ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

衣替え

三日がかりで、ようやく家庭内の衣替えがすべて終了しました。思い切って、古くなって家でも着なくなった服をすべて処分することにし、多少はすっきりしました。
これまでは、(いつかは着るかもしれない)などと思っていたものの、考えてみれば、セーターやスカートなど、学部1年の時から大学へ着て行ったようなものがほとんどで、今の私の体型では小さく見えます。(いえ、洗ったので縮んだということにしておきましょう。)夏物でも、マレーシア滞在時にオーダーメイドしたりしたものもあり、いくら何でも着られないものばかりでした。
結婚してからは、主人が「化粧はあまりしなくていいよ」「コンタクトは眼に悪いからなるべくしない方がいいよ」などと言い、自分でもしっかりした材質のものを繰り返し着るという経済的なタイプだということもあり、私まですっかりエコノミカルな服装になってしまいました。つまり、出掛ける度に必ず服を替えて、同じ格好を二度としないように心がけるなどという殊勝な態度は失われてしまったということです。
普段は、気分転換に家事をするので、いつ汚れても構わない気楽な服装にしています。そして、今住んでいる場所は、緑に恵まれ、空気も澄んでいて、水質もいいという環境ですが、その代わり、値の張った格好をしている人が少ないこともあって、すっかり楽になりました。
これは、私の怠け癖というだけではなく、時代の変遷や土地柄もあるのだろうと思います。若い子達を見ていても、私がその年代だった頃とは違って、ラフな格好の方が好まれているようです。普段は見ないテレビを、アイロンがけの時などに見てみると、昔のようなかっちりした服装(および言葉遣いと髪型)ではなくなっているように感じます。
フォーマルなスーツやブラウスやスカートなどを買おうとして、何年も前からデパートなどを見て回っているのですが、なかなか趣味に合うようなものが見つかりません。(あ、いいなこれ)と思って手にとると、十数万円などというお値段札で、とてもとても、今の私のステータス(!)には合わないのです。自分で作ろうかとも思った時期がありましたが、肝心のミシンが壊れたまま...。
子どもの頃には、祖母がいつもピシッと着物を着ていたのを見て、自分も大人になったらそうしなければいけないのかなあ、と思っていましたが、実際には、そういう暇さえない日々だということが判明。そして、夜中もミシンを踏んでワンピースを作ったり、機械か手編みでセーターなどを編む生活なのかなあ、とも想像していたのですが、これまた対象とする相手もないのが実態。というよりも、ライフスタイルから、優先順位がそういう方向にはないということです。
これは、文化の衰退なのか...。いつも書いているように、ある程度のまとまった時間がなければ、なかなか本が読めません。そして、本をしっかりと読まなければ、会合などで外出しても、初めて会った人々と話ができないことが多いのではないかと思うのです。身の丈だけの話では、ちょっといくら何でも...。
祖母や母の場合は、研究会や学会で発表するなどということのない人生だったので、家にいて、手作りの服や身の回りの世話で時間やエネルギーを費やすことが普通だったし、「それこそ女の幸せ」と言い含められてきたのだろうと思います。(ついでに、私も将来そうできなければ「人間失格」のような剣幕でした。)
しかし、人生どうなるかはわからないものです。昔ならすべて手作りが当たり前であっても、今なら買った方が割安で時間の節約にもなることはいくらでもあります。また、古着をほどいてリフォームし、ボタンも外して他に使うなどと、昔は新聞雑誌で読んだものですが、実際には、かえって利用する場がなかったりもします。
もちろん、古くなったタオルや下着などは、ためておいてぞうきん代わりに使っていますし、広告やプリントや古い封筒の裏をメモ用紙に使うなど、なるべく資源の無駄遣いは省くように努めてはいます。でも、家庭内での時間配分は、子どもの頃想像していたのとは大幅に異なることに、今更のように気づきました。