ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

旅の道中で移民問題を考えた

もう一日、お休みをいただいて(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150520)、移民問題について考える一助としたい。
実は、4月22日に乗った中東へ向かう飛行機で隣同士になったベルギー人の女性との会話や、テル・アヴィヴのホテルで見たドイツ語のテレビ番組(Deutsche Welle)から、移民問題と日本の大学やメディアの動向の兼ね合いについて、大きな示唆を受けたためである。
表向き、大学やメディアで働く人々は社会的地位が高く、影響力も大きいということにはなっているが、地に足をつけて生きている普通の人々は、現実を見つめ、それほど馬鹿でもないらしい、という点は、古今東西、いずこも同じだと観察した。
インターネットや格安航空機の発達によって、情報、人、物、お金の移動が大規模に即時になった昨今ではあるが、人間心理は、それほど簡単に動くものではない、という真理である。
また、日本が鎖国していたり、島国根性で内向きだと悪く言われていた時代ほど、日本の国力が漲っていたという事実にも目を向けたい(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily20130203)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131028)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140524)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20141002)。だいたい、「日本に来る以上は、日本語を勉強してから来い。まともに文字も読めないくせに、日本について偉そうに言及するな」と主張し返していた先人達の努力や誇りを忘れて、今では気品に欠ける商人みたく低頭して、こちらがお膳立てしている状況である。
特に、ムスリム諸国からの留学生や研修生に対しては、大学も企業も、あまりにも気を遣い過ぎである。日本に来ても一日五回の祈祷をしたいというのは構わないが、祈祷する場所は自分で探してね、というのが、本来の我々の立場である。また、祈祷の内容について詮索はしないが、日本にいる以上は、良識を踏まえたお祈りにしてね、と言いたいところだ。ましてや、しばらく前に慶応大学に留学していたサウジ学生の浅草寺での仏像破壊については(http://www.danielpipes.org/15793/)、何をか況んや、である。
それもこれも、私の場合は、1980年代後半に、母校で国費留学生との接触があった経験を元に述べていることであって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/archive?word=%B9%F1%C8%F1%CE%B1%B3%D8%C0%B8)、単なる排斥国粋主義ではないことに留意していただきたい。
また、教養のない主流から逸脱した西洋人ならともかく、堅実な西洋人ならば、日本が本来の日本らしくあることを、それなりに認めて評価していることも、今回の旅で知った(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150511)。だから、安易に欧米の模倣をしない方が格好いいのだ。
国防総省(陸軍)勤務31年で、信仰深い奥様と三人の「かわいい」娘さんがいて、1972年に早稲田という「日本一の国際日本語学校」で日本語を学んだと自慢していた、カリフォルニア出身のロシア系ユダヤ人のアメリカ二世のシリンスキー氏だって(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150513)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150515)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150516)、知り合って間もない私に、のっけからこう言ったのだ。
「日本は明治時代に近代化するに当たって、欧州の各国から、それぞれ最高のもの(例えば、フランスからは哲学思想や芸術、ドイツからは軍事や衛生医療や工学、英国からは議会政治や王室や法の制度、経済の仕組み等)を学び取り、吸収して自分達のものにしたが、僕が興味を持ったのは、それでも根底では日本人の魂であり続けたという日本精神(Japanese mind)だ」。
いかにも、ユダヤ人らしい発言と観察である。
だからこそ、「今の中国みたいに」突然、経済が上向いて活気立った日本に関心を抱き、早速東京に移り住んで、ガールフレンドも作って、楽しく青春生活を送ったらしい。興に乗ったのか、いきなり「ワセダ、ワセダ」と拳を振り上げて歌い出した。
この辺りの器用さと柔軟性と目聡さは、こう言っては何だが、「日本でリサーチをした」と、オーストラリアでの講演で自慢げに発言していたパイピシュ先生より(http://www.danielpipes.org/8995/travails-of-modern-islam)、内実に於いて遙かに上を行っていると思う。失礼な言い方だが、社会的に一見目立たない方が、かえって小回りが利き、一般庶民の中にも自然に入っていくことができるので、いろいろと観察しやすかったのだろう。
シリンスキー氏は、私の顔を見る度に昔習った日本語を思い出すのか、間違いを恐れずいろいろと発言しては、私を笑わせてくれた楽しい方である。しかし、その表面的な快活さの底には、やはり醒めた目、鋭い観察眼を備えていることは言うまでもない。はっきり明快におっしゃるので、わかりやすいのである。
シリンスキー氏については、また後日たっぷりと。冒頭の二点の事例に戻る。
1.オランダ語系ベルギー女性との会話から
夫を亡くして三年になるが、この度、二十数名の旅団(「そのうちの一人の女性は、疲れたからって、自分だけファーストクラスに乗っているのよ!」)に参加し、二週間で東京から広島までの駆け足旅行。新幹線とバスと飛行機を縦横に乗り継いでの移動だったらしい。我々地元人なら絶対にしない距離の旅程だが、それでも、疲れも見せず、非常に充実した旅だったと、日本文化にとても好感を抱いたようだ。
特に、大原美術館や大阪キタの現代的なデザインの高層ビルに感嘆していらした。広島の原爆投下に関する資料館や平和記念公園へも行った他、京都の寺社仏閣や姫路城や日光東照宮なども堪能されたようだ。見た目は西洋と全く異なった日本料理が、興味深くて安心しておいしく食べられること、どこへ行っても整然と清潔感が保たれていること、秩序立っていて人々が礼儀正しいこと、全体的に安全感と信頼感があることを、特に指摘されていた。
そもそも、なぜベルギー人、しかもオランダ語系だとわかったかと言えば、その女性が大切そうにクリアファイルから取り出し、ペンで日付を書き込んでいたワープロ打ちの旅行案内書を見たからである。
今回、物は試しと初めて乗ってみたトルコ航空で(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130214)、せっかくだから日本で読んだこともないトルコ語新聞を実物で見てみようと、機内で"Star"紙を手にしていた私に、最初はジェスチャーでしか意思疎通をしなかった人だった。まるで、黒髪の私がトルコ系移民であるかのような扱いだった。
ところが、倉敷の観光パンフレットを大事そうに取り出して眺めていたその女性に、「倉敷に行かれたのですか?」「それはオランダ語ですか?」と英語で話しかけてみたところ、突然、態度が変わっていろいろと話してくださった次第である。
オランダ語だと察したのは、二十代の頃、オランダ人のペンフレンドがいたからだし(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080228)、パイプス訳文で時々、他言語訳(http://nl.danielpipes.org/)を参考までに覗いているためだった。突如打ち解けてくださったきっかけは、そこがポイントだったらしい。「日本人は、欧州言語を知っているのね」とご機嫌だった。
アントワープ近郊にご自宅があるそうだ。それも、何となく子ども時代に読んだ『フランダースの犬』等を思い出して、こちらが直感的に尋ねたら、図星だった。
ベルギー内のフランス語圏との言語紛争についても尋ねてみると、「あれは大袈裟に報道されていますけど、ベルギー国王は二言語でお話になるし、私の場合は、両親の方針で、若い頃、フランス語も学びましたから」と落ち着いたものだった。言語紛争の話は、学生時代に、社会言語学の論文や一般向けの本で読み、特に故グロータース神父の嘆きをしばしば読んでいたから(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120411)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120522)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130630)、ふと思いついたまでである。但し、フランス語圏との対抗意識は相当なもので、「だってあの人達より、私達の方が人口も大きいし、経済力もあるし、何より勤勉ですから」と、はっきりしたものだった。
一般の日本人のイメージでは、欧州圏内は、オランダ語人口よりフランス語人口の方が遙かに大きいのだが、意識の問題として、その語りを私は興味深く聞いた。
宗教については、フランス語圏がカトリックなのに対して、オランダ語圏はプロテスタントカルヴァンの改革派)が優勢であり、従って神学的素養の違いから勤労意識も異なってくるのだろうと、日本の大学などで聞いていた話を元に、さりげなく尋ねてもみた。それについては「欧州は全体として、基本的にカトリック伝統です。でも、戦後は徐々に世俗化していき、今では教会も寂れています。欧州の歴史文化としてはキリスト教ですが、普段の生活としては、全く宗教儀式やキリスト教の教義に従わずに暮らしているんですよ」と。
そこで、「では、ムスリム移民やイスラーム化動向については、いかがですか」と思い切って踏み込んでみた。すると、案外に気にもせず、「1960年代には戦争で荒廃した国土を立て直すために、トルコ系や東欧系の移民を入れたのはよかったけれども、その人達の子孫が今に至るまで欧州に留まっていることが、問題なのよね」「今、私の家ではポーランド系の若い女性をメイドとして雇っているけど、あの娘はいい子よ。基本的に宗教伝統も同じだし、私達の言うことによく従ってくれる。結局は同じヨーロッパ人だからなのよ」「でも、トルコ系はだめ。なかなか統合に至れないの。だから、ムスリム移民の問題は、本当に深刻」「最近では、イタリア経由でアフリカから移民が流れ込んでくるけど、あれはご免だわね。私達の福祉制度にすがって、私達の築き上げた社会に溶け込む努力をしないのよね」。
「では、廃れた教会がモスクに転換する現象については、いかが思われます?」「モスクからアザーンが流れると、教会の鐘とは違って、静寂が壊れるという問題はありませんか?」と問うてみると、「それも深刻。私達のヨーロッパは、クリスチャンと、(少し小声になって)少数派のユダヤ人で構成されていました。私達はブレーン(頭脳)があるから、戦後の社会の立て直しとして労働移民を外国から受け入れたことが、そもそもの今の問題の発端なのよね」「私の亡夫は技術者だったの。頭脳があるのよ、私達ヨーロッパ人は」。
随分、遠慮のない話だとは思ったが、非難囂々浴びがちなパイプス著述(多文化主義反対、ムスリム移民の流入反対)を充分裏付けるものだと、思わず納得しながら聞いていた。しかし、「技術者は頭脳がある」か....。うちの主人も一応は技術者だが、世の中は広く、何事にも上には上がある。それを思えば、遠慮がちに控えめに暮らすしかない私達なのだが、この会話の定義でいくと、一体全体、どういう位置づけにあるのだろうか?
でも、相手が今しがた訪問滞在したばかりの日本の出身者だというので、安心して話しているのであろう。それを思うと、何だか複雑な気分である。
「日本も、ここまで発展するのに、外国の移民労働者を使ったんでしょう?」
そこで俄然、胸を張って答えた私。「いえ、私達は皆、全部自分達でやりました。近隣諸国の外国人を組織的に入れずに、欧州事例からよく学んで、同じ問題を起こさないように工夫したんです」。
すると、どういう反応だったか。「あら、それはいいことよね。日本人は賢いわ。外国人に依存せずに、自分達で何でもやったなんて」と、素直に感心されてしまったのである。
ここで話は少し飛ぶが、今回の10日間のイスラエルの旅で、明らかに日本人の普通の習慣と西洋系の習慣の違いを感じたのが、食事の衛生観念や自発的な片付けものに対する態度であった。
一応はパイプス先生好みのスタディー・ツアーなので、毎日のスケジュールは朝7時頃から夜の9時過ぎ頃までぎっしり詰め込み、レクチャーと現場観察と移動の連続だったのだが、その中で、講師のお話を聞いた後の飲み物や椅子の片付けを、ほとんど誰もしないのである。はっきり言えば、飲みっぱなし、椅子も出しっ放し。朝食の時に、飲み物をこぼしたり、果物やサラダ野菜の汁が床に滴っても、そのまま紙ナプキンを床に落として始末したつもりになっているらしい。
私など、夜9時頃までのレクチャーでは、時に昼間の砂漠気候の疲れから、眠くなってコックリ首が傾き、つい、うとうとしてしまったのだが、それでも終了後には、コップの飲み残しも寄せ集めて、散らばったものをまとめ、少しでも係の負担が軽減されるべく、日本風に自然と動いていた。
偶然、それを何度か目撃したらしいパイピシュ先生、ふと視線に気づいて顔を上げると、いつも目を丸くして驚いていた。「そんなことしなくてもいいんだよ」と言いたげであったが、一方で「日本は世界で一番興味深い国だ」と公言もされているためか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140511)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140615)、黙ったまま。
文字通り目を丸く見張るところに、こちらもびっくりしたのだが、「おやすみなさい」とパイピシュ先生にご挨拶の返答をした後で部屋へ戻る途中、自分なりに考えてみたところでは、これこそが移民受け入れ実態の相違ではないか、と。
「日本では、移民労働者に依存せずに、何でも自分達でしたんです」と、行きの飛行機内で、即座にベルギー女性に返答できたのも、ごく自然の流れだったのではないか、と。
だから、対抗意識丸出しにして、イデオロギー論争でディベートディベートを重ね、相手を打ち負かして世論の流れを作り、気に入らない思想の持ち主には、遠慮会釈なしにバンバン批判を繰り返して(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150518)、自分があくまで勝ち組に居座り続ける言論闘争を継続してきたパイピシュ先生の目には、(どうして日本は、討論もせずに、大きな問題を回避できたのか(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130927)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140815))と不思議でならず、その秘訣をチワワみたいな私から探ることで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110510)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110513)、ヒントを得たいということなのだろうか、とも想像してみる。
話を元に戻すと、「トルコの欧州加盟については、いかがですか?」と問うと、そのベルギー女性は即座に、「いえ、トルコはヨーロッパではありません。イスタンブールはまだいいけど、アナトリアはアジアです」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130628)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130718)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150106)(http://www.danielpipes.org/12295/)(http://www.danielpipes.org/12530/)(http://www.danielpipes.org/12978/)(http://www.danielpipes.org/13113/)。
「では、トルコのイスラーム化については、どう思われます?」「私達に対してアグレッシブでなければ、イスラームはあの人達の問題だから、構わないわ」。
「最近、EUを脱退しようという政党が、欧州に出てきました。賛成ですか?」「いえ、私達ヨーロッパは統合していなければなりません。アメリカや中国やインドに経済的に負けてはいられないのです。EU脱退を主張する政党は、マイノリティであって、現実的ではありません。欧州は、もともと一つの文化圏だったんです」(その対論は、こちらを参照のこと(http://www.danielpipes.org/15471/))。
ギリシャ・ローマの伝統とキリスト教文化ですからね」と私。「ところで、日本ではベルギーと言うと、チョコレートが有名ですが、もし私がベルギーを訪れるとしたら、何がお勧めでしょう?」
「チョコレート?それはベルギーを代表するものじゃないわ。建築に興味があるならば、橋を見てはどう?あれは立派なもので、私達の誇りなのよ」。
と、最後の方は話題が逸れてしまったが、大体、こんな会話だった。飛行機がイスタンブールのアタチュルク国際空港に下降を始めると、自殺志願だったドイツ人パイロットによる最近の事故の話を持ち出された。私が「信じられない事故でした。あの人は、本当にドイツ人だったのですか?それとも、混淆結婚から生まれた人だったのですか?ムスリム改宗者だったのですか?」と尋ねると、「ドイツ人でした」と一言。そんな欧州の脆さを懸念されてもいた。
今、このブログを書きながら、ふとベルギーのモットーを調べてみたところ、「団結は力なり(Einigkeit macht stark)」と、オランダ語やフランス語に並んで、ドイツ語でも表示されていた。だからこそ、欧州統合を殊更に強調されていたんだろう、と思う。
2.ドイツ語のテレビ番組(Deutsche Welle)から
すっかり長くなってしまったので、簡潔に留めるが、乗り継ぎのために数時間降り立ったイスタンブールでもイスラエルでも、案外にドイツ語が存在感を提示していることに気づいた。特に、イスタンブールの空港の売店を覗いてみると、『フランクフルター・アルゲマイネ』紙が堂々とトルコ語の各種新聞に混じって並べてあった。また、テレビ番組では、サッカー試合など、ドイツ語で放送されていた。
やはり、学生時代にドイツ語を学んでおいてよかった、と思った次第。ただし、移民問題に関しては、日本では普段触れることのない現実がテレビで放送されていた。
肌の色の黒いアフリカ系男性が、非常に流暢なドイツ語で座談会風に話しているのだが、恐らくリーダー格なのであろう、欧州では人権を強調するのに、その同じ人権感覚が我々アフリカ系には適用されていない、という話であった。(同じ不満は、シリア系移民の男性が、流暢な英語で不満を語る別の番組でも見られた。)
その反面、他のチャンネルで放送されていたドキュメンタリー風の記録映像では、東欧移民系の若い女性が、何とかして親世代よりも良い暮らしができるようにと母親に励まされつつ、頑張って勉強を続け、資格試験に合格し、見事に新たな人生の扉を開いた、というハッピーエンドで終わっていた。
これらを総合してみると、結局のところ、欧州の植民地支配の負の遺産が、今でも解決していないどころか、かえって混迷を極めていること、左派思想に特徴的だという人権が、実は欧州の実態では充分に適用されていないことが判明する。
要するに、中程の片付け問題にもつながるが、手軽に人を利用すると、結局はしっぺ返しがくるという教訓ではなかろうか。
もちろん、移民の出身国の統治問題も大きい。そもそも、「よりよい暮らしができるように」と国を出て他国に住み着き、新たなアイデンティティを獲得すべく、言葉を懸命に学んで必死にならなければならない、という生き方そのものは、健全でも自然でもない。そういう人々を大量に出している政治責任者が、厳しく問われるべきなのである。
最後に、ムスリム移民に特徴的なのは、現在のイスラーム潮流である。イスラームの拡大主義が顕現化しているのである。だからこそ、暮らしの整った欧州に来ても、イスラームを捨てて欧州文化に合わせるのではなく、イスラームをより先鋭化させて人口を増やしていくという点に、問題の困難さが存する。
では、日本はどうするのか。先の名大同窓会では(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20150517)、日本IBMの方が、「日本は移民もないし」とあっさり言ってのけられていたが、私などにとっては、とんでもない盲目的な発言だと思う。現に、中国人に購入されてしまった土地もあるし、観光や留学の延長線上に、日本に留まって人口を混淆させたり増やしたりする動向は、この度の旅行直前に、美容院でも耳にした話である。
PS:移民問題についての小察は、過去ブログを(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130917)。