ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

昨日の補足

昨日の補足として(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160817)、櫻井よしこ氏の最新コラムを。

http://yoshiko-sakurai.jp/2016/08/18/6477


2016.08.18(木)
「夏休み、日本を考えるための2冊の本」
週刊新潮』 2016年8月11・18日合併号
日本ルネッサンス 第716回


・20年以上も前に出版された『昭和天皇独白録』(文春文庫)である。これは昭和21(1946)年3月から4月にかけて、5回にわたって側近に昭和天皇が語った内容をまとめたものだ。
昭和6年9月の満州事変に関して国際連盟が調査し、まとめた報告書は、満州事変を日本の侵略と断じた。だが、同時に満州における日本の権益が特殊であること、満州国の事情は複雑で短絡的に因果関係や合理非合理、或いは正邪の判断はできないという視点を維持していた。日本にとって決して不利な情報ばかりではなかったのである。
昭和天皇は、「私は報告書をそのまま鵜呑みにして終(しま)う積りで、牧野、西園寺に相談した」と話しておられる。牧野は牧野伸顕吉田茂はその娘婿だ。西園寺公望は元老として昭和天皇に助言する立場にあった。
・報告書を受け入れて国際社会にとどまる方がよいと天皇はお考えになった。しかし、元老西園寺は、すでにリットン報告書は拒否すると閣議決定されたとして、昭和天皇の反対論を押しとどめた。
・脱退して帰国した松岡洋右はまるで英雄のように迎えられた世論という熱狂のこわさである。
・松岡が結んだ日独伊三国同盟について、昭和天皇が述べておられる。「結局私は賛成したが、決して満足して賛成した訳ではない」
・当時、米内光政、山本五十六、井上成美ら海軍の重鎮をはじめ、アメリカの実力と欧州の事情を知っている人々ほど三国同盟には強く反対した。しかし、昭和15年9月7日にナチスドイツ政府の特使が来日し、三国同盟はわずか9日後の16日には閣議決定された。
近衛文麿首相に語ったお言葉として、「ドイツやイタリアのごとき国家と、このような緊密な同盟を結ばねばならぬことで、この国の前途はやはり心配である。私の代はよろしいが、私の子孫の代が思いやられる。本当に大丈夫なのか」というものがある。
・御自身の思いとは異なる方向に日本国が進むのを眼前にしながら、「君臨すれども統治せず」、立憲君主国の元首の精神で介入はなさらない。どれ程の自制心が必要であろうか。凡人にはできないことだ。
昭和16年9月6日、御前会議が開かれ日本はいずれアメリカと戦争するのか否か、極めて重大な方針を決めることになった。外交よりも戦争に重点を置くかのような統帥部の案について、昭和天皇は「統帥部が何ら答えないのは甚だ遺憾」とし、明治天皇の御製を読み上げられた。「四方の海みなはらからと思う世になど波風の立ちさわぐらむ」
米国と戦ってはならない、平和を求めよという御心である。しかし首相近衛は天皇の平和意図を実行しなかった。
・遂に開戦した翌年の昭和17年4月、日本政府はローマ法王庁との親善強化のため、特命全権公使として原田健を特派したが、昭和天皇は「之は私の発意である」と語っておられる。
「私はローマ法王庁と連絡のある事が、戦の終結時期に於いて好都合なるべき事、又世界の情報蒐集の上にも便宜あること竝にローマ法王庁の全世界に及ぼす精神的支配力の強大なること等を考えて、東条に公使派遣方を要望した次第である」
・開戦と同時に如何に戦いを終了させるか、を考え準備するのが戦争の常道であるとはいえ、そうした戦略が欠落していたからこそ、日本はあの大東亜戦争で敗れた。当時のことについて天皇は「平和論は少なくて苦しかった」と述懐しておられる。
・かつて戦いを前面に押し出しすぎていたとしたら、現在はその対極にある。 

(部分抜粋引用終)
佐藤優氏についても、補足記事を。

http://toyokeizai.net/articles/-/11623


佐藤優(上)「死から逆算して生きよ」
「新世代リーダー」の作法
佐々木 紀彦
2012年11月12日


・『週刊東洋経済』「知の技法 出世の作法」連載 



・世界では目的論的な考え方が主流なのに、日本ではポストモダン的な思想が強く、目的論が否定されてしまっている。しかも、日本の仏教的な土壌では、すべては縁起から成り立つという考え方が強い。
大きな物語がないところで、ポストモダンということになると、何もなくてただ現象面だけに漂流することになる。
・目標を持つことだ。
・棺桶に入るとき、死ぬときのことも考えたほうがいい。ギリシヤ語でいうところのテロス。これは、終わり、目的、完成という意味だ。後ろから逆算して考えて、今は何をやるかという組み立てをすることがいちばん重要になる。
大きな矜持を持って、小さなプライドを捨てることだ。特に重要なのは、知らないことと知っていることの仕分け。知らないことを知ったかぶりしてはいけない。そのうえで、ちゃんとした手続きに従って、積み重ねて勉強していけばいい。
・大切になるのは全体の見取り図だ。
・各論を学ぶ際には、確立した学術論文や本から基礎知識を身につけたほうがいい。そのうえで、耳学問、勉強会であるとか、同業者間のフェイスブックであるとかに入っていけばいい。その順番を間違ってはいけない。
・国、家族、仕事、趣味など、人生の目的をどこに置くかは、各人の価値観によって違ってくる。時間の有効配分の問題として、仕事でトップになることと、家庭生活とを、両立するのは非常に難しい。ゼロサムゲームとまでは言わないけれども、構造は限りなくゼロサムに近いと考えたほうがいいと思う。だからトップになった人たちは、人生のどこかで、家庭生活や趣味を犠牲にしている。すべての面で幸せを望むのは無理だ
・上に行けば行くほど、偶然の要素が強くなる。物書きでも通訳でも何の世界でも、トップになる人の共通点は運がいいことだ。運の要素がたぶん99%だと思う。ただし、残りの1%に実力がないと絶対に運をつかめない
・上位1割に入るために努力することは、絶対無駄にならない。大体の企業において、中間管理職までは実力でいける。たぶん、執行役員も実力でいける。そこから先は運と巡り合わせで決まる。
・出世のコツだ。逆説的だが、利他性を重視することで、それが自分に返ってくる。「情けは人のためならず」という構図だ。
・大切なのは、自分のことと、会社のことと、国家のことを重ねるように、同心円的な心理を持つことだ。最近は、新自由主義批判が行きすぎている。競争に疲れてしまって、若い人たちが競争から簡単に降りすぎるし、自分の狭い世界を簡単につくりすぎてしまっている。それに対しては警鐘を鳴らしたい
・人生を歩むうえで、宗教的な何か、超越的な何かは持っていたほうがいい。どの宗教であるかは関係ない。
・誰にでも、最終的に宗教がどこかで必要になる。人間には、時間も可能性も永遠ではないという制約条件がある。その死と向かい合うことから宗教が出てくる。無宗教の人でも、死に関しては何らかの理屈が必要になってくる。
宗教学の基礎を知っていれば、たとえば、靖国神社に代替する宗教的に中立な追悼施設を作るということが、ありえないことがわかる。追悼という行為自体が宗教的だから、それは人造宗教、国家宗教をつくるということになってしまう。
いわゆるリベラルな人や、靖国神社A級戦犯合祀に反対する人たちは、宗教的に中立な国の追悼施設だったら構わないと言うが、公設したら完全な国家神道と同じになってしまう。それは他の宗教の上に立つ宗教をつくることになる。宗教学の基本的な知識に欠けているから、事実上、そういう議論が出てくる。
・重要なのは、超越的なものや、宗教について無定義のままに話をしないことだ。ところがポストモダンの洗礼を受けている30代、40代の人たちは、定義というもの自体を拒否する傾向がある。「定義自体に意味がない」というのが、知的な訓練を受けている人たちの主流な考え方になっている。
・今重要なのは、ちょっと古い形の勉強だ。
・サンデル教授のような双方向型の授業は、結局は床屋談義になってしまう。問題は、サンデル教授ではなく、学生の水準にある。大学の助教ぐらいのレベルの人を相手にするならまだしも、学生を相手にしても意味がない
・あるところまでは受動的な形で知識を身につけていくことが非常に重要になる。それがないところで「自分の意見を言ってみろ」といっても、知的にはほとんど意味のないことになってしまう。
・「こういう人は面白いよ」というモデルになる人間を見せたほうがいい。それから焼き餅をやかないように、きちんと教育をしておくべきだ。
・今の偏差値教育、受験競争は焼き餅を助長するところがある。しかも基本的に記憶力の試験だから、反射神経の勝負になってしまう。記憶というのは反復していると、パターン認識されてしまい、外側のものが見えなくなってしまう。その危険性に気づかないといけない。
・結局、若い頃にどれくらい本を読んでいるかがカギになる。
若いときに読書経験をある程度ためていないといけない
・インターネットの場合、自らが選択しているという形になるから、自分で理解できるものか、共感できるものしか読まなくなる
・今のままだと、日本のエリートの劣化が止めどなく進む。そうした状況を打開するには、組織と折り合いをつけられるギリギリのところで、海外に留学するとか、何らかの自己実現を図っていくしかない。
・組織というのは人を引き上げてくれるところがあるから、やっぱり重要だ。組織を敵と考えるのはよくない。むしろ、組織をうまく利用することを考えるべきだ。
・外務省という組織がなければ、ロシア語は身につかなかったし、政治エリートと付き合うこともできなかった。今はフリーランスにならざるをえなかったからなっている。そもそもフリーランスはまったくフリーじゃない。あくまで、制約の中における自由にすぎない。
・組織というのはすごく吸心力あるから、実力があって上に行こうとしている人は、どんどん中心に吸い寄せられていく。どこの国でも会社でも、上に行く人たちは、組織にどっぷり入っているし、出世する人は生え抜きの人が非常に多い

http://toyokeizai.net/articles/-/11683


佐藤優(下)「歴史と国際政治の教養を磨け」
あなたの会社の混乱と、国際政治は関連している
佐々木 紀彦
2012年11月13日


・トップを目指す人にとって、読書は絶対に欠かせない。読書が代理経験になるからだ。
・読むなら、日本人の伝記よりも、海外の伝記のほうがいい
カーネギー、ロックフェラー3世、李明博といった海外の人物の自伝のほうがお勧めだ。そちらのほうが、グローバルな時代に生き残るためのヒントを多く得られるだろう。
・今、どこの企業も混乱しており、30、40代の人は、どうすれば自分の仕事が評価されるかわからなくなっていると思う。実はこの混乱は、政治の混乱とものすごく関係している。
日本の内政が極度に混乱するのは、国際情勢がすごく混乱しているからだ。つまり、これは構造的な問題といえる。
・日本は2つに分かれた。一つは、グローバルな潮流に従おうとする北朝の流れ。もう一つは、グローバル化に逆らおうとする南朝の流れ。今でいうと、「TPP亡国論」を唱えているような人たちだ。しかし、南朝のような考えはアナクロニズムで通らず、結局、グローバリズムを一部取り入れることになった
ポルトガル人が日本に到達して、鉄砲を持ってくると同時に、キリスト教というグローバル基準の宗教を持ってきた。これに対してどう対応するかで国が割れた。
織田信長がグローバルな流れに入っていこうとしたのに対して、明智光秀豊臣秀吉徳川家康らは天皇との関係を重視し、キリスト教に対してネガティブな態度をとった。鉄砲などの技術的なものは取り入れる一方で、キリスト教(カトリシズム)というドクトリンは取り入れなかった。そして鎖国の方向へ向かっていった。
・こうして江戸時代の安定した状況が続いたが、幕末に再び混乱が生じた。その背景にあったのは、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダによる帝国主義だ。
グローバル化の圧力によって、アウタルキー(自給自足の経済)を維持できなくなった日本は、新しいシステムへの適応を目指した。そして、近代化に成功した日本には、憲法ができ、普通選挙ができ、2大政党制までできた。
ナチスやイタリアのファシズムは、これまでの国際法秩序を一方的に覆そうとして、日本もその流れに乗ろうとした。
・歴史を振り返ってもわかるように、日本に大きな混乱が起きるときには、必ず世界秩序の大きな変化が起きている。そして今起きている大変化には、2つの震源地がある。
・1カ所は中国だ。
・ネーションが形成されるには、必ず敵のイメージが必要になる。その敵のイメージが日本になってしまっている。
・中国では普通選挙が保証されておらず、今も国家指導部は共産党の密室の中で選ばれている。これは絶対に持たないと思う。中国ぐらいのGDPがあって、1人当たりGDPにしても日本の10分の1はある国で、今のような略奪や焼き打ちが起きるというのは、異常な現象だ。
・ほかに、合理的に考えて明らかに意味がない航空母艦を作るのも理解できない。第7世代の戦闘機が出てくれば、こんなもの単なる標的にしかならない。それから近隣諸国との領土問題も深刻化している。日本だけではなく、フィリピン、ベトナムなど周辺国との関係がすべて悪化している。
・世界はどうやって中国と付き合ったらいいかがわからなくなっている。だからこそ、「中国とどう付き合うか」が、今の政治の大きな軸の一つになっている。
・もう一つの震源地はイランだ。イランはペルシャ帝国の再建し、世界帝国になろうとしている。その背景には、シーア派による支配という論理と、核を保有しているということがある。イランも、中国と同じように、帝国を形成していくプロセスにおいて、国際社会の既存のゲームのルールを一方的に破壊し、自己に有利なものに変えようとしている。
・世界的な規模の混乱が起きている。その混乱の中で日本の政治の混乱があり、日本の経済の混乱が起きている。企業にとって、中国ビジネス抜きの企業戦略は考えられないし、中東抜きのエネルギー戦略は考えられない。
・中国、イランで大きな動きが起きている一方で、アメリカも岐路に来ている。
シェールガスが完全に確保できるようになれば、アメリカは2030年代にエネルギーの輸出国になるだろう。そうなった場合、もしかしたら新しいアメリカの時代が来るかもしれない。
・これまで、アメリカが世界帝国を目指して、中東まで出掛けていたったのは、エネルギーを確保しなければいけなかったからだ。
・そうした変化があるにもかかわらず、日本ではいまだに詐術が横行している。
・しかし、実際に安保条約の5条を読んでみればわかるが、米国が自動的に介入するわけではない。第5条には、「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」という制約が付されている。米国憲法では、大統領に宣戦布告を行う権利はない。宣戦布告権や軍隊の編成権、歳出権などは、連邦議会に属している。
・もし尖閣諸島をめぐって日中の武力衝突が発生しても、米軍が日本側に立って行動する可能性は低いとみていたほうがいい
・何となくアメリカは頼りにならないのではないかという形で、感情的な反米が出てくる。こういうのがいちばん危ない。エリートになる人たちは、こうした感情論に流されてはいけない。冷たく現実のメカニズムがどう動いているのかについて勢力均衡的なものの見方をしなければいけない。
・特に歴史や国際政治の教養は必須の教養になる。
・歴史というのは近代的な現象であって、複数存在する。だから反米史観も構築できるし、親米史観も構築できる。ただ、うそだけはついてはいけない。歴史に点と線をつないでいくときに、点のないところに点をつくってはいけない。そのルールを守れるかが、複数の歴史観を持つか、陰謀史観、謀略史観に染まるかの違いになってくる。

(部分抜粋引用終)
上記は非常に参考になる。同時に、以下のようなコメントもあることを頭の片隅に。

http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-2288.html


朝日新聞グループに、Webronzaというネット媒体がある。元外交官の佐藤優氏が推薦コメントを寄せていて、「朝日新聞のベテラン記者や編集者が執筆者を厳選している」と持ち上げているのだが、朝日の記者や編集者が人選すると言うこと自体、「バイアスかかってますよ」という宣言みたいなもので、これが推薦コメントになること自体が奇怪に思える。

(部分抜粋引用終)