ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

再びクンデラ

http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34038598.html


2016年2月28日


・「一国を滅ぼすのに刃物はいらない。その民族の記憶を消して、その上に新しい歴史を捏造して押し付ければ足りる」(ミラン・クンデラ著『笑いと忘却の書』)。

・この言葉が正しければ、シナ・韓国・朝日新聞反日日本人は日本を滅ぼそうとしていることになります。 マッカーサーは帰国後「日本の戦争は自存自衛だった」と発言しました。これは裏を返せば「アメリカは侵略者だった」ということです。

政界に入り込んだ工作員が「反論すると国際問題になりますよ」と耳打ちされると何も言えなくなってしまう。

・シナは大躍進の失敗や文化大革命天安門事件でどれほどの人民を殺害してきたのか。9000万人は下らないのではないか?チベット侵略やウィグルやモンゴルはじめ他国民を数百万人も虐殺して民族浄化までしていることや自国民の桁違いの虐殺こそ「ユネスコ世界記憶遺産」に登録して、「シナ共産党」が人類共通の敵であることこそ記憶に留めておくべきではないか。

(部分抜粋引用終)
ミラン・クンデラ」については、過去ブログをどうぞ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090225)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090313)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090315)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090319)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090321)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090323)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090324)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090325)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090326)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090327)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090328)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090329)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090401)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090409)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090411)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090701)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20101227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110506)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120916)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131119)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151204)。

http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/34040470.html


日本会議という右翼的な団体があって、そこからお金が出て、産経と読売に意見広告が出ている、ということがある程度分かってきている
平成27年9月に朝日・毎日・東京新聞の3紙に「安保法案反対」のシールズの全面広告が3回も出ていました。この広告だけでも1億円以上がかかっていますが、この資金を出していたのがシナ共産党の工作機関の「日本レアメタル協会」だということがすでに確認されています。
・この怪しい「メディア法学者」なるものはどうせ反日左翼だろう。
・今回の「声明文」ではっきり言えることは、戦後日本の言論空間は、反日左翼は「言いたい放題」で、保守派は「言いたいことが言えない言論弾圧状態」である、ということです。

(部分抜粋引用終)

http://ykdckomori.blog.jp/archives/1052936370.html


2016年2月27日
古森義久の内外透視」


・大統領選挙の共通項はやはり保守主義リベラリズムというイデオロギーの対立だった。大統領選挙は表面がいかに大衆迎合のお祭り的な行事にみえても、基底には国のあり方を決める政治理念の選択が存在するのだ。
保守主義とは内政では「小さな政府」である。民間や個人の自由を優先し、政府の役割をできるだけ抑えるという理念である。自由競争の尊重、規制の緩 和、市場経済の優先でもある。社会的には伝統的な価値観を重視する。人間は自由放任にしておけば、だいたいはうまくやっていくと考える点では人間の「性善説」に基づくともいえる。外交や防衛では強固な軍事力に基づく「強いアメリカ」を目指す。アメリカの基本理念の民主主義や人権を世界的に広めるという姿勢も顕著である。
リベラリズムは「大きな政府」を優先する。国家や社会の統治は自由放任よりも国民を代表する政府が基本を管理すべきだとする。経済活動も政府の規制や監督を大切にする。とくに貧者や弱者への福祉は政府の公的資金を多く使って、広げていく。税金も富者から多くとり貧者へと再配分する。人間集団は 公的な規制がないと悪化していくという前提から始まる点では人間の「性悪説」が背後にあるともいえよう。
・「リベラル対保守」の構図を大きく変えたのが1980年の共和党ロナルド・レーガン候補と民主党ジミー・カーター大統領の対決だった。この選挙では超保守とされたレーガン氏が現職大統領のカーター氏を地すべり的な大差で破ったのだった。
・貿易に管理を導入する保護貿易主義はリベラル派の主張なのだ。

(部分抜粋引用終)

http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-2250.html


戦後の左傾社会を支えてきた者たちにとって、ネットが普及し、情報の上流にいたはずの自分らの主張が昔通りに受け入れられなくなった現在の言語空間は、確かに「息苦しさ」を感じるのだろう。淘汰されないまでも、この手の者たちは次第にマイノリティになっていく。

(部分抜粋引用終)