ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

希望を抱いて今後の勉強を

これからしなければならない勉強。
交渉術を身につけるための論理学と弁証法。そして数学。数学は、高校の頃、数ⅡBまでは履修していて、(後注:実は数Ⅲもやっていたのでした!)共通一次の数学Ⅰよりも記述式の数ⅡBの方が成績がよかった、と記憶しています。主人に言わせると、「物理も数学も、高校レベルなら満点が当たり前でしょう?」とこともなげに言うのですが、やっぱり伝統校出身者は、言うことが違いますね。いつも「はい、ユーリは計算ができません」とからかわれているので、来年こそは、何とか克服しなければなりません。
それから、主人にも言われました。「生育過程で、誰も言わなかったのだろうけど、ここではっきり言ってあげるわ。ユーリは研究者向きだよ。もっと自覚と自信を持ちなさい」と。
もしそうだとすると、将来に備えて、古典と語学をもっと磨かなければなりません。このままでは全然だめ。フランス語は今更無理だとしても、せっかくなので、ドイツ語とスペイン語の聖書音読を、また日課として始めましょう。そして、日本語力が低下しているので、文語訳も音読を再開。聖書は古典なので、その点、助かるのです。世界中の多くの人々が長年読み継いできた書ですから、応用もききます。
ギリシャ語やヘブライ語はいつになるのでしょうか。好奇心と意欲と記憶力を維持できる間に鍛えるのがいいのでしょうが。
シェラベア博士について、もっと理解を深めたいなら、最低限、それぐらいはやらなければならず、震えおののいています。シェラベア博士も、語学以上に、数学が抜群だったそうですから。
そして、音楽ももっと幅を広げて聴くこと。現代曲も敬遠しないで、どんどんチャレンジです。まずは、メシアンへの理解を深めること。
日本人としての矜持に関しては、国文学科出身者の強みを、遠慮しないで押し出せばいいわけですね。あとは世界史と日本史の復習。これは、共通一次の受験科目でしたから、今の若いオタク研究者よりは、有利なはずです。そして、暇を見つけて、演奏会と美術館巡りで鍛える。
こう考えてみると、私の人生、結構祝福されているのですね。9月のキリスト教史学会でも関西学院神学部出身のある男の先生(私は密かに「みのもんた先生」とお呼びしています)から注意されました。「それはすごい恵みだよ。怒ってちゃいけないよ。感謝して受け取らなければ」と。

佐藤優氏の本を借りてきました。『インテリジェンス人間論新潮社2007年)です。この方は、同志社神学部出身で、激務の中を、毎日2時間は勉強しているのだそうです。その勉強たるや、文語訳、口語訳、新共同訳のいずれかで、旧約と新約をそれぞれ読むことも含まれるのだそうです。(なんだ、それなら私と同じじゃないですか。)
カルヴァン派は、勤勉な努力を求められるので、自然とそのような生き方になるそうですが、それが小低地国オランダの発展を促したことは間違いありません。植民地時代に、蘭領東インドでもその精神で赴いたために、現地の人々との間に亀裂や対立を生んでしまったのですね。しかし、現地の抵抗を理解することと、現地文脈に心情的に加担することとは別個の次元だと考える必要性があると思います。この辺り、私達の上の全共闘世代が、混乱していたというのか、うまく利用していたというのか、とにかく、おかげさまで、こちらはえらく迷惑しました。おっと、これも論理学で片をつける訓練へと結びつけなければ。

アウグスチヌスやギリシャ哲学も勉強したいところです。学問の下流化という批判があるそうですが、それならなおのこと、主婦である今のうちに、距離を置いて、しっかりと実力をつけなければ。まだ年齢的にも何とか間に合いそうですから、希望を持ってがんばりたいです。