ムスリム指導者の公開書簡 (2)
今日付の英語版はてな日記“Lily's Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2/)には、昨日の続きで、ムスリム指導者のキリスト教指導者層宛て公開書簡に対するカトリック司祭学者Fr. Prof. Dr. Samir Khalil Samir, sjの分析後半部を紹介しておきました。ムスリム書簡のアラビア語原文やその他の言語訳をご覧になりたい方は、下部にサイトアドレスが表示されていますので、そちらをどうぞ。今回は、私の感想は入れません。
その代わりに、2006年11月30日にクアラルンプールの日航ホテルで開催されたKAS Malaysia(Konrad Adenauer Stiftung Malaysia)後援のある会合経験を記すことにします。中身よりも精神的疲労度が大きく、ぐったりしたのですが、参加した意義は充分あったと思っています。この会合は、マレーシア教会協議会(Council of Churches of Malaysia, CCM)総幹事のヘルメン・シャストリ師が取り次いでくださったことにより、出席が可能になったものです。ドイツの組織が、マレーシアでどのように仕事をしているのか自分の目で見てみたいという好奇心が勝ったので、お願いしてみました。
会合終了後のお茶の時間に、ホテルのロビーで交わされた会話を下に再現します。その日の夜行便で帰国した後、数日たってから書き記したものです。常体なのは、そのためです。では、どうぞ。
途中、フランス大使館の一等書記官が、私に興味を持ったらしく、近づいてきた。年の頃、三十代前半ぐらいか。隅のコーヒースタンドに向かおうとすると、そこまで後を追ってくるのである。マレーシアではめったに耳にできないような、格調高く非常に洗練された日本語であった。奥様は静岡出身の方で「自分の日本語よりも上手なフランス語を話す」とのことである。しかし、態度は幾分皮肉のこもった冷ややかな調子であった。フランス風のエスプリ、とでも称せようか。
「来週、日本に出張なんですよ」と切り出し、名刺交換の後、「あぁ、○○大学ですか。有名な大学ですよね、京都の」と高みから見下ろしたような口ぶり。「そうなんでしょうか。よく知りませんが」と応答すると、「だって、きれいな大学じゃないですか」「どうでしょう。フランスの大学を私は知りませんので」「少なくとも、外側から見れば、○○大学はきれいですよね」「まあ、外側はねぇ、文化財でもありますからね」と、母校ではないので、こちらも無責任なものである。外交官達は会合で、こんな話を展開しているのかどうか。
「パリ大学の東洋学科で日本語を勉強なさったのですか」「はい、そうです」「あ、そうですか。私、先月、京都の国際日本文化研究センターで、パリ大学で学んだというフランスの留学生に会いましたよ。本当にきれいな日本語でした」「京都の日本文化研究センター?龍谷大学なら知っていますが…」「いえいえ、国立の研究施設なんです。日文研って呼んでいます、一般的には」「あ、そうなんですか。ところで、いつまでマレーシアに?」「私、今晩のフライトで帰ります。今日が最後なんですよ」「帰国して、何をされるんですか」「帰国の翌々日には、研究発表があります。マレーシア研究会です。立教大学、東京のアングリカンの大学で開かれるんですよ」。
ここまで聞いて、人物テストは終わったらしい。それ以上の興味がなくなったのか、すっとそばを離れて行った。もしかして、突然セミナーに紛れ込んだスパイだとでも思われたのだろうか。しかし、ドイツの財団が主催するセミナーにフランス人外交官が出席するなんて、それもこれも場所がマレーシアだからのだろうか。それとも、日本語のよくできるヨーロッパ系外交官に頼んで、私の「人物調査」をドイツ側が依頼したのだろうか???
忘れがたい記憶をここで留めておく。我々の会話を隣で聞いていたマレー人のイスラム法学者アザム先生が、途中で「あれ?あなた方は今、日本語で話しているんですか?え、そうなんですか。へぇ…」と驚いたように英語で口をはさんできた。「そうですよ」と私が答えた時の、当のフランス人外交官がアザム先生に向けた無言のまなざしである。どう見ても、それは「軽蔑のまなこ」と形容する以外なかった。
確かに、かつて日本語教育派遣専門家としてマレーシアの国際交流基金で働いていた頃の経験から判断しても、また、母校の名古屋大学の留学生センターで日本語を教えていた時を振り返っても、彼の日本語は格段に上等で美しかった。フランス語の癖もなく敬語は丁重であり、いささかのよどみも間違いもなかった。そのような日本語は、少なくとも、どの民族をとっても、マレーシアで耳にすることはほとんどなかった。大抵、どこかアクセントの癖が残るか、敬語にミスが散見されるか、ぎこちなさがあるのだが...。
しかし、だからといって、素直に驚いているアザム先生に対して、そんな表情を見せるなんて...。あばた跡のたくさんある、いかにも人の良さそうなアザム先生の顔を見ながら、私は何とも言えず悲しい気持ちになった。確かに私は、マレー語聖書やキリスト教神学に対するムスリム当局の対応に、問題を感じている。いつまでこれが続くのだろう、何とか解決の道がないものか、と内心苛立ちもある。一方で、現今のムスリムの抱いている恐れの感情やディレンマにも無関心ではないつもりである。この人々は、生まれながらにしてムスリムとしての生き方しか選択の余地はないのだ。ムスリムの元で生まれ、ムスリムとして生き、そしてムスリムのまま世を去っていくのだ。ムスリムとしての人生に対する満足度がいかなるものであれ、それは当人自身あるいはムスリム共同体内部の問題であり、非ムスリム側としては、ムスリムが助けを求めない限りにおいて、その生き方を尊重すべきなのである。たとえ共存を志向するがゆえの「譲歩」のため、いささかの「犠牲」を払わなければならないとしても、である。「信教の自由」とは、そのような代償も含むのだ。
わたし:あの、モハメド・アザム博士...。
アザム先生:アザム、と呼んでください。
わたし:じゃ、アザム先生。先生、なぜマレーシアでは、マレー語聖書がそんなに繰り返し当局から抑圧を受けるのですか。マレーシアはモデルのムスリム国だと聞いているのに...。私、プロテスタントだから、日本から見ていても、これ、すごく気になるんですけどねぇ。
アザム先生:(頭を掻きながら)あのねぇ、自分は問題ないけど、ここ(マレーシア)のムスリムが混同するんだよなぁ…。
わたし:ここのムスリムって、インド系ムスリムも含むんでしょうか。
アザム先生:インド系ムスリムはマイノリティだから、関係ない。言っているのは、マレー人だ。マレー・ムスリムが混乱するから、私は義務として、マレー人を守らないといけない。
わたし:それは、こっちの知ったことではないですよ。もしムスリムが混乱するというなら、混乱しないように教育するのは、先生のようなムスリム学者の義務じゃないですか。私が言いたいのは、なぜムスリムの「混乱」が、クリスチャンの聖書やマレー語のキリスト教新聞にまで影響を及ぼすのか、ということです。それは、クリスチャンにとって失礼だ、と思います。だって、クルアーンがムスリムにとって大切なものであるように、聖書はクリスチャンのものです。そして、マレー語はマレーシアの唯一の国語です。マレーシアのクリスチャンが、マレー語で書かれた聖書やキリスト教新聞を持とうとするのは、ごく自然な成り行きだと外国人の目には思えますけど。
アザム先生:そりゃそうなんだけどねぇ…。だから、ここのムスリムは、まだ未成熟なんだよ。
わたし:あの、はっきり言うと、マレー語の用語“Allah”がキリスト教で使用されることが問題なのだって聞いてますけど。なんか、それ、変ですねぇ。だって、インドネシアでもクリスチャンは“Allah”を用いているし、アラブのクリスチャンだって、イスラーム到来以前から、ずっと“Allah”に祈ってきました。なんで、マレーシアだけ別扱いなんでしょう?聖書はいろいろな言語に翻訳することが許されています。だから、マレー語の聖書があってもいいんです。だけど、その翻訳は、あらゆる言語において、一貫していなければなりません。もし、インドネシア語やアラビア語の聖書で“Allah”が使われているのに、マレーシアだけ、ムスリムの都合でダメとなったら、それって、結局のところ、イスラームのイメージを悪くしていません?
アザム先生:(頭を抱えて)そうなんだよなぁ、君の言うことは、わかるんだけどなぁ。
わたし:あ、もう一つお聞きしたいことがあります。クリスチャンとムスリムは、神学上は同じアブラハムの神を信じてるってことになってるんですが、アザム先生、先生はどうお考えでしょうか。クリスチャンとムスリムが信じている神は同一なんでしょうか。
アザム先生:それ、それ、そこなんだよ。キリスト教は三位一体の概念があるだろう?あれがムスリムにとっては受け入れ難いんだよな。そんな、神は唯一なのに、トリニティなんて…。イエスは神の子、これが困るんだ、ムスリムにとって。
わたし:その議論はもうよく知っています。実に古典的な、決着のつかない問題です。だけど、その違いは違いとして、お互い領域を守って各々が信仰すれば、別にマレー語の聖書があったって構わないじゃないですか。それとも、先生は、聖書を読んだら自動的にムスリムがキリスト教に改宗するとでもお思いなんですか?
アザム先生:いや、そんなことはない。断じて、ない。ムスリムはそんなに簡単に、クリスチャンにならない。
わたし:だったらなおのこと、マレー語聖書が抑圧を受けるって本当に変じゃないですか?
アザム先生:だけどね、ムスリムはクリスチャンを殺したことはないんだよ。
わたし:....
アザム先生:(やおら腕時計を見て)あ、もうすぐお祈りの時間だ。知ってるか?ムスリムは1日に五回お祈りしなきゃならないんだ。旅行中は免除もあるけどね、ここはマレーシアだから。あぁ、残念だな、君が今晩日本に帰るなんて。もう少しここにいるなら、自分の研究室に来てもらって、イスラームの話を聞かせてあげるんだがな。そうかそうか。じゃ、悪いけど、お祈りがあるから、ここで失礼。おっと、さっき一緒に撮った写真は、後でメールで送るから…(と、そそくさと立ち去る)。
後日談:2007年11月1日現在、まだ写真は送られてきていません。
なお、お父さんがマレー人でお母さんが華人のアザム先生は、ペラ州育ちでミッション系学校に通っていたこともあるそうです。この会話の1年ほど前に、ロンドン大学のSOASから博士号を授与されました。この先生のことは、この年、日本を発つ直前に、たまたまマレーシアの電子版新聞“Malaysiakini”に写真入りでマレー語と英語の記事が掲載されていたので、知っていました。なんと会場では、遅れて入ってきて私の隣に座ったのがアザム先生だったのです。休憩時間の名刺交換の時、ふと新聞記事を思い出して「あれ?先生、もしかして、“Malaysiakini”に載っていませんでした?」と尋ねると、観念した様子で「そうなんだよぉ。君まで知っているの?」という表情をされました。その記事内容がムスリムにとってもクリスチャンにとっても、非常に論議を呼ぶものだったために、皆が連絡をとって会いたがり、アザム先生は非常に忙しいのだそうです。