ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

『アラブが見た十字軍』から

アミン・マアルーフ(著)牟田口義郎・新川雅子(訳)『アラブが見た十字軍筑摩書房2001/2007年 第十刷)を読み終わりましたが(参照:2008年12月28日付「ユーリの部屋」)、重要なのは最終章と結論だろうと思います。例によって部分抜き書きをしましょう。

われわれは、このことを、うわべに過ぎないとみる。歴史をひもといてみれば、ひとつの確認された事実が明らかになるからだ。すなわち、十字軍時代において、アラブ世界はスペインからイラクまで、依然として、知的および物質的に、この世で最も進んだ文明の担い手だった。しかしその後、世界の中心は決定的に西へ移る。(p.446)

以来アラブは支配され、抑圧され、ばかにされ、自分の土地に住みながらよそ者になり、七世紀以来始まった自分たちの文化的開花を追求することができなかった。フランクがやって来たとき、彼らはすでに足もとがおかしく、過去の遺産で生きることに満足していた。だから、この新たな侵略者に対し、ほとんどの面でまだ明らかに先進的であったにせよ、彼らの衰退は始まっていたのである。(p.448)

アラブの第二の「疾患」は、第一と関係がないわけではないが、安定した法制を組み立てることができなかったことである。(中略)これに対し、ムスリム国家では、このようなことがまったくない。どの国も君主の死におびえていたから、どんな跡目相続も内乱を引き起こす。(p.448)

すなわち、十字軍時代を通じ、アラブは西洋から来る思想に心を開こうとしなかったことである。そして、たぶんこのことこそ、彼らが犠牲者となった侵略のもっとも不幸な結果なのだ。侵略者にとって、征服した民のことばを学ぶのは器用にこなせる。一方、征服された民にとって征服者のことばを学ぶのは妥協であり、さらには裏切りでさえある。実際、フランクの多くはアラビア語を学んだのであるが、これに対して現地の住民は、土着のキリスト教徒のいくつかの例外を除き、西洋人の言葉に無関心で通した。(p.451)

西ヨーロッパにとって、十字軍が真の経済的・文化的革命の糸口であったのに対し、オリエントにおいては、これらの聖戦は衰退と反開花主義の長い世紀に通じてしまう。西方から攻められて、ムスリム世界はちぢみあがり、過度に敏感に、守勢的に、狭量に、非生産的になるのだが、このような態度は世界的規模の発展が続くにつれて一層ひどくなり、発展から疎外されていると思い込む。以来、進歩とは相手側のものになる。近代化も他人のものだ。西洋の象徴である近代化を拒絶して、その文化的・宗教的アイデンティティを確率せよというのか。それとも反対に、自分のアイデンティティを失う危険を冒しても、近代化の道を断固として歩むべきか。イランも、トルコも、またアラブ世界も、このジレンマの解決に成功していない。そのために今日でも、上からの西洋化という局面と、まったく排外的で極端な教条主義という局面とのあいだに、しばしば急激な後退が続いて見られるのである。(p.452)

西洋にかんするアラブの、そして一般的にはムスリムの態度が、今日でもなお、七百年前に終わったと思われているできごとに、どれほど影響されているかを発見して、われわれはしばしば驚く。(p.453)

恒久的に攻撃されているムスリム世界では、一種の被害者意識が生まれるのを阻止することができず、これはある種の狂信者のなかでは危険な強迫観念の形をとる。1981年3月、トルコ人メフメト・アリー・アージャはローマ法王を射殺しようとしたのであったが、手紙のなかで次のように述べている。〈私は十字軍の総大将ヨハネ・パウロ二世を殺すことに決めた〉。この個人的行為を超えて明らかになるのは、中東のアラブは西洋のなかにいつも天敵を見ているということだ。このような敵に対しては、あらゆる敵対行為が、政治的、軍事的、あるいは石油戦略的であろうと、正当な報復となる。そして疑いもなく、この両世界の分裂は十字軍にさかのぼり、アラブは今日でもなお意識の底で、これを一種の強姦のように受けとめている。(p.454)

*上記の「トルコ人メフメト・アリー・アージャ」の件については、2009年5月12日付「ユーリの部屋」をご覧ください。

著者は、1949年レバノン生まれのジャーナリストで、1979年以降、パリに移住したそうです。ベイルートキリスト教系家系出身だからこそ、このように書けたのか興味深いところです。
ところで、実は本書、1986年8月にリブロポートから刊行されていたのです。当時ならば、ここまではっきりと言い切っても問題はなかったのでしょうが、2001年の9.11事件発生後は、なんだか混乱した見解が席巻していたような印象もあります。あれから早くも8年目に入ります。そして、昨日はパキスタンで、また大きなテロがありました。