ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

George H. Nash博士の著作から

今日は13回目の9.11(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130911)。あれからアメリカは変わったとよく言われる。確かに、表面だけ見ればそうなのだが、パイプス訳文作業の流れに沿うと、実は、1920年代のエジプトのムスリム同胞団の発生や、冷戦期のアフガン戦争や、1979年のイラン革命や、1991年の湾岸戦争などに底流の萌芽が見られる。そして、当然のことながら、これら全ての事柄が、実はムスリム多数派国マレーシアとも、かなりの関わりがあるのだ。だから、マレーシアの聖書問題やキリスト教史だけ見ていないで、もう少し広く世界史的な視点を持たなければと思い、今がある。
ただし、クルド国家浮上問題に見られるような現在進行中の中東情勢を観察しつつ、自分のテーマをどこでどのようにまとめるかを考えつつ、まだ大量に残っている訳文作業をこなすというのは、なかなか難儀なのだ。圧迫されるような、焦る思いは、そこから来る。そして、当然のことながら、イデオロギー対立という深い問題も残っている。
ただ、最近アメリカから遅れて届いた4.5センチの厚さの本(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140909)を昨晩見ていたところ、パイピシュ先生が、どこに思想基盤を置いて、どのような流れの中でお仲間学者達と一緒に活動しているかが、面白いように明確になって、少し安心。私の場合、教えてくださる方が周囲にいないこともあって(質問していないからかもしれないが)、何でも自分でやらなければならず、とかく時間がかかるのだ。
この『1945年以来のアメリカにおける保守派知識人運動』の著者は、実はフーバー大統領の『裏切られた自由』を書いたGeorge H. Nash博士だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131217)。だから、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140616)で、パイピシュ先生に後者の本を引用して質問したこと自体、貴重で重要なタイミングでもあったのだ。とは言え、パイピシュ先生がいつも忙しく働き過ぎているため、落ち着いた議論になりにくかったのが残念だが、これは仕方がない。ご家族それぞれが各自の好意的な日本経験をお持ちであっても、元来、ご専門でもないので、標準的なアメリカ史に沿って日本との戦争を考えてしまうのは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140617)、世論への働きかけとしても、やむを得ないのだ(と、時間が経ってくると、それなりにこちらも余裕が出てくる)。
でも、日本側としては黙って看過するわけにはいかないから、とりあえず質問だけはして、相手にインプットすることだけは怠ってはならない。公的な立場を持つと、仮に内心では相手の言を認めていたとしても、公には簡単に取り消しができないからなのだ。そこは、こちらも理解しておく必要がある。
アメリカおよび欧州の保守派の知識人がどのような基盤で何を考えているかがわかることは、非常に大切だ。というのは、さまざまな矛盾があちこちで噴出している現在、あらゆる分野でリベラル左派が間違っていたことが認識されつつある。今後は、保守派が主導権を握るべく、歴史の羅針盤が軌道修正される可能性もある。その時に備えて、今準備をしておくことがあると思うので、このようにしている。
マレーシアの研究テーマにしても、長年、資料だけは集めて勉強は続けてきたつもりなので、あとは折を見て、最もふさわしい場が見つかればと願っている。
最後に重要な一点を。IT革命の流れはもはや止められない。便利ではあるが、Twitterにせよ、Facebookにせよ、どうしても数の論理というのか、仲間内で盛り上がったりして、とかく大衆動向に左右されがちである。ただ、独自に物を考える人々は少数派に属するが、決して本を読むことを止めたのではない。そして、検索などでたまたま見つけることが多いが、私と似たような考えを持っている読書好きな保守傾向のブログを書いている日本人も、少なくはない。そういう人達は、日本の本はもちろんのこと、英語でも相当な本を次々軽く読破している。そして案外に地方在住だったりして、誇り高く、自分でよく考えている。文章も借り物ではなく、真面目に堅実に書かれているが、発想がオリジナルである。だから面白い。
アクセス数は参考までに記録を取っているが、このブログなど、それほど一般向きではないと最初から思っている。それなのに、昨日書いたように、子どもの頃から「もっと万人向きにならないとだめ」などと変な教訓を垂れていた人が周囲にいて、どこか足下が常にふらつくような感覚が常にあった。だから、物になっていないというのか、ここぞという時に引いてしまって、チャンスをみすみす逃してきたことも多い。
パイプス父子両先生との出会いに驚きつつも、心から感謝しているのは、このような経緯があるからでもある。