ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

丸山眞男、再びあらわる

今更のように「いつ、どこで、間違えたのか」で始まり、「構図の本質において、間違いが内包されていた」で閉じる。丸山眞男の引用がある過去ブログはこちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160229)。

アゴラ(http://agora-web.jp/archives/2034166.html


・「われわれは、いつ、どこで、間違えたのか」
・丸山が情緒に流されて合理的結論を見誤ったと言わざるを得ない点について、辛辣な指摘
・第一に、丸山は、現実の国際政治に裏切られた。
・1951年サンフランシスコ講和会議をめぐって書かれた、有名な「三たび平和について」によって、丸山は、全面講和を唱えて日米安全保障条約体制を批判した数々の知識人の中で指導的役割を担うことになった。
・第二に、丸山は、「国民」に裏切られた。
・1960年日米安全保障条約改定の際、強行採決を行った岸信介政権に憤り、政策ではなく、民主主義を理由にして、安保闘争の騒乱に加わった丸山は、その後も選挙のたびに自民党が勝利し続ける現実を、予期していなかった。
・資本主義の行き詰まりを予感していた丸山は、自民党長期政権下での高度経済成長を謳歌して生活保守化する一般大衆の姿を、予期していなかった。
・第三に、丸山は、日本思想史に裏切られた。
・1946年「超国家主義の論理と心理」で華々しい論壇デビューを飾った丸山は、一貫して日本の思想を特殊なものとみなし続けた。晩年には、「古層」などの曖昧な概念に拘泥しながら、学術的に精緻な成果を生み出すことができずに苦しんだ。
・「超国家主義の論理と心理」における、驚くべき程度までのシュミット依存、シュミットをして日本人を批判せしめるという倒錯的態度は、丸山の世代に特有な決断主義ロマン主義的肯定の思想を生み出した。
・このロマン主義は、今日でもなお、通俗化された憲法9条信仰の形で残存している。
・このロマン主義は、憲法学における「八月革命」説にも通じ、護憲派の「永久革命」思想として国内社会で力を持ち、日本の「国の形」にも大きな影響を与えた。
・半ば自作自演のヒロイズムを象徴する概念
・達成されない目標をわざと掲げて万年革命家を自認
・「最初から、その構図の本質において、間違いが内包されていた」

(部分抜粋引用終)
上記は、フェイスブックhttps://www.facebook.com/ikuko.tsunashima)からの転載である。