ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

師走の課題

師走に入った。
二ヶ月に一度ぐらいの割合で国内旅行をするようになって数年経つが、主人が「体の動く間にいろいろ見ておきたい」と言うので同伴している、というのが実情。いわば、気分転換と治療の一環でもある。
普段から、家事以外にも大量の資料整理や写真の保存、たまった仕事が山積みなので、本来ならば、じっと家にいても全く困らないはず。というよりも、家にいて仕事を進めていかなければならない立場なのだが、「旅行に出た方が、その後の仕事が捗る」というのが主人の言。
私はといえば、旅の前にはいざという時のための片付けに忙しなく、帰って来たら今度は、留守中に溜まった用事と旅の荷物を整理し直さなければならず、外泊すればするほど、どんどん予定が何乗にも倍加して遅れるばかり。一期一会というからには、せっかくの旅の記録もきちんと整理したいが、レシートもパンフレットもメモもクリアファイルに放り込んだままのものも少なくない。
昔は、年に一度か二度の学会や研究会の旅だけで充分だった。9.11発生までの当時は、主人もアメリカ出張などで活躍していたので、こんなにあちこち国内を旅行する必要はなかった。
これで10年半になるブログ書きについては、もしも自分の経験に最初から筋が一本通っており、周囲に少し話せば自他共に何とか納得がいくような環境だったならば、このように時間を掛ける必要性は全くなかったはずだ。そうでない現状がある以上、やはり、自分から普段の暮らしや生活パターンや日頃の考え方等を説明しておかなければ駄目なのだと痛感している。
それに、ニュースをラジオで聞いていると、とかく最近はつまらないことをくどくどと何ヶ月も報道することが増えた。政策にも満足できないことが増えた。少子高齢化のスピードは予想以上に早く、意識覚醒が求められる昨今である。関西(琵琶湖、西宮、大阪、京都)でのクラシックの演奏会も、以前はワクワクして楽しみだったが、慣れたせいか何なのか、この頃ではあまりパッとしない平凡なプログラムのパンフレットが束になって郵送されてくる。
天皇や皇族のあり方についても、「開かれた皇室」の掛け声の末、昭和時代に比べると何だか平俗で軽くなった感が否めず、非常にもどかしい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170523)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170728)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170918)。これは、国民の側の意識の持ち方の反映でもある。
元号が変わるのが5月1日からだと本日決定されたが、近代化以降の日本では、新暦1月1日の元旦から何事も改まり、学校も4月1日から始まっていた慣例が、さまざまな理由を積み重ねて徐々に崩されつつある現状を嘆かわしく思う。いつかはこのようになるとわかっていたのに、いざという時の備えが抜けていたのではないだろうか。
これは自分自身を振り返っても痛感するところである。
国土防衛には、しっかりとした国境概念と歴史意識(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131121)および世界観を持つことが含まれるが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160321)、結局のところ、今年は憲法問題を中心として、基本勉強のやり直しに当てたことになる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170427)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170428)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170502)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170503)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170519)。学校時代に教科書で習った日本観では、激変する世界情勢の今後、到底、精神的に乗り切れない曖昧さが残る。学生時代には、それが敗戦国として日本が世界に再度受け入れられるための方策であり、冷戦時代の一種の立場でもあったかもしれないが、戦前の教科書で国民全員が教わっていた徳目や国史の骨格は、ここで今、自ら学び吸収しておかなければならない。
そんなことを考えている。
とりあえず、二十代から続けてきたマレーシア研究のテーマを纏めるための作業は今後も継続するとして、2012年3月下旬から2017年4月まで継続してきたパイプス訳文にも(http://ja.danielpipes.org/art/year/all)、今後は一つの構想がある。
気がついたら、人のやっていないことを勉強することに意義を見出せた幸せな時代は、とうに過ぎ去ってしまった。確固とした地盤が緩んで、中心軸が微妙にずれているからである。
昨秋の欧州三都市の旅で痛感した欧州文化の変容については(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161016)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161022)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161023)、日本も決して他人事ではあり得ない。移民政策はおろか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171026)、土地問題や(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161021)情報戦においても(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170410)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170529)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170911)、既に侵食が始まっているのだ。
海外事情を日本に紹介し、海外でも何とか通用するためには、まずは自分の基軸を固め直さなければならない。今までは、思想潮流等の理解がどこか曖昧模糊としていて、知識や見聞を広げてかき集めることに集中しがちで、それが大きなストレスにもなっていたのだが、今年はやっと、何とか自分なりに方向性が見い出せるようになった(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170129)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170130)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170205)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170206)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170524)。

(1)自分のルーツを辿りつつ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170611)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170727)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170728)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170926)、出身地と居住地に対する縦軸横軸の理解を深めること(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170729)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171014)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171027)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171114)。
(2)日本の国体すなわち天皇史や皇室史について学び直すこと。
(3)神社神道や仏教寺院について、系統だった歴史の勉強をすること(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170630)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170702)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170703)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170704)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170705)。
(4)出身地に関連した城郭について学び直すこと。
(5)一時休会している茶道を再開して学び続けること(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161121)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161217)。

戦後長らく続いたリベラル左派の社会主義的な教育は、主観や感情を交えずに物事を客観的に分析したり、因習を打破したりする意味では役立った点が皆無ではない。だが、何事も地均して平板化してしまい、理性的な良心や常識を働かせるよりも法の細分化で人を縛り、相対化によって価値観を混乱させたり減じたりした有形無形の弊害は、今更ながら膨大なものがあると気づく。知らず知らずのうちに、現状肯定的な一種の感覚麻痺状態に陥らせるのである。ひいては無関心や事なかれ主義に至る。
もっと国と自己のアイデンティティが強固でしっかりしたままだったら、自分の課題だけに専念していても問題はなかったはずなのだ。
気がついた時がチャンスだ。大変な作業だが、挽回に励もう。