ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

万博闘争以降

以下、「田川建三」氏の表記ミスを含む。

http://aboshiyori.blog.eonet.jp/httpaboshiyoriblogeon/2012/02/post-0fcc.html


新約聖書学者田川健三氏へ(1)「聖書の専門家はいません」
2012年2月 9日


「大学解体」を叫ぶ全共闘運動に刺激されて一部の教会内の若者たちが「教会解体」を言い出し、いくつかの教会が混乱した時期があった。彼らを支持する牧師もいて、あちこちで学習会をしていた、誘われて大阪の集会に行ったことがある、その時の講師がT氏でした、それより前に「関西新約学会」で彼の発題を聞き感銘し、彼のファンになりましたがエピゴーネン(追随者)になってはいません。


・「あなたは御存じないでしょうが、私は、あなたが世の中には存在しえないとお書きになっておいでの聖書の専門家です。存在するものを存在しないとおっしゃるのは、やはり失礼な話ですね。」

(部分抜粋引用終)

http://aboshiyori.blog.eonet.jp/httpaboshiyoriblogeon/2012/02/3-7085.html


新約聖書学者田川健三氏へ(3)レッテル主義再考
2012年2月17日


・田川健三(以下 T氏)氏のコメントの主意は「素人のひとが、素人と専門家の区別なぞない、自分も専門家と同等だ、などと思うとしたら、これは愚劣きわまりない妄想です。あなたも、こと聖書については、ずぶの素人だ、ということをお忘れなく。」で終わります。私のブログは200〜300字です、私の表現力、文章力の稚拙さは認めますが、彼の読解力に疑問を感じますので、次回の主題にして読者のご判断を仰ぎます。


・T氏に学者として在ってはならない「レッテル主義者」の兆候を感じます。「レッテル主義」については以前書きました。根拠もなく個人や団体を落し入れ、社会的抹殺を図る為に用いられる常用語です。個人間であれば、論議・論争の余地はありますが、国家権力が用いると危険です、国家の存亡に関わります。「主義者」「アカ」「過激派」「非国民」が危険人物、団体として国民洗脳に用いられました。特に、昭和初期、天皇制・軍国主義国家下の日本では、理由不明で「非国民」のレッテルを貼られることは恐怖でした。戦争批判はもとより、地域の防空練習に出ないだけで「非国民」とされました。


・T氏は「愚劣」という言葉がお好きなようで、著書によく使っています。彼のファンや追随者(もし居れば)は大喜びするでしょうが、言葉は慎重に選ぶべきです。今回のコメントにはありませんが、彼は教会に奉仕することを使命にしている聖書学者、神学者を「護教論学者」と呼ぶ、「護教論」が怖い、この言葉によって「原理主義」を連想させようとしているようだ、現代の国際的状況では「原理主義」は悪・恐怖のレッテルになっていることを意識して多用しているように思えてならない。さらに「護教論者」に「お金持ちの」「ちゃちな」などを付して、揶揄している、理性的学者、とりわけ言語学者であれば感情的表現はすべきでない。彼にレッテル主義者の危惧を抱く理由です、間違いであって欲しいと願っています。

(部分抜粋引用終)

上記の田川建三氏に言及したのは、今月4日に亡くなった町内のクリスチャン医師のご一家(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160106)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160107)のこととも少し関わりがある。キリスト教において、いわば正反対の姿勢にあるからだ。熱血漢のようなお父様先生の一種風変わりな執念は、キリスト教の関西文脈(特に万博以降)を広く考慮しなければ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080206)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150403)、理解しにくいかもしれない。

(補足:過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090122)に記したメモの断片の幾つかは、実は上記の医師兼牧師による今は閉鎖された何年も前の旧ブログから、ノートに筆写したものである。)

私自身、一次資料もまともになく、パソコンが今ほど便利でもなく、どこを探せば疑問が解明できるか全くわからなかった時代に、必死に手がかりを求めて、マレー語聖書の翻訳事情について研究(or調査orリサーチ)しようとしていた1999年頃、大学図書館で氏の著作『書物としての新約聖書勁草書房(1997年1月)を読み、お手紙でお尋ねしたことがある。二度、お返事があったが、いずれも罵倒であって、葉書の方は(私には珍しく)その場で捨てた。
指示としては、「マレー語の聖書翻訳について調べたいなら、マレーシアではなく、シンガポールから始めるのが常道でしょうが」みたいな高飛車なもので、学問的にも、私の経験からも、全く合致しないものであった。
このブログでも何年も前に何度も重ねて綴ってきたので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070904)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080414)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080912)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20081010)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090418)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090427)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090428)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100311)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20121128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130503)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140524)、長年の読者の方には恐らくは了承済みかと思うが、マレー語に訳された聖書翻訳の一次資料は、シンガポールで調べたところ、当時は図書館に一部しかなかったのである。(補足:マラヤ(現マレーシア)におけるマレー語の聖書翻訳は、1800年代にペナンで始まったのが最初であるが、もし、現在のインドネシア語言語学的にマレー語範疇に含めるならば、ジャワ島の方が先である。いずれにしても、シンガポールはもっと後の時代で、そのことは既に学会で発表済。)
また、あの頃の現地のシンガポール人は、聖書協会を訪ねても、あまり触れたくない話題として遠ざかっていた。(フィールドワークのメモやノートに、そのことが記してある。)それに、私が知りたかったのは、シンガポールではなく、そもそも政府プログラムで派遣されて居住したマレーシアの事情だったからである。言われなくても、シンガポールについては調べられる範囲で調べた末、それでも納得がいかないから、広く海外のご経験をお持ちの氏に、著作を拝読した上でお尋ねしたのである。
だが、残念ながら、氏は斟酌の余裕がなく、学識としても間違っていた。この小さなトピックに関しては、遠慮無くあえて申せば、私の方が専門であることは確かだ、と今なら断言できる。氏のみならず、他の若手研究者の追随を許さない、時の積み重ねと過去の現地経験というものが、私にはある。
ただ、ダニエル・パイプス先生と知り合う2012年1月下旬まで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120114)、なぜ氏がそのように居丈高な知識人を誇っているのか、私には充分に咀嚼できなかった。個人の性格の問題、あるいは、「学者ってそういう偏屈なものですよ」ということでは済まされない、何か思想の大きな潮流、言ってしまえば、イデオロギーの対決問題があるのではないか、と気付かされたのは、やはり、パイプス親子先生の業績に負うところが大きい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140808)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141007)。