ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

前田護郎先生と田川建三氏

過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160109)の話の続きを。

http://aboshiyori.blog.eonet.jp/httpaboshiyoriblogeon/2016/01/


2016年1月13日


「されど名前」田川建三氏にお詫びします


・中に面白そうなブログありました、お訪ねしてみました、殆どのブロガーが身分を明らかにしていません、現状を考えれば当然ですが、このブログプロフィールで最低限の事項明らかにしていす[ママ]、それだけでもブログの質推測できます。予想どおり内容豊かでした、「田川健三」に触れていましたので愚見をメールしました、翌日、ご丁寧なお返事頂きましたので、若干おしゃべりしてしまいました、送信したあと2つの大ミステイクしていること気付きました。


・田川健三氏の名前間違えていたこと、まさに愚か者です、正しくは「建三」です。この点に関しては心から彼にお詫び申し上げます。旧約聖書でも「名前は人格と同じ」です、神がある人を名前で呼ばれる、或いは名前を与えるということは、最高の祝福です。「たかが名前」と考える人もいるでしょうが「されど名前」です、無視・軽視は決して赦されません。私の周囲にも名前や肩書に拘る人いました。話しかけられていること気付いても返事しない人、教員や牧師の世界(この世界しか知りません)にも居ました、特に「先生」に異常に拘る人、何人かいました、不自由な人だと思いました。


・あろうことか、お返事くださったブロガーのTさんの名前間違えて「三宅様」にしてしまいました。何故「三宅」としたのか本人にも分かりません、誓って(聖書は誓うこと禁じていますが)言いますが、78年の生涯「三宅」という女性と親しくしたことありません

(無断部分抜粋引用終)

最後の言葉がおもしろかった。そういう発想は私にはない。そこで、メールを私から。

最新のブログを拝読しました。


http://aboshiyori.blog.eonet.jp/httpaboshiyoriblogeon/2016/01/


私宛の名前については、どうぞお気になさいませんよう。この頃、夫婦別姓問題が喧しいので、堅苦しい本を読むのが好きな私も、既婚でありながら別姓主張派だと思われたかもしれない、と。


昨日、メールを複写して転載させていただきました。勝手に修正すると、文章の持つ味が消えてしまうのでは、と思ったからです。


http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160112


今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。この度は、お目に留めてくださり、ありがとうございました。


2016年1月13日

(転載終)

田川建三氏は確かに影響力の大きい聖書学者で、特に学生運動から万博闘争以降の日本の小さなキリスト教文脈では、著作も興味深いものが多い。だが、二十代、三十代前半までは何とかついていけたとしても、その後、あの調子で何かと罵倒され続けているようでは、読者の神経が萎縮するばかり。また、他人のミスはたとえ小さくとも重要視して厳しく指摘されるが、ご自分については結構甘いことにも、最近気づいた。大言壮語というのは言い過ぎかもしれないが、忍び寄る年の波にはさすがの田川氏も勝てない、ということなのだろうか。

田川建三氏は、東大生でいらした頃、前田護郎教授の諭しで、他の教授につくよう促された経緯があったようだと、何年も前の一般雑誌で読んだことがある。前田護郎先生については、その直弟子に当たる方から大量にご著作をお譲りいただいたこともあり、過去ブログでかなりご紹介した。
前田護郎先生の著述あるいはお名前を引用したことのあるブログの一覧表を示すと、以下のようになる。

http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C1%B0%C5%C4%B8%EE%CF%BA


• 2011-08-22 経験に基づいた知識で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110822
• 2011-05-11 悩ましい係争問題(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110511
• 2011-04-21 いざという時に(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110421
• 2010-01-28 隠れたところで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100128
• 2009-09-09 ハマーショルドの愛読書 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090909
• 2009-08-29 いわさきちひろの美術館と本(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090829
• 2009-07-28 うれしい贈り物と美術館の話(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090728) 
• 2009-05-12 中間的思索(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090512
• 2008-12-14 悲憤慷慨 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081214
• 2008-12-02 小さくても...(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081202
• 2008-08-27 順境と逆境との間で (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080827
• 2008-06-30 中国のキリスト教の動向 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080630
• 2008-06-21 不利か有利かではなく....(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080621
• 2008-06-18 まどろみの日々を...(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080618
2008-05-29 論理性と公開性 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080529
• 2008-05-21 ムスリム・クリスチャン関係の障壁 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080521
• 2008-05-19 学問としての聖書の存在意義 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080519
• 2008-03-22 ヨハネ受難曲マタイ受難曲http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080322
• 2008-03-18 組織や肩書ではなくその人自身を(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080318
• 2008-03-04 「ごきげんよう」の使われ方など (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080304
2008-02-28 オランダでの思い出その他(1)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080228
• 2008-02-16 読んだ本・聴いた音楽(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080216
• 2008-02-06 日本の教会についての一視点(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080206
• 2008-01-28 あしながおじさまからのプレゼント(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080128
• 2008-01-26 神戸バイブルハウスにて(5)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080126
• 2007-12-28 前田護郎主筆『聖書愛読』(15)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071228
• 2007-12-22 前田護郎主筆『聖書愛読』(14)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071222
• 2007-12-21 最近買った本の小話 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071221
• 2007-12-18 前田護郎主筆『聖書愛読』(13)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071218
• 2007-12-16 前田護郎主筆『聖書愛読』(12)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071216
• 2007-12-15 キリスト教における改宗問題 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071215
2007-12-09 前田護郎主筆『聖書愛読』(11)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071209
• 2007-12-08 前田護郎主筆『聖書愛読』(10)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071208
• 2007-12-04 実利的な話と高尚さを装う話 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071204
• 2007-11-25 前田護郎主筆『聖書愛読』(9)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071125
2007-11-24 前田護郎主筆『聖書愛読』(8)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071124
• 2007-11-23 前田護郎主筆『聖書愛読』(7)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071123
2007-11-22 前田護郎主筆『聖書愛読』(6)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071122
• 2007-11-18 前田護郎主筆『聖書愛読』(5)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071118
• 2007-11-16 前田護郎主筆『聖書愛読』(4)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071116
• 2007-11-14 女性の意識向上 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071114
• 2007-11-13 前田護郎主筆『聖書愛読』(3)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071113
• 2007-11-11 前田護郎主筆『聖書愛読』(2)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071111
• 2007-11-09 前田護郎主筆『聖書愛読』(1)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071109
• 2007-11-02 前田護郎先生の選集・中国のこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071102
• 2007-07-08 腹ふくるるわざ (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070708
• 2007-07-06 国立民族学博物館の報告書 (http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070706
2007-07-05 アジアの聖書協会総主事(前編)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070705

最後に、冒頭のブログ主様のご経験を抜粋して、この話題の締めとする。

http://aboshiyori.blog.eonet.jp/httpaboshiyoriblogeon/2012/02/


2012年2月21日


3回に亘って「新約聖書学者田川健三氏」のコメントに答え、もう少し書くつもりだったが、ほとんど全てのと言い切れるほど、読者諸賢には不評だったようだ、客観的には一昨日のアクセス数が、ほぼ1年ぶりに10台(17件)になったこと、決定的だったのは、数日前、教え子の一人から「宗教の話は分りませんが、その他のことについては、共感しながら、楽しく読んでいます・・・・」とメールを頂いたこと。「イエスはキリスト」と信じる、数多くの謙遜で、信頼できる日本の新約聖書学者の中で「イエスという男」(同名の著作がある)を基点に聖書を読んで、学問的に研究しているT氏に、個人的にこだわり過ぎたこと猛省している、ただ私には楽しいひと時でした。一応、ここらで一区切りつけますので、ご安心ください。田川建三氏に興味を持たれた方は、彼の著作を読んでください、批判は常に公正を期すべきですから。

(部分抜粋転載終)

http://aboshiyori.blog.eonet.jp/httpaboshiyoriblogeon/2012/03/post-624c.html


2012年3月16日


・昨年の大震災の後、「大震災 神も仏も あるものか」「神仏(かみほとけ)無いこと知った大震災」というような川柳をいくつか目にした。本音だと思う。震災直後、現地で医者をしている山浦玄嗣さんが「多くの人を診察したが、誰一人神や仏を恨んでいないのに驚いた」と新聞に書いていた。彼はカトリック教徒で60歳を過ぎてギリシャ語を学び、10〜8年前、4つの福音書の「ケセン(気仙)語」に訳して出版している。ケセン語は東北方言の一つで、アイヌ語の影響を残した独特な言語だそうだ。早速、買って読んだがケセン語に全く無知であるので、さっぱりわからない。


・聖書を一人でも多くの人に解り易く読んでもらいたいとする彼の情熱には頭が下がる。自分の語学力と学識を誇示するためとしか思えない新約聖書学者を名乗る田川健三氏などとは基本姿勢が全く違う。山浦氏の爪の垢を煎じて飲ませたい。


・山浦氏がキリスト教徒であり、医者であるから、彼に接した被災者は本音を言わなかったと思う。発災1年後の政府主催「追悼式」で遺族代表の一人が「神や仏が居ないこと知らされました」と言った。ほとんどの被災者の本音を素直に代弁したと思う。宗教家は被災者に対して尤もらしい宗教論を語るべきではない、黙々と支援を続けることである。

(部分抜粋転載終)
ケセン語聖書については、十数年以上も前から関心を持っていた。音声学を含めたケセン語の言語研究グループに問い合わせたところ、これまたすげなく「貴方には関係がないことと思われます」と断られたことを思い出す。