ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

お盆休みが過ぎて

一週間のお盆休みが終わった。
この間、かなり前から懸案だった用事を済ませ、主人とお墓参りに行き、倉敷へも出かけた。倉敷は亡くなった主人の従姉妹が住んでいた所でもあったので、暑い中、皆で汗を垂らしてお葬式の準備をした日々のことなどを久しぶりに思い出した(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070817)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070818)。
暑くても、きちんとお見送りをすること、その後、定期的に繰り返して故人を思い出す時を過ごすことの意味を、年齢を重ねる毎に考えるようになる。普段は忘れているようでも、こういう時に大切さがわかる。
主人の場合、明治生まれの父方の祖父母と同居だった上、毎年、夏休みには母方の祖父母の家に小学校一年か二年から大学生の頃まで一人で出かけて過ごしていたので、自然と身についている日本の習慣というものがある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091116)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160320)。
この頃、日本人意識が覚醒してきたせいか、(今よりも昭和時代の方が社会慣習や風習がしっかりしていたのに)と感じることも多い。ただ、崩れが誰の目にも明らかになってきたのは、ここ二十年ぐらいのことなので、一端、目覚めたら、元に戻る動きも早いのではないか、と期待している。
「差別はいけないけれど、区別はする。ここは日本だ。日本人の国だから、日本人が優先なのは当然だ」と、この休み期間にも主人が言っていた。
外国人も含めた左派勢力による文化工作(メディア、学校教育、特に大学)の手法に気づき、特定できればいいのだが。

https://twitter.com/ituna4011


・『組織の掟』(新潮新書)佐藤 優(https://www.amazon.co.jp/dp/4106106620/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_E57SxbGM9NMD3 …)をおととい書店で購入。すぐに読み終えた。佐藤優氏には反体制派のイメージを持つ人もいるかもしれないが、組織内での振る舞い方については、極めて常識的なタイプ。昭和時代の良さが残っている。


・『復権するマルクス 戦争と恐慌の時代に』(角川新書)的場 昭弘・佐藤優https://www.amazon.co.jp/dp/4040820614/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_I27SxbTED9HFH …)をおととい書店で購入。昨日までに読了できた。東欧やロシアでの滞在経験を元に、知的にまとめておく必要があってのことだろう。博覧強記には驚かされる。


・『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)加藤 陽子(https://www.amazon.co.jp/dp/4101204969/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_j87Sxb8JFH97Z …)もおととい書店で購入して、昨晩までに三冊併せて読了。新聞では存じ上げていたが、本では初めて読んだ。中学・高校生がこのような濃密な五日間で近現代史の講義を受けているとは!

(転載終)

最後の加藤陽子氏については、『朝日新聞』紙上で時々記事を読んでいたのみで、論文を拝読していないので何とも言えないが、この分野に関して、ここ数年に知るようになった櫻井よしこ氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%DD%AF%B0%E6%A4%E8%A4%B7%A4%B3)等の歴史観よりも、私にとっては、高校や大学の日本史科目で学んだような内容や数年前までの読書で得た知識と重複している部分が多いように感じた。
念のため、今インターネットで検索してみたところ、やはりというものが見つかった。

カタログハウスhttps://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/vote/index6.html


近現代史を専門とする歴史家の立場からまず言っておきたいのは、「プロの意見を聞け」ということです。内閣法制局は法案作成のプロとして、戦前においても重要な組織でした。


・1925年にできた「治安維持法」第一条は、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認」する者を取り締まるとしています。この「国体を変革」という漠然とした条文がのちに拡大解釈され、共産主義者だけでなく自由主義者キリスト者までもが弾圧される口実となったのです。


・これに対し、当時法制局が出していた案は「罰金以上の刑を科せらるべき行為に依り憲法上の統治組織又は納税義務兵役義務若は私有財産権の制度を変革」する者を罰するものでした。「国体」というあいまいな言葉はなく、「憲法や国民の義務を否定しようとして罰金刑以上に値する犯罪を行なった者」と具体的に書き、拡大解釈されないようにしていました。


・1933年に、予算等を掌る「海軍省」と作戦等を立案する「軍令部」との小さな協定(省部事務互渉規定)を変更することで軍令部の権限を拡大し、内閣の統制下にない軍令部が独断で海外へ艦艇を出しうるような改定がなされました。このときも海軍大臣や次官を更迭して軍令部に都合のよい人物を置くことで、昭和天皇も危惧した変更を通してしまったのです。


・各国の注目度も高いのに、安倍首相の憲法観は危なすぎるというのが私の見方です。「憲法は、国民が国家権力を縛るもの」という立憲主義の大原則を、安倍首相は「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方」と切り捨てますが、これは間違いです。


・戦後、戦争放棄を掲げた憲法九条と、自由主義経済をバックアップするために協調するとした日米安保条約第二条の合わせ技で、日本はアジア諸国からの信頼を得てきました国民の選択ではなく、内閣の解釈改憲で国のあり方の根本を変えようとしている日本への信頼が揺らぐのは当然です。


・中国では今年2月以降、戦時徴用に対する賠償を求めて元労働者や遺族が日本企業を提訴するケースが相次いでいます。


・日中双方のナショナリズムが負のスパイラルを描く可能性もありますが、私は普通の人々の理性に信頼を置いているのです。

(部分抜粋引用終)
以上は、カタログハウスのインタビューだが、ちょうど冒頭の主人の従姉妹のお葬式の頃までだったか、主人が見つけた『通販生活』誌が定期的に届いていた。最初は生活に便利な商品を眺めるだけのつもりだったが、まもなく社会政治運動(環境・反戦・老後と介護)のテーマと連動していることに気づき、「九条の会」が繋がっていることも知った。初めの頃は、違和感があっても、こちらの無知や視野の狭さのせいかと思い、真面目に読んでアンケートに答えたこともあったが、何ら音沙汰がなく、いつの間にか自然消滅していった。
お陰様で、今ならばもっと確信を持って判別し、選択できる。
上記で赤色をつけた箇所については、私見がある。
・「プロの意見を聞け」については、全く仰せごもっともだが、どの基準をもって「プロ」と認識するかも重要な要因。専門○○という事例もあり、何か裏で操作もあるかもしれない。
・「あいまいな」「国体」については、戦前戦時中の共産主義者キリスト者の弾圧は、よく知られたことであって、拡大解釈したとは言えない。特にキリスト者の場合、再臨信仰を強調して千年王国運動を展開していたホーリネス系などが弾圧の対象となったことは、ことに有名である。だが、それについても同志社大学が研究論文集などを公刊して既に検討済みで、キリスト教内での和解も成立しているようである。また、同じキリスト教でも、カトリック教会の場合は、ヴァチカンとも相談の上、戦時中も神社参拝をしたとも読んだことがある。教義のない神道なので、対立項がないと考えられたようである。
昭和天皇も危惧された「軍令部に都合のよい人物」を配置したことについては、昭和時代の文献を見ても、既に検討がなされていた。敗戦理由を軍部のあり方や人事配置に求めた書物は、これまで私も何冊か読んだことがある。
・「憲法は、国民が国家権力を縛るもの」については、それが「立憲主義の大原則」だとは知らなかった。こういうことを主張するのはマルキストだと、学生時代から考えていた。秩序問題として「国家」は「権力」を有するが、だからこそ、国民の保護や治安などの大きな責任も、国家は担うのである。「国民」が「国家権力を縛る」とは、何様か?生まれたての赤ちゃんも「国民」だが、「権力を縛る」権利や義務が付与されているのか?それ以前になすべきことがあるのでは?
・「戦争放棄を掲げた憲法九条」と「日米安保条約第二条」のため「アジア諸国からの信頼を得て」きたことは確かだが、戦後七十年以上が経ち、近隣諸国との関係も変化が生じた今、米国主導による憲法をずっと保持していれば済むという状況ではなくなっている。折しも、2016年8月16日付『毎日新聞』(http://mainichi.jp/articles/20160816/k00/00e/030/200000c)によれば、バイデン米副大統領がペンシルベニア州におけるヒラリー・クリントン国務長官の応援演説で、「私たちが(日本を)核武装させないための日本国憲法を書いた」と語ったとのこと。

一方、近隣諸国との現状を鑑みるに、櫻井よしこ氏の言論の方向性や意図はわかるが、「日本」「日本人」というものを信頼し過ぎる余り、時々、私なりの資料検討やアジアでの現地経験に反して、情に訴え、言い切り過ぎている部分があり、必ずしも全面同意はできない(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141118)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150819)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160103)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160425)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160809)。但し、そこが広く一般大衆受けする面でもあり、歴史学者ではなく、ジャーナリストである所以なのだろう。
それを踏まえると、加藤陽子氏はもう少し客観性があり、必ずしも「日本」「日本人」を一方的に前面に出す手法ではないのは、大学の先生として当然の心得でもあろう。また、個々のエピソードや「なぜそうなのか」という度々の問いかけが参考になった。
中学生や高校生の歴史研究部にとっても、充実した集中講義だったことだろう。それにしても、エリート校ならではの特権でもあると思った。これほどの内容についていけるということ自体、驚きだ。
高校生の三年間、地理や倫理ではなく、私は日本史と世界史を選択して履修し、受験科目としたが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140910)、先生の単調な説明は眠く、後は、教科書を繰り返し読んで、宿題として渡された練習問題を解き、マル付けをしては記憶力の悪さに失望する、ということの連続だった。効率的だったが、もう少し事の道理をかみ砕いて理解できたならば、と思う。と同時に、あのように計画的に詰め込むことは必ずしも悪いことではなかった、と今なら思う。若い時に、好き嫌いを問わず記憶力の鍛錬をすることや複雑な世の中に触れることが、世の中に出てから如何に役立つかを、よく実感するからである。
基礎力をきちんと身につけることの大切さは、佐藤優氏(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%BA%B4%C6%A3%CD%A5)の著書『組織の掟』(2016年4月)でも強調されている。特に、最近の外務省の低下は、外交官になるための試験方式が変更されたことにもよるようだ(p.89)。部下の能力を知る基準として、外国語(英語)能力や常識的な振る舞いを見ていらしたという(pp.87, 90-93, 99-100)。それが、実務に反映されるからだとの由。
また、『復権するマルクス』(2016年4月)でも、このように記されている。

佐藤:大学院で教えた経験はありませんが、大学院生のレベルが学部生よりも低くありませんか。
的場:そうなんです。
佐藤:だから、大学院で教えるというのは、高校レベルの知識が欠損している人が結構多いので、大変です。
的場:大学院はいま短大になっているんです。(p.176)

的場:余計なお世話ですが、いまはそれぐらいやらないと、学生たちは一行も進めない。ゼミでしょっちゅう読ませますが、本当に読めない。それを読むために、中学生の世界史の知識からやらないといけないことになる。
佐藤:教育の仕事だから、やらなければならない。「おまえらダメだ」と、ほったらかすわけにはいかない。
的場:そうなんです。(p.177)

(抜粋終)
結局、それぞれの人生を生き抜くための術としては、新奇性や流行を狙わず、地道な基本を大切に積み重ねていくことだ、という教訓を得た。
今年1月30日の佐藤優氏との不思議な出来事については、繰り返し予定を記したのに(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160218)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160309)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160310)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160327)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160414)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160425)、実は半年以上経った今も、まだ書けていない。お褒めいただいたことの意味と佐藤氏の事実誤認の部分をどのように表現すべきか、いろいろと考えあぐねていたこともある。時間の経過のおかげで、今ではすっきりとしている。