秋月瑛二氏の江崎道朗氏批判
江崎道朗氏については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160125)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171204)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171227)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180323)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180414)で触れ、著書を複数持っている。
ところで、その江崎氏に対して、痛烈な批判が秋月瑛二氏(恐らくは産経新聞の記者?)のブログ(http://akizukieiji.blog.jp)に掲載されていたので、部分抜粋をする。秋月氏のブログ引用は、これまでに二回ある(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160111)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20161129)。
2017/08/16 19:30
1705/江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(2017年08月)①。
・江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017年08月)。
・日本への影響を叙述する、日本の書物の中では詳しいのだろう。しかし、決定的な弱点は日本語訳書に限っても、10冊も使っていないことだ。従って、説得力や実証性が十分ではない。参考にしている、または依拠している文献は、おそらく以下だけ。狭い意味でロシア革命とレーニン以外のものも含めて、欧米(+ロシア・ソ連)の文献そのものはないようだ。1950年代の古すぎる本は除外。出版社・翻訳者、刊行年は省略。
①クルトワ=ヴェルト・共産主義黒書/ソ連篇。
②アンヌ・モレリ・戦争プロパガンダ/10の法則。
③マグダーマット=アグニュー・コミンテルン史。
④ミルトン・レーニン対イギリス情報部。
(⑤春日井邦夫・情報と謀略。)
・江崎道朗のこの本の出版を喜ぶとともに、日本の現況を考えて、寒心に堪えない。身震いがする。怖ろしい。
・江崎道朗に是非とも助言しておきたい。以下を読んで、参考にしてもらいたい。
一部の試訳・邦訳をこの欄で試みている、①リチャード・パイプスのロシア革命本二冊、②レシェク・コワコフスキの本(マルクス主義の主要潮流)でも、ロシア革命とレーニンは詳しく扱われている(後者では、著者は「ハンドブックを意図する」と第一巻で書いているが、全3巻の中で、レーニンについてはマルクスに次いで詳しく叙述する)。
・前者のリチャード・パイプスの二冊については一冊の簡潔版があって、これには邦訳書がすでにある。この邦訳書だけでもすでに、昔ふうの?レーニンの像とは異なるものが明確だ。リチャード・パイプスの本には「革命の輸出」という章もあって、当然ながらコミンテルンへの論及も、その背景・目的も含めてある(世界革命か一国革命かにも関わる)。
・レーニンがこのとき何を考えていたかの一部を理解した。レーニン全集日本語版31巻の上掲「演説」を参照。すなわち、第一に、日米間で戦争が(「帝国主義」国間の戦争が)起きるだろうと予測し、かつ期待した。第二に、日本がアメリカと闘わずにロシア・ソ連を攻める(いわばのちに言う「北進」だ)のを恐れた。
・明言はないが、<帝国主義国>相互を闘わせて、消耗させよう、と思っている。これは、ロシア・新ソ連の利益になる。また、日本がアメリカではなくて、ロシア・ソ連に向かうのをひどく恐れている。ロシア・新ソ連の<権力>を守るためだ。すでに、1920年のこと。日米戦争への明確な論及がある(江崎道朗はたぶん知らない)。
・江崎は中西輝政を尊敬して、この分野(コミンテルンと日本)の第一人者だと思っているようだが、秋月瑛二のこの一年間の読書によると、中西輝政にも相当の限界がある。あくまで日本の学界内部では優れている、というだけではないだろうか。何しろ、中西がW・チャーチルを「保守」政治家として肯定的に評価しているようであるのは、スターリン時代にまで遡ると、きわめておかしい。戦後にようやく?<反共>政治家になったのかもしれないが、江崎道朗もしきりに言及しているようであるF・ルーズヴェルトとともに、<容共>の、かつ戦後世界に対する<責任>がある、と私には思われる。また、アメリカ等に対するコミュニズムの影響力を<ヴェノナ>文書でのみ理解するのでは、決定的に不十分だ。
・リチャード・パイプスやレシェク・コワコフスキだけが特殊ではない。日本の「共産主義者」や日本共産党にとって<危険な>欧米文献は全くかほとんど邦訳されていない、ということを知らなければならない。
・中西輝政あたりが、最高の、あるいは最も先進的な、<共産主義・コミンテルンの情報活動と日本>というテーマの学者・研究者だし思われているようであること。これは、日本の現況の悲痛なことだ。
・月刊正論執筆者の中では<反共産主義>が明瞭だと思われる江崎道朗ですら、リチャード・パイプスやレシェク・コワコフスキの名すら知らず、ましてや原書を一部ですら読んでいないようであること。これまた、悲痛な日本の<反共産主義>陣営の実体だ。
・日本の「保守」派に多く見られる、明治は素晴らしかった、という、「日本会議」史観の影響があるようだ。この点に限れば、司馬遼太郎史観もそうかもしれない。「聖徳太子の十七条の憲法」と「五箇条の御誓文」をふり返るべき日本の「(保守的?)精神」だと単純に考えているようでは、先は昏い。絶望を感じるほどに、暗然としている。
(部分抜粋引用終)
クルトワ=ヴェルトの『共産主義黒書/ソ連篇』については、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160327)を参照のこと。中西輝政氏に関しては、こちらを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%C3%E6%C0%BE%B5%B1%C0%AF)。「聖徳太子の十七条の憲法」に関しては、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20170830)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180329)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180330)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180506)に言及がある。「五箇条の御誓文」は、(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150404)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160216)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20160819)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180329)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180404)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20180412)の過去ブログを参照。「ヴェノナ」については、特に過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150819)を。
2018/01/30 08:30
1725/江崎道朗・コミンテルン…(2017)②−2017年秋。
・江崎の上の本を一瞥して、即座に感じた。どうしようもないところにまで来ている。ほとんど総崩れだ。身震いするほど、怖ろしい。
・日本の「保守」派らしき人々は、ほとんど信頼できない。「保守」と自称しないで、むしろそれと自らを区別しているらしき、池田信夫や八幡和郎等の方が、「反・共産主義」という点ではしっかりしているのではないか。そののちに、上の江崎道朗著の推薦文をオビに書いている中西輝政のいかがわしさにも気づいた(何回か昨秋頃にこの欄に記した)。
(部分抜粋引用終)
2018/02/07 11:30
1726/江崎道朗・コミンテルン…(2017.08)③。
・江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
・きちんと本文を読み終えてからと思っていたが、今のうちに書いておこう。
・この本の衝撃というのは、しかし、ロシア革命・レーニン・コミンテルン等に関する正確な又は厳密な知識の欠如によるものではない。そのようなことは、中西輝政(や西尾幹二)にもあるだろう。
・「情報産業」就労者としての著述者の一人である江崎道朗は、月刊正論(産経)の毎号執筆者としての地位(職・対価)を確保したいのかもしれない。食って生きていくためには、仕方のないことなのかもしれない。月刊正論、そして産経新聞の「固い」読者層である<日本会議>とそれに連なる諸々の人々の支持を受け、<味方>にしておくのは、<生業>にかかわる本能なのかもしれない。
(部分抜粋引用終)
西尾幹二氏に関しては、過去ブログ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150922)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171013)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171014)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171017)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20171204)を参照。
2018/02/16 02:00
1729/戦後の「現実」と江崎道朗・コミンテルン…(2017)④。
・歴史から現代への教訓を得ようとすれば、とくにアカデミズムの世界にはいない評論家としての江崎道朗としては、現実の日本、今日の日本の政治状況を、そのいう「日本の政治的伝統」に関する見方からも論及しないと完結しないだろう。
・誰も江崎道朗を専門的な歴史学者などとは考えていない。聖徳太子の第十七条の憲法や五箇条の御誓文への高い評価は櫻井よしこや伊藤哲夫らと同じだが、江崎道朗はいったい「日本会議」という政治運動団体のことをどう評価しているのか、知りたいものだ。
(部分抜粋引用終)
2018/02/18 11:30
1730/R・スクルートン『新左翼の思想家たち』(2015)。
・江崎道朗のように日本共産党系または少なくとも共産主義者・「容共」の出版社である大月書店(マル・エン全集もレーニン全集もこの出版者によるものだ(だった))が出版・刊行した邦訳書を「コミンテルン史」に直接に関係する唯一の文献として用いて(しかも邦訳書を頼りにして)かなりの直接引用までしてしまう、という勇気や大胆さは私にはない。
(部分抜粋引用終)
2018/02/27 08:00
1735/江崎道朗・コミンテルンの…(2017)⑤。
・先に江崎道朗の以下の本は目次の前の「はじめに」冒頭の第二文から「間違っている」と書いた。
この本は、その第一章の本文の第一文からも「間違っている」。
江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
「第一章/ロシア革命とコミンテルンの謀略」の最初の文。p.30。
「アメリカでは、今、近現代史の見直しが起こっている」。「今」とは、2016-17年のことだろうか。そうではなく、続く文章を読むと、1995年のいわゆる「ヴェノナ文書」の公開以降、という意味・趣旨のようだ。「見直し」という言葉の使い方にもよるが、アメリカの近現代史について、より具体的には戦前・戦中のアメリカの対外政策に対する共産主義者あるいは「ソ連のスパイたち」による工作の実態については、1995年以降に知られるようになったわけでは全くない。
・江崎は能天気に、つぎのように書く。p.30。
1995年の「ヴェノナ文書」の公開により、「…民主党政権の内部にソ連のスパイたちが潜み、…外交政策を歪めてきたことが明らかになりつつある」。
「明らかになりつつある」のではなく、とっくにそれ自体は「明らかだった」と思われる。より具体的な詳細に関する実証的データ・資料が増えた、ということだけのことだ。中西輝政らによる「ヴェノナ文書」の邦訳書の刊行をそれほどに重視したいのだろうか。1995年以前からとっくに、アメリカの軍事・外交政策に対するソ連(・ソ連共産党)やアメリカ内部にもいる共産主義者の影響・「工作」は知られていた。
・思いつきで書くと、例えば、戦後一時期の<マッカーシーの反共産主義運動>(マッカーシズム)はいったい何だったのか。アメリカには戦前・戦中に共産党および共産主義者はいなかったのか。アメリカ共産党が存在し、労働組合運動に影響を与え政府内部にも職員・公務員として潜入していたことは、当の本人たちがのちに語ったことや、先日に列挙した総500頁以上の欧米文献の中にH・クレアのアメリカ共産主義の全盛期を1930年代とする書物があり、1984年に出版されていることでも、とっくに明らかだった。アメリカ人、アメリカの歴史学者を馬鹿にしてはいけないだろう。
・昨年・2017年に厚い邦訳書・上下二巻本が出た、H・フーバー(フーヴァー)の回顧録を一瞥しても、明らかだ。自伝でもあるので、H・フーバー元大統領(共和党)は戦後になって後付け的にF・ルーズベルトを批判している可能性も全くなくはないとは思っていたが、彼はまさにF・ルーズベルト政権の時期に、FDRの諸基本政策(ソ連の国家承認を含む)に何度も反対した、と明記している。「見直し」といった生易しいものではなく、まさにその当時に、「現実」だった歴史の推移に「反対」していた、アメリカ人政治家もいたのだ。
・なお、H・フーバー(フーヴァー)はロシア革命後のロシア農業の危機・飢饉の際に食糧を輸送して「人道的に」支援するアメリカの救援団体(ARA, American Relief Administration)の長としてロシアを訪れている(1921年。リチャード・パイプス(Richard Pipes)の書物による)。
・H・フーバー(フーヴァー)の原書が刊行されたことは、2016年には日本でも知られていて、その内容の一部も紹介されていた。しかし、江崎道朗の上掲書には、この本あるいはH・フーバーへの言及が全くない。アメリカ政治・外交と「共産主義者」との関連を知るには、限界はあれ、不可欠の書物の一つではないか。邦訳書・上巻が2017年の夏に出版されたことは、言い訳にならない。私でも、2016年の前半に、H・フーバーの書物の原書の一部を邦訳して、この欄に掲載していた。
(部分抜粋引用終)
「H・フーバー(フーヴァー)の原書」については、過去ブログの(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131217)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140616)を。
2018/03/14 06:00
1747/江崎道朗・コミンテルンの…(2017)⑥。
・江崎道朗は加藤哲郎がどういう学者・研究者であるかを知らず、詮索しようともしていない。ひょっとすれば一橋大学名誉教授という「肩書き」にだまされている可能性がある。かつまた、加藤・上掲書の「あとがき」部分に全く目を通していない。この部分を読めば、江崎道朗の少なくとも特定秘密保護法についての見方やゾルゲ事件への関心とは異なるそれらの持ち主であることは明らかだ。江崎の本の最後の方に加藤の本への言及が出てくるのを見ると、執筆時間の最後の方になって加藤の本から急いで<江崎のストーリーに都合のよいところだけ>抜き出したのだろう。あるいは、『ゾルゲ事件』と題打つ近年の新書を無視してはマズいと判断したこともあるかもしれない。こうした、参照または利用文献の処理のいいかげんさは、江崎道朗の上掲書の中に随所に見られる。この後も、余裕があれば、いくらでもこの欄で指摘する。
(部分抜粋引用終)
2018/04/03 08:00
1766/江崎道朗・コミンテルンの…(2017)⑦。
・江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)−①。
この本は秋月瑛二にある種の大きな「諦念」と「決意」を裡に抱かせたものなので、全体を読むに値しない本だとは思いつつ、もう少しコメントを続けよう。江崎道朗は、昨年に上に続いてつぎの本もある。
②江崎・日本は誰と戦ったのか(KKベストセラーズ 、2017.11)。
・江崎道朗がウェプまたはネット上の関係電子情報を少なくともきちんと読んでいるのかは、全く疑わしい。なぜなら、昨年の夏の上の①では、コミンテルンの「謀略」をテーマの重要な一つにしながら、レーニン全集やスターリン全集等々のとっくに邦訳書がある中で、レーニンやスターリン等のコミンテルンに関する、またはコミンテルン大会や同執行委員会での報告・演説にすら全く目を通していないことが、ほとんど明瞭なのだ。
・江崎道朗の仕事のキー・パーソンは、山内智恵子という人物かもしれない。この人名は前者①の「はじめに」に世話・支援への感謝の対象として出てくる。一方、この山内智恵子という名は、後者②ではいわゆる「奥付け」の中に「構成・翻訳」として記載されている。
・江崎道朗は、いったいどんな自分の本の出版の仕方をしているのだろう。出版不況とか言われている中で、<悪書は良書を駆逐する>(これはどこか違ったかもしれない)。
・江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(2017.08)
この本が決定的に間違っていて、全体としては<政治的プロパガンダ>=政治宣伝のアジ・ビラにすぎない点は、聖徳太子の十七条の憲法−五箇条の御誓文−大日本帝国憲法という単直な流れを「保守自由主義」なるもので捉え、かつ明治天皇と昭和天皇をこの流れの上に置いていることだ。
・江崎道朗は、「保守自由主義」、「左翼全体主義」、「右翼全体主義」そして「左翼」・「右翼」および「全体主義」のきちんとした定義、理解の仕方をほとんど示していない。決定的な、致命的な大欠陥だ。文学部出身者らしく?、イメージ・ムード・雰囲気・情緒だけで書いているのだ。ほとんど<むちゃくちゃ>な本だと言える。
・なぜこんな不思議な、奇妙キテレツの本が、新書として販売されているのだろう。
(部分抜粋引用終)
2018/04/09 17:00
1770/江崎道朗・2017年8月著の悲惨と無惨⑧。
・最近に試訳したアメリカのロシア史学者(但し、R・レーガン政権で対ソ連政策補佐官)のR・パイプスの本が「党」=ボルシェヴィキ又は共産党のことを明確に「私的組織」と記述しつつ、近代以降の欧米政治思想の「標準的範疇・概念」にうまくフィットしない旨をと述べているように、また問題がなくはないが<一党国家>(one-party state)という語もあるように、<共産党>はたんなる一政党ではなく、しかし国家そのものでもないという、独特な位置を占める。
・江崎に尋ねたいものだ。ソ連共産党には「軍」があり、ロシア革命後の国家であるロシア・社会主義共和国連邦やソ連には「軍隊」はなかったのか?いや,江崎道朗には、どうでもよいことなのだろう。社会主義ロシアもソ連もボルシェヴィキ・共産党もどうだってよいのだ、この人には。さらに、これらと「コミンテルン」の区別もまた、この人にはどうだってよいのだ。今回の冒頭に記したように、共産主義(者)=「コミンテルン」なのだ、江崎道朗にとっては。ああ、恥ずかしい。
(部分抜粋引用終)
2018/04/11 06:00
1772/江崎道朗・2017年8月著の悲惨と無惨⑨。
・江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)。
この本での、江崎道朗の大言壮語、つまり「大ほら」は、例えば以下。
①p.7「本書で詳しく描いたが、日本もまた、ソ連・コミンテルンの『秘密工作』によって大きな影響を受けてきた」。
②p.7-8「コミンテルンや社会主義、共産主義といった問題を避けては、なぜ…、その全体像を理解するのは困難なのだ。本書は、その『全体像』を明らかにする試みである」。
③p.15「ソ連・コミンテルンによる『謀略』を正面から扱った本書が、…ならば、これほど嬉しいことはない」。
④p.95「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報だ。それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩なのである」。
・秋月瑛二のコメント。番号は上に対応。
①−「本書で詳しく描いた」というのは本当か?
②−「全体像を明らかに」する<試み>をするのはよいが、どの程度達成したと考えているのか。
③−「謀略」を「正面から扱った」? いったいどこで?
④−なるほど「本書で使っている」資料は全て公開されているのだろう。しかし、コミンテルンに関する「公開」資料のうち、いかほどの部分を江崎は「使って」、「しっかり読み込んで理解」しているのか。江崎のコミンテルンに関する資料・史料の使い方・読み方は、後記のとおり、かなり偏頗だ。
(部分抜粋引用終)
2018/04/13 07:00
1775/江崎道朗・2017年8月著の悲惨と無惨⑩。
・江崎道朗が参照している上の邦訳書の「付属資料」の冒頭に訳者/萩原直が付している注記からすでに、つぎのものがあることが分かる。
①村田陽一編訳・コミンテルン資料集(大月書店、1978-1985年)。/6巻までと別巻で計7冊。
前回での②を一部とするつぎも資料の邦訳書なので、記しておく。
②ジェーン・デグラス編著/荒畑寒村ほか訳・コミンテルン・ドキュメントⅠ-1919〜1922(現代思潮社、1969)、同Ⅱ-1923〜1928(現代思潮社、1996)。/少なくとも計2冊。
③村田陽一編訳・資料集/コミンテルンと日本(大月書店、1986-1988)。/1巻〜。少なくとも3巻まで、計3冊。
④ソ連共産党付属マルクス・レーニン主義研究所編/村田陽一訳・コミンテルンの歴史−上・下(大月書店、1973)/計2冊。…①・③との異同は秋月には不明。
⑤和田春樹=G. M. アジベーコフ監修/富田武・和田春樹編訳・資料集/コミンテルンと日本共産党(岩波書店、2014)。
⑥トリアッティ/石堂清倫・藤沢道郎訳・コミンテルン史論(青木文庫、1961)。
⑦B・ラジッチ=M.M.ドラコヴィチ/菊池昌典監訳・コミンテルンの歴史(三一書房、1977)。
・江崎道朗は上掲書でつぎのように「豪語」した。「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報だ。それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩なのである」。p.95。江崎は、レーニン全集関係のその上に記した文献①の所在を知っていたはずだが、無視している(計7冊は面倒と思ったのか?)。「しろうと」の秋月でも文献③〜⑦くらいの所在には気づくことができるが、江崎は無視している。
・この人=江崎は、レーニン全集を捲ってみる、という作業をおそらくは絶対に行っていない、ということだ。レーニンによる、「コミンテルン」=「共産主義インタナショナル」に直接に関係のある文献資料は、上掲のとおり、少なくとも20件はある。第31巻にかなり集中している。むろんこれらだけで、今回の冒頭に記載の邦訳書「資料」部分よりも、はるかに、比較しようもなく、長い。
・江崎道朗は、コミンテルンに関する「公開されている情報」の「すべて」または多くを「読み込んで理解」しているだろうか。確実に、否、だ。ということは、既述のとおり、「インテリジェンスの第一歩」を終えていない、ということを意味する。そしてまた、このような文章執筆姿勢、書物出版意識は、確実に、戦前の日本に関する叙述の仕方にも現れている、と見られる。
(部分抜粋引用終)
2018/04/16 06:30
1778/江崎道朗・2017年8月著の悲惨と無惨⑪。
江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦(PHP新書、2017.08)
・江崎道朗がたった一冊の本が掲載する「資料」のうち「利用」(引用)しているのは、計19資料のうち4資料、計30-31頁のうち約8頁にすぎない。これでもって、江崎道朗はこう「豪語」するのだ。再掲する。「本書で使っているコミンテルンの資料はすべて公開されている情報だ。それをしっかり読み込んで理解するのがインテリジェンスの第一歩なのである」。p.95。唖然とするほかはない。この人の「神経」は私とはまるで異なる。
・江崎は1920年代の日本を「封建的諸関係、あるいは…家父長制的=農民的諸関係が優勢」の「遅れた国家」または「後進国」・「植民地」と見ていることになる。「植民地」は度外視するとしても、こうした日本についての見方はいわゆる<講座派マルクス主義>史観に立つもので、このこと自体について検討・論証が必要だ。
・まさか、コミンテルンをタイトルの一部とする著書を書く江崎道朗が、日本マルクス主義内での<講座派>と<労農派>の対立を知らないままで、執筆しているはずはないだろう。
・第三に、読解または解釈に無理がある、又は強引すぎる部分がある。こう単純化してはいけないだろう。
(部分抜粋引用終)
上記で、かなり詳しく言及されているリチャード・パイプス氏は、2018年5月17日午前(米国東海岸時間)、94歳で逝去された。翌日午後1時からの葬儀が終了して、日本でいうところの初七日が過ぎた。
今後しばらく、英文の追悼記事等も参考に、歴史家としての氏の著述を中心として、ささやかな考察を綴ることにする。