若い頃に病弱で悩んでいたものの、ある方法で克服して見事に心身の改善を達成し、40歳から急に人生が開けてきた、という体験を持つ方でした。一般向けの本を何冊も書き、テレビ出演し、日本やアメリカでも各地を巡回しては直接指導に当たり、何か事業上の展開も考えていらしたようです。ところが、あれほど「健康、健康」と唱えていらした割には、60代半ばという今ではまだ若い年齢で、あっさり逝去されてしまったのです。私達が参加するのをやめて、ちょうど1年後のことでした。
こちらも、すべてノートしてあるのですが、しばらく前に読み返していたら、いつも同じ事ばかり言われていたことに気づきました。集う人々も、一部を除き、結構入れ替わりが激しかったことも思い出されました。
当時は気づかなかったのですが、単独自力であそこまで活動を広げ、何の保証もない中で生計を立てなければならないとするなら、多少は強引なやり方もしなければ、人を引き寄せることができなかったのでしょう。
その方自身、最後に私に言われたのが、「自分はここまで生きるとは思わなかった。うちの親父も55歳で死んだ」「自分にも京大出のエリートの友達がいて、大企業に入ったけど、42歳であっという間に白血病で亡くなった。人間なんて、自分がしっかりしているつもりでも、どうなるかわからないものだ」で、主人には「早く治して奥さんを安心させないとな」でした。主人いわく「途中から、僕は変だと気づいたよ。いつも鼻すすっていたし、食事も偏っていたし。だからやめたかったんだ」と。
ともかく今言えるのは、他者の目にはバカバカしいようでも、世の中にはそれを必要としていた人々も大勢いるという事実、そして、あの時期には、それによって私達自身が支えられていた面もあったということです。だから、何となく懐かしい感じもします。結果はどうであれ、これも人生だと。順調なコースを一直線に歩み、本を読んで勉強ばかりしているよりは、迂遠ではあっても、遙かに貴重な世間勉強にはなりました。
とりとめもないようですが、だからこそ、冒頭の話に戻りますと、たとえ古典的であっても、きちんとした本を読む習慣をつけておかないと、判断を誤ることも多いのではないかと考えた次第です。そして、何だかんだ言っても、聖書を読む経験を持っていてよかったと今更のようにも思うのです。一つの判断基準を持つということですから。