ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

パピ先生へのオマージュ

秋月瑛二氏のブログを複数回引用させていただいたのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180527)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180529)、リチャード・エドガー・パイプス名誉教授のご逝去を記した私のブログは(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180601)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180607)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180608)、検索に出てこなかったのかもしれない。

ではここで、パピ先生こと故リチャード・パイプス先生の秋月瑛二氏による追悼ブログ抜粋を以下に。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1071269921.html


2018/06/13
1811/リチャード・パイプス逝去。



・リチャード・パイプスが今年5月に亡くなっていたようだ。満94歳、享年96。


・Richard Pipes/1923年7月11日〜2018年5月17日。


・R・パイプスの<ロシア革命>の一部の試訳を始めたのは2017年2月末か3月初めで、あれからまだ2年も経っていない。


・きちんと和訳してみたいと思ったのは、R・パイプス<ロシア革命>原書(1990)のボルシェヴィズムの生起から「レーニンの生い立ち」あたりを読み進んでいると(むろん意味不明部分はそのままにしつつ)、レーニンの党(ここではボルシェヴィキのこと)が活動資金を得るために銀行強盗をしたり相続人だと騙って大金を窃取するなどをしていた、といった記述があったからだ


・R・パイプスによると、少なくとも十月革命までの「かなりの」または「ある程度」の彼らの財源は、当時のドイツ帝国から来ていた。アレクサンダー・パルヴス(Parvus)は<革命の商人>と称される。


・銀行強盗というのは、日本共産党も戦前にかつて行った<大森銀行ギャング事件>を思い起こさせる。なかなか興味深いことを多々、詳細に書いてあると感じて、この欄に少し訳出しようと思ったのが、1年余り前のことだった


・つぎの本は、実質的に、リチャード・パイプスの<自伝>だ。80歳の年の著。
 Richard Pipes, VIXI - Memoirs of a Non-Belonger 2003)。
 Non-Belonger の意味に立ち入らないが、VIXI とはラテン語で<I have lived>という意味らしい(Preface の冒頭)。


・すでにこの欄に記したが、この著のp.124とp.125の間の複数の写真の中に、R・パイプス、レシェク・コワコフスキ、アイザイア・バーリンら4人が立って十字に向かい合って何かを語っている写真がある。昨年当時にきっと名前だけは知っていたL・コワコフスキとR・パイプスが同時に写っているのはなかなか貴重だ。機会があれば、上の本の一部でも試訳してこの欄に載せたい


・何箇所かを捲っていると、<ロシア革命>執筆直前の話として、E・H・カーに対する厳しい批判もある


・1980年代前半の数年間、アメリカ・レーガン政権の国家安全保障会議ソ連担当補佐官としてワシントンで勤務した(そして対ソ「冷戦」解体の下準備をした)ことは、すでに記した。


・リチャード・パイプスの著で邦訳書があるのはほぼ、簡潔な<共産主義の歴史>と<ロシア革命の簡潔な歴史>だけで、しかも前者は日本では「共産主義者が見た夢」というタイトルに変えられている。<共産主義の消滅=共産主義・消失した妖怪>も<ロシア革命に関する三つ謎>の邦訳書もない。そして、重要な<ロシア革命−1899〜1919>、<ボルシェヴィキ体制下のロシア>という「十月革命」前後に関する大著二つの邦訳書もない。


・「対ソ冷戦終焉」あるいはソ連解体後に、断固たる反ソ連(反共産主義)だった論者として日本の新聞、雑誌等に論考・解説が載ったり、あるいは日本のどこかで講演会くらい企画されてよかった人物だったと思うが(東欧では講演等をしたようだ)、そんなことはなかったようだ。


・しかし、R・パイプスは日本に来たことがあったのだろうか。いつぞや、ピューリツァー賞を受けたアメリカのジャーナリスト、Anne Applebaum による<グラーク(強制収容所)>のロシア革命十月革命あたり)叙述が参照元としているのはこのR・パイプスとオーランド・ファイジズ(Orlando Figes, <人民の悲劇>)の二著だけだ、と記したことがある(アプルボームの邦訳書がないとしたのは誤りだった)。


ピューリツァー賞なるものの<政治的性格>はよく知らないが(たぶん極右でも極左でもない)、その受賞作の最初の方の、グラーク(強制収容所)に関する本格的叙述に至る前の<ロシア革命>記述の基礎とされているので、R・パイプス著が決してアメリカで<無視>あるいは<異端視>されているのではなく、むしろ<かなり受容された概説書または教科書>的扱いを受けているのではないか、という趣旨だった。


・しかして、日本で、日本人の間で、日本の「論壇」で、リチャード・パイプスはいかほど知られていたのだろうか(<アメリカ保守>の専門家面していても、江崎道朗が知っている筈はない)。


・日本の<知的>環境には独特なものがある。世界または欧米の種々の思想・主義・見解等々がすべて翻訳されて日本語になって<自由に流通している>と考えるのは、そもそも大間違いなのだ。

(部分抜粋引用終)
「R・パイプスは日本に来たことがあったのだろうか」とあるが、1970年代以降、北から順に、北海道、東京、京都、神戸の六甲には来られている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180608)。1973年6月には、六甲セミナーと称する会議で、背広姿の三十名ほどの男性教授らしき方とご一緒に記念撮影をされている。これらの情報は、御長男兼喪主のダニエル氏がかなり前に送ってくださったお写真に含まれていたので、確実である。
「日本で、日本人の間で、日本の「論壇」で、リチャード・パイプスはいかほど知られていたのだろうか」についてだが、日高義樹氏の1980年代の著作には、何度か登場されている(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170123)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170626)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180122)。
「E・H・カー」については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140922)に少し言及がある。
私は素人に過ぎないが、“Vixi”はハードカバー版とソフトカバー版の二冊を自宅に持っていて、何度か読み返している(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=Vixi)。

http://akizukieiji.blog.jp/archives/1071300523.html


2018/06/16
1815/レーニンロシア革命「幻想」と日本の右派。


・いくつかを、覚書ふうに記す。
・しかし、正確に理解している「知識人」はいるもので、R・パイプスはアジアに「共産主義」国が残っていることをきちんと記していたし(<同・共産主義の歴史>、フランソワ・フュレの大著<幻想の過去>も冒頭で、欧米だけを視野に入れている、という限定を明記している。
・<冷戦が終わった>としきりと報道し、かつそう思考してしまったのは日本のメディアや多くの知識人で、それこそこの点では表向きだけは欧米に依存した<情報環境>と<思考方法>が日本に強いことを明らかにした。

(部分抜粋引用終)
月氏は義憤の強い方で、過去に相当、共産主義について勉強されたようだ。
手元にある論文二本には、リチャード先生について言及がある。
(1)安平哲二「アメリカにおけるソ連研究」『アジア研究』1961年 Vol.18, No.3, pp.29-57.
ソヴィエト経済がご専門で、東京都立大学(当時)の教授でいらした安平哲二氏(1913−1991年)は、昭和33年9月から昭和35年6月までハーヴァード大学のロシア問題研究所に在籍し、研究状況を詳細に綴っていらっしゃる。
当時、リチャード先生は助教授でいらしたが、歴史関係の講義を二つ担当されていた(p.38)。
History of Russia, 1801-1917.
History of Russian Imperial Policy.
また、1959年から60年度における研究プロジェクトとして、リチャード先生は‘Biography of Peter Strube’に取り組んでいらしたようである(p.47)。
(2)沼野充義「「一」と「多」の間でー外の境界と内なる境界:現代ロシア文学と映画の例に基づいて」『ロシア・東欧研究』第42号 2013年
ソルジェニーツィンに関する記述の中に、リチャード先生が登場する。文脈は、1982年5月のレーガン政権時代である。

「自分(ユーリ注:ソルジェニーツィン)が大統領としかるべき形で会うことを妨害した張本人として、リチャード・パイプスの実名を挙げている。パイプスはハーヴァード大学教授を務めたロシア史研究者であり、レーガン政権のもとでソ連東欧問題を担当した人物である。彼はソルジェニーツィンの回想を『ノーヴィ・ミール』で読み、憤慨してさっそく同誌に反論を寄せた(同誌 2001年3月号に掲載)。パイプスは、ソルジェニーツィンの書いていることは間違いと事実無根の憶測ばかりであるとして事実関係の解明を試みると同時に、反論の最後で、こんなことを言って、言わば返す刀で彼を切っているー「ソルジェニーツィン共産主義を心底から憎んでいるにもかかわらず、共産主義的なメンタリティーの最悪の特徴を自分にも植え付けてしまっている。それは、自分と違う考え方をする者は即、自分の敵だという考え方だ。私は個人的にソルジェニーツィン氏に対して憎悪の感情は抱いていない。ただ、人間には誰にも他の人とは違ったふうに考える権利があることを彼が理解できないのを、残念に思うばかりだ」。
「このパイプスのソルジェニーツィン批判の言葉の底流にも、多元主義を否定し、旧ソ連イデオロギーと同様に「単一」を志向する傾向の強い彼に対する違和感が認められる。」

(部分抜粋終)
この父パイプス先生のお言葉なのだが、そっくりそのまま御長男に返したいような気が、私はしている。
最後に、秋月氏が懸念されているように、日本語になっていない専門文献は、そのまま読書人口の知性の度合いを示しているのかもしれない。(専門外の自分でも英語原書を取り寄せて読んでいるのだから、他の方達なら尚更のこと)と思う癖が私にはあるのだが、それこそ科学的に客観的に実態を知る必要があるだろう。
そこで日本国内の大学図書館の本を探す‘CiNii’で検索してみたところ、‘Richard Pipes’では72件の検索結果が出ており、ロシア語、英語、日本語、フランス語、ドイツ語、ポーランド語(?)の本が入っていた。
邦訳に関しては、『ロシア革命史』が119館、『共産主義が見た夢』が105館の図書館に配置されているが、『レーニン主義の起源』は57館、『ロシア・インテリゲンチア』は30館と少ない。(ちなみに私は全部自宅に持っているので(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120131)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140917)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140918)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140919)、個人所蔵はもっと広いのであろう。)肝心の“Vixi”は、何と所蔵図書館が5館のみである!
そして、英語にしても所蔵図書館数が全体として少ない。ロシア語に至っては遥かに少なく一桁台なのである。ロシア史専門の学生や院生は、一体、どのように勉強しているのか理解に苦しむ。

同日追記:三日前に注文した本が、比較的良い状態の中古で届いた。表紙がしっかりしており、出版当時の意気込みが伺える。

Richard Pipes, "Russia Observed: Collected Essays on Russian and Soviet History" Westview Press, 1989.