ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

インドネシアの聖書協会

今年、インドネシアから来られた総主事は新任のDuta Pranowo先生で、スシロ先生と同じくジャワ系の方でした。レセプションの時、スシロ先生が「ユーリはマレー語がわかるんだ」とうれしそうに紹介してくださったのが、とても面映ゆかったです。
マレー語の聖書を毎日音読していた時期がありましたけれど、実のところは、時々、マレー語新聞で関連記事を読んだり、マレー語版のイスラーム書籍や社会言語学の参考文献を読む程度で、マレーシアでは、大抵、英語で済ませてしまっているんですから…。相手によっては、または場合によっては、下手にマレー語を使わない方がいいという社会言語学的要因もありますし…。それ以上に、インドネシア語の方がマレー語よりはるかに発展しています。やはりインドネシアは、言語文化的に大国です。「でも、インドネシア語はもっと成熟していますから」と私がマレー語で言うと、スシロ先生もドゥタ先生もニコニコ笑うだけで何もおっしゃいませんでした。実は、ご自分達でも認めていらっしゃるからなのですね。ジャワ語は日本語より複雑な敬語体系を持ち、オノマトペなどは日本語に近いそうですし...。それに、もしインドネシアに派遣されていたとしたら、私だって必ずやジャワ文化に魅了されていたに違いないのですから…。

フォーラム終了後、最後の質問としてスシロ先生のところに行き、「ジャワやスマトラでは、その昔、キリスト教に改宗した元ムスリムが形成した教会があったという話は、本当ですか」とお尋ねしたら「そうだよ、昔だけじゃない、今もだよ。憲法があるから。あ、そういえば、インドネシア聖書協会の前の総主事、知っているでしょ?彼は元ムスリムだよ」「えぇ、本当ですか!!」「ホントだよ」

インドネシアでは、憲法が保障する定めにより、イスラームからキリスト教への改宗は認められるのだそうです。この時ばかりは、スシロ先生、インドネシアの威信と誇りに満ちていらっしゃいました。「あぁ、だからシェラベア(マレー人にキリスト教を伝道しようとした英国人宣教師)が、マラヤでも同じ事を試みようとしたんですね。でも、マレー半島ではそれはできなかったんですよね」とお聞きすると「それは、イギリス時代に英国官僚がそのようにしたから。でも、インドネシアでは、ムスリムがクリスチャンになったって、誰も何も言わないよ」とのお返事。「パンチャシラ(国家五原則)があるからでしょう?だけど、それならどうして、インドネシアの方が爆発や暴動がたくさん起きるのですか」と重ねてお聞きすると「そりゃ、ムスリムの中には、自分達の仲間が減るのを嫌がる人もいるからね」とのこと。「そうそう、この間のマレーシアのLina Joyの事例、あれ残念だったなあ」とスシロ先生。「ところで、先生はどう思われます?近い将来、あるいは遠い将来には、マレーシアでもマレー人がキリスト教に改宗することが可能になるとお考えですか?ムスリムは、同じ傾向をマレーシア国内で見たくないみたいですけど」と問いかけたところ「うーん、それは難しいんじゃないかな。でも、インドネシアでは大丈夫だよ」とのことでした
この辺の国情の違いというものは、同じムラユ圏に属する隣国同士であっても、微妙なところです。もっとも、マレー人の気持ちはわからなくもありません。マレーシアは「マレーの国」とはいえ、マレー人がようやく過半数の人口しか占めておらず、しかも拮抗するマイノリティが中国やインドといった大文明を背後に控える人々ですから、イスラームで防御しておかなければ、マレー・アイデンティティが崩れそうな不安を抱えているわけです。

その点インドネシアは、華人が4%のマイノリティ人口、ただし、その人々が経済の大半を握っているという状況なのですが、それでも、その他は皆マレー系民族に属する上に、9割近くがムスリムであるため、多少のイスラーム棄教があったとしても、全体としては安定性が保てるのです。その他に、ジャワ文化という重層的で高度な文明が誇りを保っている上、ミナンカバウなどの勤勉な人々が指導者層を占めているので、イスラームだけで民族アイデンティティを保とうなどという必然性も、おのずと低くなるのではないでしょうか。そうは言っても、最近、インドネシアイスラーム運動の動向は、穏健で寛容とばかりも言っていられませんが...。

インドネシアキリスト教は、アジアで最大のクリスチャン人口を有するとはいえ、全体から見ればマイノリティの範疇です。以前、スシロ先生の論文を読んでいたら「マイノリティ、マイノリティ、と政府は言う。だが、そのマイノリティ二千万人の魂に対して、私は責任があるのだ」と書かれていて、深く感じ入りました。「責任がある」…そうです。指導的立場に立つということは、重責を伴うということなのです。途上国と一般に呼ばれる人々から私が常に学んでいるのは、今の日本では、だらけて失いかかっている、本来の意味での「エリート意識」と「責任感」です。かつての日本の指導者層もそうだったのに…。国の発展と人間の成長とは正比例しないものかもしれません。

ところで、インドネシア聖書協会(Lembaga Alkitab Indonesia)は、マレーシア聖書協会と比して、格段に充実した資料蓄積と聖書翻訳の伝統をお持ちのようです。ホームページも整っており、私もよく参考にさせていただきました。マレーシアの方が、経済的には恵まれているはずなのに文化的に平板だというのは、この観点からも証明されます。インドネシアには、1990年11月と91年前半の2回、ジャカルタとスラバヤを訪れたことがありますが、それ以降はご無沙汰です。インドネシアの方がマレーシアよりも、日本人の研究者が多く、インドネシア文化に惹かれる人も多いというのは、何となく頷けます。古き良き時代の日本を彷彿とさせる、懐かしい風景や人々の穏やかさと丁重さがあり、何とも優雅で引き込まれる不思議な奥行きがあるのです。

スシロ先生は、マレーシアにも頻繁に来られ、聖書翻訳のお仕事を手伝ってくださっているのですが、もしスシロ先生がいなければ、マレー語翻訳委員会は紛糾してしまっていただろう、とあるメンバーから聞いたことがあります。事実上、マレー語を母語とするクリスチャンがいない中で、華人、ババニョニャ(マレー人女性と通婚した華人の子孫)、インド系、先住民族の中から、マレー文化の中で育ち、マレー語を第二言語とするクリスチャン達が集って聖書やキリスト教文献を翻訳しようとするのですから、その大変さはいかばかりか、聞いただけで眩暈がしそうな話です。過去には、そういう貴重な人材を、インドネシアに派遣してマレー語研修を受けさせようとしても、「インドネシアは貧しいから嫌だ」「マレー語をいくら習得しても、英語や華語より低く見られるし経済価値があまりないから、やりたくない」「マレー語はこの国では‘センシティヴ’だし、マレー・ムスリムから誤解されたくないから遠慮しとくわ」などという意見が聞かれて、なかなか思うようにはかどらなかったそうです。

研究者にとって、この種の話は大変興味深いのですが、一方で、唯一の国語であるマレー語の微妙さ危うさの一面がうかがえるという点で、極めて神経を使うところでもあります。

いずれにせよ、ドゥタ先生も「インドネシア聖書協会に来るなら、ちゃんと連絡するんだよ」と名刺をくださいましたし、一度は必ず時間をたっぷりとって、調べ物や蔵書見学をしたいものです。私が行くならジャカルタだと言われましたが、翻訳部があるというボゴールへも、是非一度は行ってみたいですね。

つくづく後で反省させられるのですが、スシロ先生達と話していても、思い溢れて(?)流暢に言葉が出てこないところが、私の力不足を反映しています。気の遣い過ぎ、とも言われるのですが、(こう言ったら失礼ではないか)とか(そういえば、あんな話も学会や研究会で聞いたなあ)などといった情報が邪魔して(?)、かえって言葉に詰まったり間違えたりしてしまいます。(本当にこれでも英検一級?)(国連英検A級取得って嘘じゃない?)と自分でも思うぐらいなのですが、アジア人同士とはいえ、東南アジアに対して過去の日本がした重い歴史を背負いながらの交流というものは、現在の我々にも、多かれ少なかれ、免れ得ぬ精神的負担がかかっているようです。