ムスリムとの関わりについて
実は、英語版“Lily’s Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)に転載する予定だった、マレー語における神の呼称をめぐる騒動についてのニュースや意見文が、山積みになっています。はい、クリスマス前からマレーシアで再浮上している問題です。当局も、世論に押されてなのか、許可を出したり引っ込めたり、条件をつけたり、何やらせわしないようです。
そうこうするうちに、東ジャワからスシロ先生が、三回に分けて、ドイツ人神学者によるインドネシア語の神概念をめぐる論文コピーをメールで送ってくださいました。当然のことながら、私のみならず、マレーシア聖書協会の新総主事や聖書翻訳責任者や教会リーダーに宛てても、同時に発信されているのです。この件で最も迷惑し対処に追われるのは、もちろん、これらの方々ですから。
ともかく、事態が目まぐるしく動いていますので、従来のように、その場その場で処置するのではなく、ある程度おさまったところで総括してみたいと思います。もうしばらくご猶予を願います。
ムスリムの意見といっても幅があり、中には、非常にオープンで、キリスト教側にとっても好意的に映る見解がないわけではありません。しかし、英語ではなく、マレー語で書かれた意見文を読むと、あまりの視野の狭さと主観的な独断性に、思わず眩暈がしそうな幻覚を抱かされます。これでは、対話は極めて困難です。
ところで、盆暮れには実家に帰省するという慣習が、日本にはあります。マレーシアにいた頃、二十代のシングルだった私も、各宗教や民族毎の祝日には、いろいろな家庭に招かれて、共に過ごす機会に恵まれました。もし、今もシングルでマレーシアにずっと住んでいたとしたら、こうしてお招きを受けていたかどうかはわかりません。急速に現代化し、皆、忙しくなりましたから。1990年代初頭のマレーシアは、首都といっても昔の名古屋みたいな鄙びた感じが濃厚な町に過ぎず、人々も、もっと大らかでのんびりしていて、田舎っぽい雰囲気でした。また、私自身も、見るもの聞くものすべてが珍しかったので、若さの特権とばかりに、何でもホイホイついていった感があります。エネルギーが余っていたんでしょうね。
華人の旧正月には、独身者も含めた子どもに、紅包(アンパウ)という赤いお年玉袋を渡す習慣があります。外国人なのに、私ももらっていました。初めていただいたときには、恐縮と同時にうれしかったのですが、言葉や暮らしぶりがだんだんわかってくると、恥ずかしく思うようになりました。つまり、丁重に扱われているというよりも、結婚していない者は一人前と見なされていないことの証なのです。二度目のマレーシア滞在中、同じマンションの隣室の女性が、私より一つ年上のコタバル出身の福建系華人でした。向こうから親しく声をかけてくれたのですが、二十代の終わり頃に巡ってきた旧正月の時、「ね、アンパウもらった?」「うん、またもらっちゃった」「やっぱり?私も」「でも、なんだか、この歳になると恥ずかしいよねぇ」「うん、結婚していないからねぇ」などと会話したことを思い出します。
彼女の場合、イギリスにも留学していた時期があったというから、裕福なのでしょうが、大学入学の資格試験(いわゆるAレベル)がうまくいかず、マレーシアに戻って、会社で秘書として働いていました。お兄さんが購入したというマンションを、「人に貸すぐらいなら私が住むわ」と言って譲り受けたのだそうです。休日には、首都圏のお姉さんの家によく遊びに行っていました。化粧は派手めで、スタイリッシュな服装を楽しみ、早口の英語を話し、一見都会風でモダンなのですが、コタバルで育っただけあって心根は素朴で、話が合うのはやはりクランタン出身者同士なのだと言っていました。それでもイギリスまで行ってしまうところが、大胆というのか逞しいというのか。
数年前まで、カードや手紙が時折届き、スマトラやジャワ島に旅行したとか社会問題などについて書いてありましたが、このところはさっぱりご無沙汰です。私が帰国する頃、付き合い始めたボーイフレンドがコタバル出身でタイ系の混じったマレー人だそうで、土地の文化や郷愁という点では非常に合うけれども、唯一のネックはイスラームだと言っていました。確かに、こればっかりはねぇ、と私も思います。
マレーシアの都市部では、インド系と華人の通婚は、決して皆無でもありません。先住民族と華人の結婚も、ケースとしては耳にすることがありますし、先住民族とインド系のカップルの話も、直接聞いたことがあります。ただし、この場合は、キリスト教が媒介しているようです。つまり、宗教(と社会階層と使用言語)が同じであれば、民族の違いは何とか乗り越えられるという考えに基づいているのでしょう。キリスト教は服装も食物の規定が緩やかで、しかも、教会コミュニティに所属していると、「キリストにあって一つ」など、あらゆる境界を超越するかのようなメッセージが語られるので、コミュナリズムの強いマレーシアとはいえ、そういう事例は考えられなくもありません。
ただし、イスラームの場合、同じようにはいかないようです。もっともイスラーム共同体内部では、民族や国籍などの違いは問題なしという建前があるそうですが。相手がムスリムであってもなくても、人間的には、あるいは、異性としては、惹かれるものは惹かれる。ただ結婚となると、必ず非ムスリムがイスラーム改宗すべしという規定があるため、何かと困難な問題に直面するわけです。
これまで見聞した範囲に限れば、日本人女性の場合、「国際結婚にあこがれる」とか「ハーフの子が欲しい」(←つまり、日本風の顔ではなく、エキゾティックな顔立ちの子どもが欲しいという意味なんでしょうか?)とか、「イスラームにもすばらしい教えがあるから、これだけムスリム人口が増えたんだろうし」とか、「今の軟弱な(?)日本人男性より、ムスリムの方がよほど男らしくていいわ」などと言って、比較的従順に(?)結婚に踏み切ることもあるようです(ただし、その後の宗教生活や子育ての問題については、ここでは不問)。実際、マレーシアには日本人ムスリムが三桁存在するという話を聞きました。確かに、食べ物や経済生活の点からしても、日本人がイスラーム改宗した場合、マレーシアは断然住みやすい国だろうと思われます。
一方、マレーシア人の場合、生まれた時から、あらゆる機会を通して、イスラームとその実態について見聞して暮らしているため、非ムスリムにとっては、何かと躊躇することが多いのでしょう。特に、イスラーム云々もさることながら、華人女性にとっては実家との縁までほとんど切れてしまうことが、とにかく難題かもしれません。
彼女も、「キリスト教ならいいけど、イスラームはね…」と私の前で何度かつぶやいていました。「それなら、どうしてムスリム男性を好きになったのか」と問い詰めることは、私にはできません。なんとなく、気持ちがわかるからです。
イギリスや首都圏で頑張ってきたけれど、三十代になると、やっぱり生まれ故郷の人々がいい。華人の同郷者は数少なくなってしまった。たまたま相手が生まれながらのムスリムだっただけで、クランタン方言のマレー語で思いっきりしゃべれるなら、マレー人男性でも、しっかり仕事して経済力があれば、それでもいいじゃない?ネックはイスラームだけ。スカーフなんて、絶対にかぶりたくない。断食もまっぴら御免。だから、私が改宗しなくても、結婚だけっていうのはダメなの?
私なら絶対にそうしませんけれども、人情レベルでなら、想像できなくもない話です。現実に、マレーシアの英語新聞で人生相談欄を見ると、時々そういう話が掲載されていました。もっとも、回答はどうやら英語教育を受けたクリスチャンが担当しているらしく、「マレーシアの法律では、非ムスリムが改宗しない限り、ムスリムとの結婚はできません。自分の人生を先々までよく考えて、あらゆる可能性を踏まえて理性的に判断しましょう」と冷静に論理的に助言していました。(注:マレーシアにも、教会の社会活動の一環として、カウンセリングや人生相談のシステムがあります。メソディスト華人の友人も、カトリックのマラヤリ系の知人も、若い頃やっていたと私に言いました。Befriendersなども有名です。表向きは「宗教と無関係」としていますが、助言の仕方を見ると、私にはすぐキリスト教的だとわかります。イスラーム系NGOにも、最近は類似のものがあるそうですが、マレー語新聞の人生相談欄は、回答の中身がまるで異なります。)
その後、彼との関係がどうなったのかはわかりません。連絡がないのは、歳も歳だし、とあえて踏み切ってしまったのか、それとも、別の人生を歩む決心をしているうちに、私のことも忘れてしまったのか…。