ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

恥ずかしいのは、そちらです

1.

http://yukokulog.blog129.fc2.com/


南朝鮮の日本に対する繰り返しの我儘には、「たかり」という言葉が最も相応しい。池田信夫氏は、イザベラ・バード朝鮮紀行を引きながら、この「たかり」の精神的メカニズムを解説している。

朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり人の親切につけこんでいるその体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親戚と妻の親族、自分の友人、自分の親戚を扶養しなければならない(pp.556-7、強調は引用者)。


これは朝鮮に固有の問題ではなく、中国文化圏では親族にたかるのは当たり前だ。宗族と呼ばれる数万人の親族集団の中で一人が科挙に合格すると、彼は自分を勉強させてくれた親戚を宮廷に入れて養う権限と義務を負う。彼にたかる親族は、それを当然と考えている。


池田信夫blog 「韓国人はなぜ平気で「たかる」のか」より

日本人の概念に照らし合わせると、「たかり」は「恥」に近い。お天道様が常に見ているし、自分で自分の価値を下げるようなことはしないのが普通だろう。

(部分抜粋引用終)
2.

http://biglizards.net/strawberryblog/archives/2016/01/post_1762.html#comments


アメリカが駄々っ子韓国をなだめるために、再び聞き分けの良いおりこうさんな日本に「さらなる譲歩」を迫るのではないかと疑いが持たれています。
民主党や、うっかり間違って共産党が政権をになったりしたら、東アジアは混乱に突入します。冗談じゃないんです。最近、人気が出てきてるんですよ、共産党
吉田清治については「背乗り」の工作員ではないかと言う疑惑があります。「背乗り」とは、例えば身寄りのいない日本人を抹消し、その身分や戸籍を乗っ取ることを言います。吉田清治の経歴を調べた方が、彼が卒業したとされる学校の卒業生名簿には「死亡」と書かれ、その後働いていたとされる会社では彼を記憶する者はいないと報告。その他、勘違いやミスでは説明のつかない不思議な話が多々あります。
親日国とされる台湾まで参戦。マレーシアでは中国系マレーシア人女性が「訴えた当時、日本の政府機関が認めなかった」と言い始める。 ちょっと考えにくい。
・七五三で幼児も多く参詣していた靖国神社で起きた「無差別テロ」でした。
・20万人の被害者がいつの間にか40万人に増えています。「南京大虐殺」が20万人の都市で30万人虐殺されたと言われた時もキョンシーまで殺害したのかと驚きましたが、それを越える凄いミラクルです。これが韓国です。

(部分抜粋引用終)
3.

http://agora-web.jp/archives/1665649.html


共産党は「大衆党」になってよみがえるか
池田 信夫


・近ごろ共産党が元気だ。
・最近では「大衆党」に党名変更するという噂まである。この背後には、小沢一郎氏がいるようだ。
・2000年代に、共産党議席は大きく増えた。総選挙の比例得票数でみても、2003年の総選挙では458万だったのが、昨年は604万と30%以上も増えた。この一つの原因は、社会主義の崩壊を知っている人が減ったことだろう。共産党の公約だけを見ているとぶれないので、いつ消えるかわからない他の野党より頼りになりそうだ。
・しかし共産党の本質は変わらない。1961年の党綱領まで「プロレタリア独裁」があり、1973年に「プロレタリア執権」と言い換えられ、76年には綱領から消えた。そのころ今と同じような野党統一戦線で「民主連合政府」をつくるという構想があった。これは日本ではまずブルジョア革命が必要で、その上で共産主義革命を起こすという二段階革命論だった。
・大都市で社共共闘による「革新自治体」が生まれたのも、このころだった。いま思えば、このころ共産党が「ユーロコミュニズム」のような構造改革に路線転換すれば、イタリアのように野党第1党になる可能性もあった。
上田耕一郎不破哲三構造改革派だったが、マルクス・レーニン主義に「擬装転向」した。その後の「柔軟路線」も上田兄弟が主導したもので、宮本はそれを党勢拡大のために容認したが、党執行部は宮本派で固めた。60年代以降の共産党は一貫して、宮本顕治だったのだ。
志位和夫氏が書記局長に抜擢されたのも、彼だけが宮本に盲従する「忠犬」だったからだ。したがって今の「志位共産党」もレーニン以来の「民主集中制」であり、対外的には柔軟に見えるが、党内はきわめて保守的な志位氏の独裁である。
立花隆氏が調査したように、彼が無期懲役になったのはリンチによる殺人罪で、非転向を貫いたからではない。彼は戦前から一貫してコミンテルンに盲従し、戦後もコミンフォルムの方針に従って火焔瓶闘争などを主張した。その権威主義のDNAだけは、志位共産党にも受け継がれている。
・いずれにせよ共産党は30年ぐらい前に賞味期限の切れた毒饅頭みたいなもので、小沢氏が野党を破壊する「最終兵器」としては持って来いだろう。これで野党が壊滅したら、長い目で見ると日本の政治はよくなると思う。

(部分抜粋引用終)
4.

http://newglobal-america.tea-nifty.com/shahalexander/2016/01/post-4cf2.html


2016年1月 6日
「新年への問いかけ:今日の世界秩序不安定化の第一原因はソ連崩壊後のロシア政策の失敗にあるのか?」


・新年にあたって、ソ連崩壊後のロシア政策に我々が失敗したことが現在の世界不安定化の第一原因なのかどうかという問題提起をしてみたい。そうであるならば、その結末はどうなったのか?我々は共産主義の終焉によって歴史の終わりがもたらされ、それによって世界から紛争もなくなると信じ込んでいた。実際にはロシアは混乱に陥り、世界はその後に混乱を深めている。私の見解では、国家間の力のバランスの変化よりも西側の価値観への幻滅こそが今日の世界を語るうえで重要だと考えている。
ソ連崩壊の直後、我々は共産主義専制政治から解放された国々には民主主義と自由市場体制が広まることに何の疑いも抱いていなかった。
ロバート・ケーガン氏の最新刊の題名のように「アメリカが作り上げた素晴らしき今の世界」とみなすべきもので、実際に両国ともG7に名を連ねているように西側同盟に不可欠なステークホルダーとなった。この成功はアメリ外交政策の金字塔である。
アメリカの悪名高き大統領候補ドナルド・トランプ氏やイギリスのナイジェル・ファラージ英国独立党党首の例にも見られるように、そうした考え方に魅了されるような人々はその国の中でも嗜好、見識、道徳、そして知性のいずれにおいても最も貧困な部類の有権者である。その国で最良の人材(crème de la crème)なら国際主義者であることが当然であり、自分達の国が世界の中で果たすべき役割への問題意識が高いものである。
・冷戦の勝者達がロシアに対してそのように寛大な支援もしなければ、かつての敵国の軍備解体も行なわなかったことは遺憾である。勝者達はロシア国民が社会経済的変化に苦しみもがく姿を横目に、ただ資本主義についてご高説を垂れるばかりであった。
・これではロシア人が西側の資本主義と自由に幻滅しても何ら不思議ではない。
・石油や天然ガスといったエネルギー資源の輸出に大いに依存しているということは、ロシアがまだ「離陸期」さえむかえていないばかりか経済的には第三世界にとどまっていることを意味する。ロシアは世界的にも優れた科学者と技術者に恵まれているが、その多くはソ連時代から続く軍事産業に職を得ている。これら航空宇宙産業からは国際的に競争力のある民間機は製造されていない。
ネオリベラルが何の疑いもなく信奉する自由放任の経済的グローバル化という考え方が席巻していたが、社会主義的思考を抜け出せない人々にとってそのような社会は災難以外の何物でもなかった。競争本位の資本主義を教え込むのではなく、我々はロシアを北欧型の福祉国家に変貌させて共産主義からのソフトランディングをはかれたかも知れない。
歴史は終焉せず再び始まったのである
・西側の資本主義と自由という理念はロシアのみならずその他の国々でも色褪せた。そうした国々は西側中心の世界秩序と価値観に異を唱えるようになった。1990年代には東南アジア諸国がアジアの価値観を掲げ、人権侵害に関する西側の批判を跳ねつけた。ソ連崩壊後のロシア政策の失敗がもたらす波及効果はこのようにして世界各地に広がっている。
・国際世論はネオコンが主張するような反西欧的な専制体制の打倒による中東の民主化にも、そうした考え方を反映してブッシュ政権が行なったイラクアフガニスタンでの戦争にも、もっと共鳴していたかも知れない。そうなれば現地のテロリストも反乱勢力も現在ほど勢いづくこともなかったであろうが、それは彼らが本質的に弱小な軍事勢力であって国際社会を向こうに回して戦うにはプロパガンダに大きく依存しているからである。
・戦後の日本とドイツでの民主化は勝者にとっても敗者にとっても素晴らしきものであった。遺憾なことに冷戦ではこうは運ばず、この戦争の勝者達は敗者の自己改革の支援に熱心とは言えなかった。我々、冷戦の勝者は「勝って兜の緒を締めよ」という日本の武士の格言には従わなかった。
・我々はポスト冷戦期の経験から教訓を学び、将来に向けて備えるべきである。これは共産主義による専制の崩壊を目の当たりにした時期に我々が思い描いた世界を再建してゆくための第一歩である。よって、新年に当たってこのことを問題提起したい。

(部分抜粋引用終)

話は変わって身近な雑感を。
下流老人」という人騒がせな話題が席捲している。この点に関連して、僭越ながら一言。
もちろん、若い頃から貯金も計画的にせず、濫費や借金を繰り返していたというならば、話は別だ。しかし、勤勉に働き、コツコツと預金をし、きちんと納税し、選挙にも欠かさず行き、自分の身の程に応じた暮らしを営んでいる者を煽り立てるようなトピックには、警鐘の場合もあるが、反面、何か裏があると考えた方が賢明ではないだろうか。
小さな経験を綴ってみよう。
結婚前の数ヶ月間、住む場所を主人と二人であちらこちら電車を乗り継いで、探して見て回った。(1)最初は、学研都市のような場所の方が、自分の仕事探しにも、子育て環境にも向いているのではないか、と考えた。(2)また、私が情報雑誌で見たような、月収の何分の一が住居費という当てにならない統計を頼りに、主人が「あそこでもいいよ」と言っていた地域がある。
結局、仕事が神経を使う頭脳労働ならば、いざという時、タクシーでも職場から帰れるような距離で、自然の豊かな地域で休日はくつろげるように、という理由から、今の所に決めた。ところが、1990年代末までの大学関係者の中には、「大阪にも郡なんてあったんですか?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20070902)「まだそんな所に住んでいるの?」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150405)「私の姉は都内でも高級マンションに住んでいて、学会のために上京する度に、そこに泊まるのよ」「そこは家賃が幾らだから、低収入の人と結婚したんですね」などと、自慢気に見下げた態度で言いふらす人が何人かいた。
あれから18年、現状はどうであろうか。
(1) 驚くべきことに、そこは今や閑散とし、少子高齢化共同体の先端を走っている。自他共に学研都市という触れ込みだったが、その後、環境が悪化して、どうも落ち着いて住める場所ではなさそうだということを、最近、偶然配送された冊子を見て知った。しかし、今思えば、当時から予兆は感じられた。
(2) 結婚一年後に発病した主人のことを考えても、やはり止めて賢明だったと思う。家賃が今よりも月に数万円は高かったので、これに12ヶ月分×18年プラス消費税アップを計算すれば、相当な貯蓄差になる。また、高価な薬代も、数年前までは一律に難病助成があったが、今では「払える人は払ってください」と所得に応じた比率に変わってしまい、父の闘病時代と比べても、同じ病気なのに差額は大きく、長寿社会を生きる若年性にとっては、バカにならない。
都心の高級マンションに住むエリートのお姉さんを持つ人の例だが、今やそのお姉さんの勤務先は、左翼の牙城だと世間で叩かれている次第。本屋さんに行くと今でも、編集者だったお姉さんが関わった本が売られているが、内容が古いばかりか、相変わらず人を小馬鹿にしたもので、とてもとても…。それに、当時はお名前が奥付に出ていたが、今では別の編集者の名前に変更されているのも、最近、発見した。
インターネットで家賃の一覧表が出ているので、住所を見れば社会階層がわかる、と思う人も多いかもしれないが、実は当てにならない。また、主人の勤務先の所得や年収などもインターネットに出ていることもあるが、実は間違っていることは私が一番よく知っている。それに、この敷地には、以前、会社の研究所の同僚が何人か住んでいたとも、最近になって、主人が教えてくれた。
ということは、結婚後の数年、私は随分人を食ったようなバカ話ばかり聞いていたことになる(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090110)。
なので、表面だけでは何事も即断できないこと(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080407)、世の変遷は自分の意志と努力のみで克服できるものではないから余裕を持って人生を歩むべし、という常識に落ち着く。
ちなみに、この経験を通して思い出すのは、ルカ福音書12章13-21節の「愚かな金持ち」の逸話である。
もう一点、書き添えたいことがある。「主人が難病で」と言うと、「介護しているんですか」と訳知り顔をして即座に尋ねる人が必ず出てくるが、それは例外なしに一直線の高学歴女性と決まっている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091221)。ご近所の主婦ではない。
しかし、この病気は日本のノーベル賞受賞者の研究対象であり、日本政府が後押しして研究を進めている、有名かつ政治力のある疾病だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151106)。しかも、世界中で少なからぬ著名人も罹患している病気である。世間一般への啓蒙活動も普及していて理解が進んでいる、と大学病院の担当医もおっしゃるほどだ。
つまり、「難病」=「介護」と単純には言えないことは勿論のこと、薬で進行を緩やかに抑えながら、できる限り、従来の勤務も含めて通常の生活を送る物理的かつ精神的な環境を整えることこそが、若年性の患者および家族にとって極めて重要なのである(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20151112)。感染病でもないし、普通ならば寿命も全うできると言われている。車椅子で会長を務めながら、世界中を業務で回っている人だっている。天皇皇后両陛下もお励ましくださっている日本人だから、知る人ぞ知る、である。日常生活はかなり困難だが、その意味では、決して悪い病気ではない。
ありがたいことに、主人の勤務先は、給与面でも所属配置でも、いろいろと配慮してくださっている。若い時に頑張っていたから、ということもあるかもしれないが、やはり理解のある良い職場なのであろう。
従って、狭い視野と低い価値観と勝手な憶測で、勝ち誇ったような顔をしながら、何事も簡単に断定しないでいただきたい。他にも大変な難病はたくさんある。理解の努力を怠ったまま、誰にでも一様に「介護ですか」と尋ねるのだろうか?
恥ずかしいのは、そちらです。