ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

失われた時を求めて

関西に住むようになってから10年以上過ぎます。日本文化の原型の現場ですし、図書館利用の便宜上、東京ではなく関西でよかったと思うことが多いのですが(東京の大学は、自分が頂点に立っているかのようにふるまいますが、いえいえ、経験の蓄積や資料や人材は関西の方が充実しているケースもあります)、出身大学を尋ねられるのが最も苦痛でした。だって、プライド丸出しで、「京大ですが、なにか」「うちは同志社ですから」「私は関学です」なんて、こちらの居場所がなくなる感じでした。特に、キリスト教会にそういう側面があるように思います。
でも、「勝てば官軍」とでもいおうか、ノーベル賞のおかげで、無関係の私まで、最近、やっと誇りが持てるようになってきたんです。なんといったって、父と妹と私の母校ですから。頼りないですが、時間の関係上、てっとり早くウィキペディアを見てみましょう。

名古屋大学は、1939年に設立された名古屋帝国大学を直接の母体とする国立大学である。名古屋帝国大学は9番目(内地では7番目)に設立され、国内外地を通じて「最後の帝国大学」となった。」

「学術憲章
2000年に、名古屋大学の基本理念の概要を示す『名古屋大学学術憲章』が定められた。この憲章においては、自発性・創造性・先進性・国際性などの重視が示されており、「勇気ある知識人を育てる」ことが目標に掲げられている。なお、「勇気ある知識人」は国立大学法人名古屋大学によって商標登録(第4967427号)されている。」

大学に惹かれていたのは、まさにこの、精神の自由と真理の追求の場だとされていたからです。
ただし、現実には、私の置かれた環境では、くどくどとブログで暴露しているようなお粗末さ。私たちの税金なんですからね、しっかりしてほしいものです。本当に、お金を返してほしいぐらいです、今でも。あ、もうすぐ来るのか、お小遣いがちょこっと…。
2008 年12月1日付朝日新聞では、名古屋大学の平野真一総長が大きく掲載されていました。励ましとして単純にうれしかったので、ここに引用転載させていただきます。
「若い先生方が研究環境が十分でない中、意欲に燃えて大学をつくってきた経緯がある」「若い人の発想や考えをとても大切にして学ばせていた」「それだけ外に開かれていると言えるし、いい人に来てもらって活躍の場を提供しようという雰囲気がある」「研究を一方向だけに定めるのは間違いだ」「しかし、イノベーションというのは基礎科学、学術の基礎があって初めてあるもの」「別の学術と融合して、次に伸びていく基本となるところを無視してはいけない」「海外への頭脳流出という問題点」「研究に打ち込める環境は間違いなく向こうにあった」「まだ仕組みは日本に整っていない」「風土は大切だ。『名大は愚直でいい、質を大事にする』と言い続けている」
ですが、これはあくまで理系の話であって、文系に至っては、私の知る限り、少なくとも取り巻く環境は、まったくそうではありませんでした。失われた時間を取り戻したい!

もう一度、以前借りた本を借り直しました。実は最後まで読み切れなかったからです。

1.ローレル・E・ファーイ(著)藤岡啓介/佐々木千恵(訳)『ショスタコーヴィチ ある生涯』アルファベータ(2002年)
2.ソフィア・ヘーントワ(著)亀山郁夫(訳)『驚くべきショスタコーヴィチ筑摩書房(1997年)
3.富田修二(著)『さまよえるグーテンベルク聖書』慶応義塾大学出版会(2002年)
4.寺沢芳雄/船戸秀夫/早乙女忠/都留信夫(共著)『英語の聖書』冨山房(1969年)
5.クリストファー・ハメル(著)朝倉文市(監訳)『聖書の歴史図鑑』東洋書林(2004年)

4の、聖書協会が聖書頒布を盛んにするようになるにつれ、聖書が読まれなくなったという批判(p.178)には、おおいに頷けるところがあります(参照:2008年10月17日付「ユーリの部屋」)。5は、序章が特に重要です。
昨日の冒頭の話じゃありませんけれど、昔の落ち着いた時代の手作業の方が、本当に味があったと思います。
そして、博士号取得のためにあくせくしているうちに、魂や精神まで固定化され歪んでくる傾向を、私はとても恐れています。イスラエル旅行の時、ご一緒した60代の女性がおっしゃっていました。「今の大学は、学歴成金が多い」と。