ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

保守派と新保守主義の相違

パット・ブキャナン氏の「アメリカ第一」の孤立主義的な保守思想と(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180420)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180427)、いわゆる中東政策に外交の焦点を置く「戦う」ネオコン系「新保守主義」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170325)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171206)との相違と重複が垣間見られる、12年前の論考文。ちょうど、イラク戦争の戦後処理が泥沼化していた頃だった。
前者がアメリカ国内の問題点を我が身に引き寄せて批判的に分析するのに対して、後者はアメリカの左派リベラル民主党と過激派ムスリムを、手段を選ばず徹底的に攻撃し続ける。特に後者の場合、論客の主張が私生活と合致していないケースも散見される上、自分の主張に少しでも合致しない人を論難することで、相手を自分の域に引き込もうとするか、あくまで無視して存在の傍流化あるいは消滅を図ろうとする。つまり、何事も白黒の決着であって、グレーゾーンを認めない単純さ、表層さを含むのである。
また、後者は外交の中心軸をイスラエルに据える。そして、一般大衆に影響力を与えて、世論を動員し続ける。ムスリムのアラブ系やイスラーム主義者を飽きもせずに糾弾し続ける点も特徴的である。
その目標は何なのか。どこに終着点があるのだろうか。
問題は、いくら攻撃し、糾弾したとしても、火種が移動するのみで、何ら解決には至っていない現状である。
ブキャナン氏は、第二次世界大戦は不要だったという視点から、何が間違っていたのか、チャーチルの政治手法にメスを入れる。また、ヒトラーについても、さまざまな角度から分析を加える。その点では、耳を傾けやすい。

一例を以下に。

http://buchanan.org/blog/did-hitler-want-war-2068


Did Hitler Want War?
1 September 2009
by Patrick J. Buchanan


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・On Sept. 1, 1939, 70 years ago, the German Army crossed the Polish frontier. On Sept. 3, Britain declared war.


・Six years later, 50 million Christians and Jews had perished. Britain was broken and bankrupt, Germany a smoldering ruin. Europe had served as the site of the most murderous combat known to man, and civilians had suffered worse horrors than the soldiers.


・By May 1945, Red Army hordes occupied all the great capitals of Central Europe: Vienna, Prague, Budapest, Berlin. A hundred million Christians were under the heel of the most barbarous tyranny in history: the Bolshevik regime of the greatest terrorist of them all, Joseph Stalin.


・If true, a fair point. Americans, after all, were prepared to use atom bombs to keep the Red Army from the Channel. But where is the evidence that Adolf Hitler, whose victims as of March 1939 were a fraction of Gen. Pinochet’s, or Fidel Castro’s, was out to conquer the world?


・But if Hitler was out to conquer the world — Britain, Africa, the Middle East, the United States, Canada, South America, India, Asia, Australia — why did he spend three years building that hugely expensive Siegfried Line to protect Germany from France? Why did he start the war with no surface fleet, no troop transports and only 29 oceangoing submarines? How do you conquer the world with a navy that can’t get out of the Baltic Sea?


・Hitler had never wanted war with Poland, but an alliance with Poland such as he had with Francisco Franco’s Spain, Mussolini’s Italy, Miklos Horthy’s Hungary and Father Jozef Tiso’s Slovakia.


Indeed, why would he want war when, by 1939, he was surrounded by allied, friendly or neutral neighbors, save France.


・As of March 1939, Hitler did not even have a border with Russia. How then could he invade Russia?


・Winston Churchill was right when he called it “The Unnecessary War” — the war that may yet prove the mortal blow to our civilization.

(Excerpts)
一方、ネオコン系に連なっていた人々の中には、チャーチルが親ユダヤであったことから、歴史は所与のものとして、過去に生起した事柄を検討し直すことをしないことが目立つ。また、ホロコーストの被害者たるユダヤ系の立場から、ヒトラーは悪党一本やりであり、多少なりとも史的観点から異議を唱える人を侮蔑的に糾弾して黙らせ、終わりにする傾向がある。
同じことは対日観にも現れる。前者のように「日米同盟を破棄すべき」なのか、または、後者のように「維持して更に強化すべき」なのか。また、先の大戦で、開戦に到る日本側の動機や状況分析、米国と日本の間の和平交渉の有無についても、前者が考慮するのに対して、後者は、そもそも検討すらしない単純さと一面性がある。後者においては、新たな資料に基づく新解釈が出てくると、それまでの主張が覆される可能性があるので、「歴史修正主義」だと断じて封じ込めておかなければならないのだ。端的に述べると、歴史に浮上した事例を都合よく切り取って、現代の別の文脈に当てはめるきらいがある。
同じ保守派を名乗っていても、どちらが建設的な説得力を持つか、よく考えてみなければならない。
重要な点は、いずれにせよ、日本の現状への映し鏡であるという認識である。

日本政策研究センターhttp://www.seisaku-center.net/node/50

〈『明日への選択』平成15年2月号〉
2006/07/08


米国「保守」の危機意識に学ぶ
小坂実


病むアメリカ 滅び行く西洋』を読む


アメリカは神を失い、家族は解体し、価値観は分裂した――それに抵抗しなかった保守派は敗北したと断ずるパット・ブキャナン。しかし、それは日本の現状への指摘でもある。


・今日、ジェンダーフリー夫婦別姓の導入など、従来の道徳や家族のあり方を破壊しようとする運動が猛烈な勢いで進んでいる。こうした運動が政府や自治体をも巻き込んで展開されるようになる中で、今や日本の文化・伝統に対する国民の愛着や常識が根本的に覆されつつあるようにも思われる。しかも目下、こうした動きに対する個別的な抵抗はなされているものの、今日の事態に対する抜本的な「見定め」と「処方箋」が日本の保守派の中にあるとは到底思えない。


・最近読んだ一冊の本に理由がある。『病むアメリカ、滅びゆく西洋』(成甲書房)という昨年末に出た本である。


・記者の問題意識から要約すると、今のアメリカは「移民の激増」と「キリスト教文化の台頭」という内外からの攻撃に見舞われ、「自分はアメリカ人である」という国民的確信が崩れ、国家分裂の危機に陥っているということだ。とりわけ興味を引いたのは、アメリカ人の国民的確信が崩壊してしまった根本的な背景には、左翼勢力による「文化闘争」という明確な革命戦略があると筆者が論じている点である。


・この本の著者はパトリック・ブキャナン氏。アメリカでは知らない人のない保守派の大物だ。ニクソンレーガンの両共和党大統領の下で、外交政策のスピーチライターとして活躍し、九二年と九六年に共和党の大統領指名予備選に参戦、二〇〇〇年には自らが改革党の候補として大統領選本選に出馬した。外交政策的には「アメリカ第一主義」を信条とし、冷戦終焉後はアメリカの非介入主義の伝統を説き、日米安保条約の破棄を訴えたことは今も記憶に新しい。


・今のアメリカが直面する二つの「国家分裂の危機」の実態から見てみよう。


・まずは「移民の激増」がもたらしたいわば外からの「国家分裂の危機」である。


・とりわけ氏の懸念は、「前代未聞の凄まじさ」で急増するメキシコ系移民(ヒスパニック)に向けられる。


・ヒスパニックの最大の問題は、その多くがアメリカ社会への同化を拒んでいる点にあるという。


・アジアやアフリカなど、非ヨーロッパ系民族の「制御不能な移民の増加」が「祖国を分解の脅威にさらし」ていると氏は訴える。「アメリカは共通の価値観――歴史や英雄、言葉、文化、信仰、あるいは祖先――をほとんど持たない、ただの寄せ集め的集団に変わろうとしている」と。


・外からの「分裂の脅威」に加え、今日のアメリカ社会はいわば内からも分解しかけているという。宗教・道徳・価値観の上で相容れない「二つの国民」に分裂しているからだ。要するに、キリスト教的な文化・道徳を擁護する国民と、中絶や同性愛などの「反キリスト教主義文化」を擁護する国民との間に「国を二分するモラルの溝」が出来ているというわけだ。


・今のアメリカでは驚くなかれ、「カトリックの労働者階級のほぼ一〇〇%が中絶賛成、ゲイ賛成」といっても過言ではない現実があるというのである。


・反キリスト教主義は今や芸術の分野にも浸透しつつある。「神を冒涜し、キリスト教的道徳を真っ向から否定するものが芸術としてもてはやされる風潮」について、氏は数々の具体例をあげて紹介しているが、ここでは紙数の関係で省略せざるをえない。


・反キリスト教主義が蔓延する中で今日、多くのアメリカ人が「母国にいながら異邦人のような気分を感じはじめ」「文化の廃墟、モラルの掃き溜めと化したこの国にはもはや生きる価値も戦う価値も見出せず、帰属意識を失っている」と氏はいうのである。


・ブキャナン氏は、こうした二つの危機以外にも、欧米諸国全体の問題として、「少子化の危機」についても論じている。しかし結局、氏が今のアメリカ社会の最も本質的な危機として深く分析しているのは、アメリカ社会の道徳的・価値観的な崩壊現象だといえる。


・氏は、反キリスト教主義が社会に根を広げるに至った直接的契機として、一九六〇年代に全米の大学に広がった学生運動、そして性革命やドラッグ革命などに象徴される当時の文化的な大変革を指摘する。


・「文化大革命」の洗礼を受けたベビーブーマーが今日、社会のさまざまな中枢に入り、政治・文化・マスコミ・教育など「社会の一般通念や共通の価値観」を形成・伝達する制度を仕切ることにより、「新たな階層」「新たなアメリカ」を創りだしていると氏は見るわけだ。


・ブキャナン氏の分析の真のユニークさは、この文化大革命」の正体を共産主義者の新種の「革命理論」と結びつけて理解している点にある。この「革命理論」を簡単にいうと、資本主義の温床はキリスト教であるから、共産革命のためにはまず西洋の非キリスト教化が必須だという考え方である。換言すれば、マルクスが唱えた「階級闘争」よりも、「文化闘争」を優先する考えともいえる。こうした革命理論は、第一次大戦の勃発によって、「万国の労働者よ団結せよ」とのマルクスの予言が裏切られた後に出てきたものであるという。


・この革命理論の代表的なイデオローグの一人であるイタリア人共産主義者のアントニオ・グラムシはこう訴えたという。「まずは文化を変えよ、そうすれば熟した果実のごとく権力は自然と手中に落ちてくる……ただし、文化革命には種々の制度――芸術、映画、演劇、教育、新聞、雑誌、さらにラジオという新媒体――転換のための『長い長い行程』を要する。それらを一つひとつ慎重に攻め落とし革命に組み込んでゆくことが肝要だ。そうすればやがて人々は徐々に革命を理解し、歓迎さえするようになる」と。


ハンガリージェルジ・ルカーチは「文化闘争」の一環として過激な性教育を実施したという。「子供たちは学校で自由恋愛思想、セックスの仕方、中産階級の家族倫理や一夫一婦婚の古臭さ、人間の快楽をすべて奪おうとする宗教理念の浅はかさについて教わった」というのである。


「文化闘争」理論の拠点となるのがフランクフルト学派である。同学派はマルクス思想を文化用語に翻訳し、「勝利の大前提は西洋人がキリスト教精神を捨て去ること。それは文化教育制度が改革派の手中に握られてはじめて実現する」という趣旨の新しい革命マニュアルを執筆したというのである。


アメリカ人にとって何とも皮肉な結果となったのは、ヒトラー登場によって、同学派がアメリカへ移住したことだ(同学派の中心層はユダヤマルクス主義者たち)。彼らは、「総力を結集して自分たちに避難場所を与えてくれた国の文化破壊にとりかかった」からである。かくして、彼らの影響下で大量の「文化マルキスト」がアメリカに現れ、アメリカ社会の文化破壊、とりわけキリスト教化が着実に進んでいくわけだ。


アメリカの文化マルキストたちが「文化闘争」の最大の標的とみなしたものは何なのか。あらゆる社会制度が対象といえようが、特にブキャナン氏が強調しているのが家族と学校の破壊である。


・「家族から父親を追放するため、フランクフルト学派は別な選択肢――母親が一家を支配する家母長制、さらに家庭のなかで男女がときに役割を交換、あるいは完全に逆転させる『両性具有』制――を推奨した」


・伝統的な「家族賃金」が終焉し、女性の社会進出が進む一方、離婚率と女性の非婚率が急増する。


・文化マルキスト公立学校の非キリスト教にも全力で取り組んだ。「子供たちはみなそこで信条、価値観、生き方考え方を学ぶ」からである。そして今日、「キリスト教は乞食か何かのように学校から追い払われつつある」という。


・ブキャナン氏が強調しているのは、連邦最高裁の過去五十年にわたる次のような判決の影響だ。公立学校での任意の宗教教育禁止(一九四八年)、学校での祈祷禁止(六二年)、聖書朗読の違憲判決(六三年)、教室の壁に十戒を張るよう求めたケンタッキー州法の破棄(八〇年)、アラバマでの始業前の「黙祷」の違憲判決(八五年)、卒業式でのあらゆる祈祷の禁止(九二年)。


・公立学校からキリスト教は追放され、代わって児童たちに教え込まれるようになったのは、例えば一九七三年版ヒューマニスト宣言』の次のような「世俗的ドグマ」であったという。


・「神への祈りは……効果の立証されない時代遅れの信仰」「伝統的倫理規範は……現代の差し迫ったニーズには合致しない」


・家族が崩壊し、公立学校からキリスト教が追放されてしまえば、社会全体の非キリスト教化は時間の問題だといえよう。結局、今のアメリカ社会における反キリスト教主義文化の台頭は、「文化闘争」における革命派の「勝利」を物語る事態ということなのである。


アメリカは建国以来のキリスト教国家であり、今も保守的宗教勢力は強い政治的影響力を有しているはずだ。それなのに、なぜ文化マルキストの文化破壊を許してしまったのだろうかと。


アメリカ保守派は自らの信仰と文化を脅かす「文化闘争」に敢然と立ち向かわなかったために、「完敗」し、そればかりか今や「退却を始めた」というのである。


・では、アメリカ保守派が文化闘争に敢然と立ち向かわなかった理由は何か。いくつかの理由を氏は指摘しているが、最も根本的な問題は保守派自身がキリスト教的な文化・伝統への「確信」を失ってしまったことにあるという。


・それとともに、氏は文化闘争に対する保守派の「無関心」を指摘してもいる。要するに、外交と経済にエネルギーを注いできた冷戦時代の惰性から脱けきれず、結局、「政治・ジャーナリズム・放送各分野において、歴史や哲学、論理学よりも圧倒的に経済と外交に詳しい保守派が大勢を占めるようにな」り、「倫理・社会・文化論争に直面した保守派は総退却、居心地の良い税と国防の地に転進した」というのである。


・氏が強調するのは、保守派が「文化闘争」の持つ宗教戦争的な非妥協的体質を見抜けなかったことである。「文化戦争は宗教戦争と同根だと信じぬ者は考えが甘い。そのうち和平が仲介されるとの見方は自己欺瞞にすぎぬ。革命派はいかなる休戦協定も即座に破棄するに違いない。目指すは絶対権力、旧アメリカ全壊なのだから」と氏は分析する。


・こうした祖国の危機的現状とその背景分析を踏まえ、ブキャナン氏がアメリカ人に訴えていることは何なのだろうか。端的にいえば、それはキリスト教的な信仰と西洋文明に対する「確信」の回復といってもよい。


・「どれだけ過去を遡ろうと、いつの世も宗教は栄華を誇る社会の礎だった」「宗教とともに文明は興り、その伝統的信仰の腐食とともに国家は滅びる」(ジム・ネルソン・ブラック)
・「もしもキリスト教が滅んだら、私たちの文化もすべて滅びる」(エリオット)


・ブキャナン氏自身は、「このまま信仰心の復活がなければ、あとは残った人々がそれぞれの人生をまっとうしておしまいだ」とまで断じている。ここには、米国の真性保守主義者の典型的な素顔が浮き彫りになっている。


・こうした主張とともに、保守主義者ブキャナン氏の面目が躍如としているのは、「保守派」という意味の再定義を氏が訴えていることである。つまり、従来の「保守派」という言葉には「謀反を起こさぬ者」という意味が込められていた。しかし、眼前の「文化闘争」に勝利するには、かかる意味で保守派であり続けることはむしろ「欠点」だと氏はみなす。反キリスト教文化が支配的となってしまった以上、保守派は自らを「反革命派」と自覚し、闘争心を燃え立たせ、支配的文化の打倒に立ち上がれと氏は呼びかけているのである。


・恐らく多くの読者は、ブキャナン氏の指摘が決して他人事ではなく、今の日本で起きている事態にもピッタリと重ね合わさることを感じたのではなかろうか。すなわち、夫婦別姓ジェンダーフリー男女共同参画といった運動の正体が、「日本版文化マルキスト」による日本の文化・伝統を打ち壊すための「文化闘争」であることに。また、例えば家族崩壊に直結する男女共同参画社会基本法の成立や教育現場でのジェンダーフリー教育の既成事実化など、日本の保守派もこの「文化闘争」において一歩一歩後退し続けてきたことに。


・こうした現状認識に立てば、まず今の日本の保守派に必要なのが、革命勢力との「文化闘争」が展開されているという状況認識を持つということにあることは極めて明らかだろう。さらに、ブキャナン氏が米保守派に訴える「反革命派」への自覚転換が、日本の保守派にも強く求められているといえよう。「文化闘争」において革命勢力が着実に地歩を占めている今日、単なる現状維持派はもはや保守派ではあり得ないことを知るべきだ。


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(部分抜粋引用終)