ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

物思うこの頃

昨日は、2ヶ月ぶりに民博図書室へ行ってきました。司書の方達とはすっかり顔なじみになってしまい、「この後、本のコピーもしますよね」と、こちらの段取りまで読まれてしまう関係に...。地理的には自宅から近いのですが、図書室へ辿り着くまでが長い散歩道というのか、いい運動になります。その代わり、往復の時間も取られるので、せっかく行く限りは、フルに用事をまとめて資料も最大限集めなければ、と貪欲になります。
マイクロフィッシュの方は、実はまだ終わっていません。結構、目が疲れるので、一気に終わらせるわけにもいかず、日付順になっていないバラバラの書簡の集大成なので、読んでストーリーを追うのも一苦労です。資料を家で整理するのもまた一仕事...。
ただ、こういう時間が持てること、しかも自宅から好きな時に通える距離にあることを、この上なく幸せなことだと思っています。もし、名古屋在住のままだとしたら、新幹線でいちいち通うわけにはいきません。とはいえ、私達の税金から成り立っている図書室なので、専属研究者だけが資料を独占したとしても、たかが利用範囲は知れています。ならば、私のような自由人がふんだんに利用しなければ、もったいないこととも思います。特に、以前から見ていたマイクロフィルムマイクロフィッシュなどは、一体、この内容が理解できるのは誰だろうか、などとも考えてしまいます。

さて、今日は少しお休みして、集めた資料の整理と家の用事を片付けていました。そこへ、某大学からのニューズレターが...。この大学の良いところは、直接関わりがなくなったとしても、会報を毎年送ってくださることです。
ところが、今回は本当にぎょっとしました。訃報記事の多いこと。それも、私個人も数年前にお世話になった先生も含まれていたのです。うかつなことに、連絡もなかったためか、今まで存じ上げませんでした。実家の父と同い年で、ギリシャ語のコンコルダンスやドイツ語の新約聖書ドン・ボスコ社発行のバルバロ訳新約聖書も、ご退職の年の3月にいただいていました。それに、2006年の日本聖書協会主催の国際聖書セミナーでもお目にかかり、一緒に撮らせていただいた写真を「送ってくださいね」と念を押され、しかも、いろいろと親身になって話を聞いてくださった先生でした。お礼に、ギリシャ語にまつわる楽しい本を送ってくださったことも思い出されます。
う〜ん、何というのか、これで一つの時代が終わったという気がします。もちろん、新しい血も入り、若い人達が育っている場なのですが、私のような、遠くから成り行きを眺めていた者にとっては、必ずしも納得のいく動向とはいえず...。しかし母校でもないために、これも世の流れであり、仕方がないか、と。ただ、ご年配の先生方がいつまでもお元気で見守ってくださるだけでも、かなり違うのではないか、などと思っていたのです。
それから、別の先生の奥様の訃報も、間接的に知りました。実は、2004年4月から、ご病状についてご主人の方が私に自発的に語られていたので、同性として心配はしていたのですが、結局のところ、一度もお話しする機会もなく、逝ってしまわれたようです。物の考え方や発想が、私とはまるで違うので、努力しても接点があまりないような印象を持っていましたが、何というのか、まだ40代の若さで亡くなるというのは、やはりショックです。いろいろ発信したいこともたくさんおありだったでしょう。さぞかし無念だったことでしょう。ただ、私の目から見て、どこか無理があったのかもしれないなあ、と。日本社会で信念を持って生きることは、多様性の尊重とか多文化共生とはいえ、あえてそのようなことを言い立てているだけに、かえって難しいことがあったのではないでしょうか。
ふうっ。ちょっと気落ちしていますが、そういうわけで、仕事や地位や財産の有無ではなく、自分が本当に納得のいく時間とエネルギーの使い方を考え、充実した暮らしを心がけねば、と再度思わされた一日でした。