ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

共産党は今も...

http://ykdckomori.blog.jp/


ベトナム戦争に見る共産党の“連合”戦略の裏側ー共闘する味方を裏で操り、容赦なく切り捨てる」
2016年8月10日
古森 義久


・2016年7月の参議院選挙では野党連合は成功を果たせなかったが、共産党はここに来て他の政治勢力との共闘をさらに強めようとしている。
・今なお共産党科学的社会主義」の名の下にマルクス・レーニン主義共産主義)への信奉を主体とする革命政党の本質を変えてはいない。
日本共産党は政権獲得への方法として、「民主主義革命」とともに、他の非共産主義政党との「民主連合政府」「国民連合政府」「統一戦線」などの結成を打ち出している。
ベトナム共産党は、共産主義革命の達成、そして政権の全面獲得のために非共産の政治勢力をフルに利用するという戦略を実行して、歴史的な大成果をあげた。
ベトナム共産党は、フランスや米国、そして米国に支援されたベトナム共和国(旧南ベトナム)を相手に戦い勝利した。この30年にわたったベトナム戦争で、ベトナム共産党は「共産主義」や「革命」を隠し続け、他の勢力との連携を強めた。

(部分抜粋引用終)
フェイスブック転載の続編。

https://www.facebook.com/ikuko.tsunashima


フェイスブックで参加しているグループで紹介されていたこの話に関して、私も紹介者と同様に強い違和感がある。


学生時代からアルバイトなどでためたお金を、ささやかながら定期的に難民支援組織に送っていたのは、日本へ難民や労働移民を呼び込まないためだった。つまり、民間人として、自分が働いて得たお金を自発的に差し出して、第三世界の生活水準の引き上げに貢献する人材(医師・看護師・ソーシャルワーカーなど)に投資することで、日本そのものを守ってきたつもりだった。


この記事で紹介されている統計は、1980年代から知られていたことで、何ら珍しくもない。この若い(のであろう)筆者には、もっと過去から学び、よく調べてから記事を書いてほしいと願う。


当時も、日本には難民や移民がごく僅かしか受け入れられていないので、「もっと基準を下げろ」「国を広く開け」「多様性は力だ」「異なるものから学べ」などと左派の西洋知識人などから叱られていた。だが、当時も今も同じく、「閉鎖的だった」日本の強い経済力と効率のよさ、社会の治安の良さを褒める西洋人もいたことを忘れてはならない。


昨年4月下旬、イスラエルへ向かうトルコ航空の機内で隣の席だったオランダ語系ベルギー人の未亡人は、日本の発展は外国人労働者に依存したのではなく、日本人によるものだという私の説明を非常に喜び、「日本人は賢い」と褒めてくださった。


西洋人、アメリカ人と言っても、保守派と左翼とでは全く態度が異なる。保守派は日本についてあまり知らないかもしれないが、少なくとも、伝統や歴史を尊び、己の文化に誇りを持ち、大切にするという点では共通項が多い。

http://blogos.com/outline/186703/
Chikirin
2016年08月11日
「日本の難民認定基準、知ってます? - Chikirinの日記」

(転載終)
「学生時代からアルバイトなどでためたお金を、ささやかながら定期的に難民支援組織に送っていた」については、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080130)。
「日本の強い経済力と効率のよさ、社会の治安の良さを褒める西洋人もいたことを忘れてはならない」については、過去ブログのこちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120411)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120522)。
トルコ航空の機内で隣の席だったオランダ語系ベルギー人の未亡人」については、こちらも併せてご覧ください(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150521)。