ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

新しく一歩を踏み出す

4月1日。毎年のことながら、エイプリルフールではありません(参照:2008年4月1日付「ユーリの部屋」)。

震災の影響が各方面に徐々に広がりつつある、沈鬱深刻な日々。それでも暦の上で本格的な春が始まるというのは、やはり明るく心躍る経験。何とか希望をつなぎ、新しい出来事に期待を寄せる時期でもあります。

うれしいことに昨日は、不自由な暮らしであろう首都圏を案じて送ったメールの返事として、年下の友人からおめでたいニュースをいただきました。昨年、人生の大問題に直面していることを知らされていて、私自身も、一応年齢の上では「先輩」(と言えるかどうか)として、何となく女の勘で察しがついていたこともあり、驚きと同時に感激でもありました。
国内でも数少ない貴重な選抜資格を得て、国立大学に専任として勤務されていたのですが、とにかく、データ採取や会合など、文字通り世界中を飛び回り、国内出張も多いこと、多いこと。若いうちは勢いでこなせるとしても、いくら健康に自信があったとしても、女性ならば、体力的に男性に勝てっこないことはスポーツ選手を見てもわかることで、(将来、どうされるのかしら?使命感を持って仕事に励んでいるとしても、「私はキャリア・ウーマンなのよ」と、肩をいからせてシングルを貫くタイプにも見えないし......)と、密かに気になっていたのです。
とにかく、一度限りの人生において、ご自身のお気持ちに素直になって、よく悩み、よく考えて、納得のいく結論に至り、一つの段階が定まったことを喜ばしく感じています。公私共に、あらゆる面で大きな転機となった決断を、尊重し尊敬します。

人が独りでいるのは良くない」(創世記 2章18節)と記されているごとく、どんな環境や境遇にあっても、二人で助け合って暮らす決意と基盤があってこそ、人としての完成に導かれるのではないか、というのが、私の実感。その意味で、聖書のことばは確かだともつくづく感じています。(もっとも新約に至っては、「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる」(マタイ福音書 19章12節)「未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう」(第一コリント 7章8節)と、刺激的な表現ながらもバランスよく(?)提示されていますが。以上、『新共同訳』による引用)

そして私事ながら、この私もようやく、4月から新しい勉強を始めることになりました!「新しい」とは言っても、これまでこのブログを続けて読んでくださった方にはお察しのように、全く新規というわけでは必ずしもありません。
かれこれ25年ぐらい前から、いつかはきちんと理論的にも体系的にも学ばなければならないなぁ、と漠然と考えていた分野だったのですが、何といってもそれで身を立てる職(Beruf)として、招かれもせず、あえて自ら望むこともなかったゆえ、問題意識を抱く度に図書館へ走って書籍や文献や論文集を探し、読んではノートをとって考えを巡らす、その繰り返しで過ごしてきました。
ただ、どうしても素人勉強で終わってしまいがちなことが癪に障っていたのと、いくら自分では理解したつもりになっていたとしても公的には認められにくいのが難。その上、学ぶ機関をどこに定めるか、いつから始めるか、どの方を指導者に選ぶのか、などのきっかけも、これまでの複雑で混乱した内外の経緯から、なかなか摑みにくかったのです。

ここ数年かけて、さまざまな角度から具体的に検討し、気になった点は率直に表現したり問いを投げかけたりして、この分野に関するあらゆる側面からの批判や風評をも考慮してきました。同時に、公的な場での義務ないしは課題を続ける過程で、少しずつ自分の感情を整理しつつ、時(Kairos)を待ちました。また、(このように働きかけたら、どう反応されるだろうか)と、私なりの個別の試運転も行ってみました。

結果的に、「よろず慎重で堅実な名古屋人」の割には、大胆なところもあると言われる私のこと、この度、思い切って一歩を踏み出すことになりました。

こちらにとっては、悩み多き準備期間を経た後の決心であり、それなりの順を踏まえての打診のつもりでした。また、周囲との関係から、ある程度、こちらの身元や経歴を確認されるであろうことも了承済みでした。でも先方にとっては突然、「お願いします」と現れた私にいささか驚き、戸惑われた様子。あの震災が発生する直前まで、2月から3月にかけての、忙しくも充実した日々を国内外で楽しく過ごしている間、こちらの真意や意図がどこにあるのか、本当に内情がわかった上での発意なのかどうか、申し訳ないことに、ずっと気になっていらしたようでした。
ともかく、正式に書面で許可が下りるまでは、あくまで公平性と機密性を保つというフェアプレー精神を固く遵守し、話しかけられても私の方で厳しく距離を置いていました。でも、今月からは晴れて解禁。

これも不思議といえば不思議なことで、ある学会で、二年間にわたって、「私が在籍中の今なら、先生方にご紹介できるから、是非うちの大学に来てくださいよ」と、何度も誘ってくださった院生の女性がいました(参照:2008年9月22日付「ユーリの部屋」)。お昼ご飯を一人でニコニコしながら食べていた若い彼女が、初対面の私に対して、「あそこに座っている人は、私の先輩。その向こうの人も...」などと、進んで話を弾ませてくれたのも、今から思えば、何かの伏線だったのかもしれません。

「勉強ができるとは幸せなことですね」と、ご主人を数年前に亡くされて今は同じ敷地内に一人暮らしの、80代の元隣人Nさんから(参照:2007年12月16日付「ユーリの部屋」)、先日、買い物帰りのバスを待つ間に話しかけられました。 「私達の頃は、勉強したくても戦争で中断され、工場で働かされた。結婚してから、また学校に戻ろうかと考えたこともあったけれど、結局はできなくてねぇ」。面接帰りのスーツ姿の私を見て、何かを察せられたのか、Nさんはそうおっしゃいました。

そうなんです。いろいろ問題はあれども、こうして勉強の意欲が持続し、環境が備えられることは、何よりも幸せで、ありがたいことと思います。
当然のことながら今回も、主人の深い理解と客観的な立場からの助言があり、そのために安心して前に進めそうです。この点についても、当たり前と思わず、恵みとして感謝して受けとめたいと思っています。(そう言えば、数年前の学会で、既に先行研究の蓄積された分野の余裕たっぷりな研究発表が多いことに対して、半ば怒り、半ばイライラしながら自分の発表を行った私に、「怒ってちゃだめだよ。それはすごい恵みだよ。感謝して受けとらなければ」と注意してくださった方は、ここのご出身でした(参照:2008年12月11日・2009年3月9日・5月14日・11月25日付「ユーリの部屋」))

家庭との両立の兼ね合いから、最初の半年は、週一回のみ、学生に戻ることになります。いずれにせよ、研究も勉強も自分で続けるもの。基本的には、これまで通りの生活です。
ブログも、無理のない範囲内で、今後も綴っていければと考えています。
新年度も、どうぞよろしくお付き合いください。